錦屏山瑞泉寺1 (幕末明治期ゆかりの仏閣巡り⑥) [神奈川県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

1929年 (昭和4年) というと、、

社会の授業で習ったあのニューヨーク証券取引所株価大暴落の、
世界恐慌の発端となった年だ、

そんな年に、鎌倉のとある禅寺の山門横に、ひとつの碑が建立された、、、


幕末明治期ゆかりの仏閣巡り⑥

安政の大獄編その参


錦屏山瑞泉寺




この日は坐禅会の後、少し?歩いて、、

この日にお参りすることに決めてはいたけれど、

管長さんの提唱でもちょうど夢窓国師の 「夢中問答」 の話もありちょうどよかった


さてさて、

長州藩と鎌倉のつながりは実は意外?と深く、
毛利家の祖である毛利季光は鎌倉武士であったらしいし
吉田松陰もその母瀧の実兄になる当寺の二十五世住職の竹院和尚を頼って
四度?訪れているようだ (公式には三度?)

竹院昌筠和尚はそもそもがそのように長門の御出身、
はじめに長門の徳隣寺さんで、次いで、円覚寺僧堂で修業された方のよう

そして円覚寺第198代住職をつとめられた (初代管長の今北洪川老師の四代前になるね) 、
晩年には南禅寺住職にも就かれている✨

なるほど夢窓国師ゆかりの禅寺の御住職らしいなぁ


松陰先生鎌倉へ

吉田松陰がはじめて鎌倉を訪れ時 (1851年/嘉永四年) に
行動をともにした者の日記によれば、、

 「八幡社見物、吉田の志にて毛利季光の墓に詣。丸屋某に投宿。
   六月十四日朝早く宿を出て瑞泉寺に吉田を訪」


とあるようだ、時に吉田松陰二十一歳

そうかぁ... 鶴岡八幡宮→鎌倉宮まではどう歩いたかはよくわからないけれど、
鎌倉宮→瑞泉寺は一本道、この道を松陰先生も歩いたんだねぇ... 


史跡の数々、、

・法華堂跡の源頼朝のお墓は、1779年 (安永八年) に島津重豪 (*1) が建立したもの
 *1:薩摩藩の第8代藩主、斉彬の曾祖父

・長州藩毛利家の祖毛利季光のお墓も、また何とも奇遇にも、
 薩摩藩島津家の祖島津忠久の墓もあったり (ほ〜)

そもそも 毛利 とは、
毛利季光の父大江広元の領地が相模国毛利庄 (現在の厚木市) であったことから
毛利という姓を名乗ることとなったという


松陰先生瑞泉寺へ

吉田松陰は、下田で密航を企てる直前の安政元年 (1854年) 三月 (3/14,15) に、
これが最後となるが竹院和尚のもとを訪れている

密航の相談もされたのかな?とかいろいろと興味は尽きないが、
そんな意味もあって三月の内にお参りをしたいなと思っていた

渡航に失敗した吉田松蔭は、獄中で次のような詩をつくっている

 遥憶瑞泉寺上人
 山光竹色入窓青
 方丈幽深倚錦屏
 今我爲囚空憶昔
 月中一夜叩雲扁


 山の青々とした竹の光が窓からさしこんでくる
 方丈は奥深く錦屏山の懐に抱かれて物静かである
 いま私は囚われの身となって獄中にありむなしく苦しみを味わっている
 ある夜夢に瑞泉寺をたずねた


松陰吉田先生留跡碑

瑞泉寺山門横にある石碑は1929年 (昭和四年) に建立されている
徳富蘇峰の筆によるもののようで
石碑裏面に碑文撰並書として 「菅原正敬」 と刻んであった
だから、表書きもやはりそうなのかな (°_°)?? と




松陰先生建碑記念絵葉書

とは、建立を記念し発行された絵葉書 (八枚一組) 三百円なり (=゚ω゚)ノ~
九十年程も前の絵葉書になるねぇお気に入りの鎌倉の古書店で見つけて即買いを✨
横書きの向きが今と逆だね




古書店での巡り会いはもう二度とないかもしれない邂逅だ

古書といわれるものはほんと、そうだよなぁ、、、


御朱印
 三月の内にはいただきたかった 「大雄宝殿」 を
 押印に 夢窓国師之 (? ) 禅苑 とあるのが✨またよい




錦屏山瑞泉寺
臨済宗円覚寺派
本堂内には、朝比奈宗源老師の書になる 「鳥鳴花笑」 「水巡山囲」 の二聯があり、また、
寺務所玄関内に掛かる扁額の落款には別峰とあったので、これまた老師の書だとわかった
文字が読めなかっのでお尋ねすると 「留香 (るこう) 」 とのこと
「(佛法の) 香を留める」 ということかな?いい言葉だなぁ... 味わい深い、、
神奈川県鎌倉市二階堂710
 

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■人物相関■
M.彼理(1794-1858)
竹院昌筠(1796-1867)✨
玉木文之進(1810-1876)
佐久間象山(1811-1864)
C.ディケンズ(1812-1870)
島田虎之助(1814-1852)
井伊直弼(1815-1860)
今北洪川(1816.8.3/文化13年7月10日-1892.1.16/明治25年)✨
由理滴水(1822-1899)
勝海舟(1823-1899)
大村益次郎(1824-1869)
岩倉具視(1825-1883)
森陳明(1826-1869)
佐藤彦五郎(1827-1902)
山内容堂(1827-1872)
西郷隆盛(1828-1877)
松平春嶽(1828-1890)
武市瑞山(1829-1865)
西郷頼母(保科近悳)(1830-1903)
吉田松陰(1830.9.20/文政13年8月4日-1859.11.21/安政6年10月27日)✨
大久保利通(1830-1878)
清河八郎(1830-1863)
孝明天皇(1831-1867)
山南敬介(1833-1865)
渡辺南隠(1834-1904)
橋本左内(1834-1859)
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)

高橋泥舟(1835-1903)
有栖川熾仁親王(1835-1895)
土方歳三(1835-1869)


瑞泉寺裏山に今は非公開となっている一覧亭がある、
その名にある通りに鎌倉を一望出来るらしい、
松陰先生もその一覧亭から眺められたことがあるとか

見れるものならその景色を、見てみたいものだなぁ
 


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※2018.2.12現在で、神社編は⑭、仏閣編は⑲、番外として+α
 お次も京都で仏閣編⑳と神社編⑮を予定✨