上野東照宮 (幕末明治期ゆかりの神社巡り⑤) | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 二人は又その東照宮の前迄来た。
 「精養軒で飯でも食うか」 時計はもう一時半であった。

 行人 / 夏目漱石

まだ寛永寺さんが東照宮を管理してたころかな (・ω・)?

TVドラマをやっていた当時、入口にはこのような、、、
 

 

幕末明治期ゆかりの神社巡り⑤

 

幕府篇その参

 


上野東照宮

容保公つながりで


容保公が宮司を兼務されていたのは、、、


明治十三年 (1880年) 四十六歳の折り
・二月二日、日光東照宮宮司に就任
・三月十三日、上野東照宮祠官に就任兼務

明治十七年 (1884年) 五十歳の折り
日光東照宮宮司と上野東照宮祠官を辞任、その後、

日光東照宮宮司には復職されているようだが

そして、三十年の後、、


御祭神は、家康公、吉宗公、そして、、

慶喜公が亡くなられたのは大正二年 (1913年) だ、ということは、、

上野東照宮に慶喜公が合祀されたのはその翌年、大正三年 (1914年) になるのかな (°_°)?


酒井雅楽頭忠世寄進

 

 酒井家というのはこんなところまでさかのぼれるんだねぇ、、




酒井家のことはとあるお社で興味を惹かれ、少し調べてみたことがある
家康公十七回忌の年になる寛永十年 (1633年) 癸酉と刻まれたその石造明神鳥居は、

酒井雅楽頭忠世の寄進のよう

こうして酒井抱一へと続いてゆくのだけれど、このことはまた別の話として


ちなみに、、、

忠世の子忠行の正室は松平定勝 (家康公の異父弟にして我が桑名藩初代藩主) の娘菊姫


銅製灯籠

唐門/社殿の前に立つ銅製の灯籠が紀州/水戸/尾張の御三家寄進なのは納得だけど

 (大猷院と同じ?)、その次に列せられているのは何藩かと確かめてみると、、何と!?

 因幡國✨

とあった ((((゜д゜;)))) 💦え?鳥取なの? そっか... 

 

因幡国鳥取藩初代藩主池田光仲公は家康公の曾孫だからねぇ...


にしてもビツクリ ((((゜д゜;))))


そして、、


狛犬?


ほ〜三百年祭✨と刻まれている




百年前に奉納されたものだねぇ久能山東照宮 (海側) にも

三百年祭時奉納の鳥居があったけど、あらためて散策するといろいろと発見があって✨

だから、、


台座に刻まれた文字は中根半湖 (*1) の書と読めた、

花園稲荷神社/五条天神社の不忍池側の神明鳥居に書かれた

 「神徳 / 惟馨 (しんとく / これかおる) 」 を書かれた方のよう



 

越後高田藩筋のようだなぁどういう経緯かはよくわからず、

今後の課題として今も残ったままに


御朱印

家康公の月の御命日に、この日は冬のぼたん祭りの期間中で
徳川家康(1543.1.31/天文11年12月26日-1616.6.1/元和2年4月17日)





書き置きで期間限定の三つ葉葵をいただけることも




上野東照宮
寛永四年年 (1627年) 、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建
別当寺は藤堂高虎菩提所寒松院

全国東照宮連合会加盟社は家康公の月の御命日にお参りすることにしてるけど、

かつ、この年は家康公没後四百年の御年だった
東京都台東区

 

上野動物園内で五重塔を間近にみたかったなぁ... 


ちなみに、、、

他に東京で容保公を身近に感じられるところとしては、、

四谷の元高須藩邸跡と日野は高幡不動尊、はたまた、

後に会津に改葬されるまでの墓所となった新宿は正受院あたりか?

中でも感動したのは高幡不動尊で、意外に知られていないかも?だけど、

会津ではよく見かける容保公の書を目にすることが出来る
都内では高幡不動尊さんの境内しか知らないなぁ... 

 

 

こういう発見って石碑ウォッチャー冥利に尽きるね✨


以下さらなる覚書

五重塔
 老中土井利勝が寄進するも消失 (同年再建)、その土井利勝には、家康公の御落胤説も?!

 「柳生一族の陰謀」 では芦田伸介さんが演じておれたね

 

現在は上野動物公園管理の元、国の重文に

 


ちなみにちなみに、 「柳生一族の陰謀」 って確信犯的に史実を変えてるからなぁ...

 

最初は信じてしまってた部分もあって f(^^ 💦

 

 

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精養軒前は一時期、このような、、

 

 

 

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■人物相関■
渡辺南隠(1834-1904)
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)
高橋泥舟(1835-1903)
有栖川宮熾仁親王(1835-1895)
土方歳三(1835-1869)
坂本龍馬(1836-1867)
井上馨(1836-1915)
松平容保(1836.2.15/天保6年12月29日-1893.12.5/明治26年)✨
山岡鉄舟(1836-1888)
榎本武揚(1836-1908)
三条実美(1837-1891)
徳川慶喜(1837.10.28/天保8年9月29-1913.11.22/大正2年)✨
山縣有朋(1838-1922)
日下部鳴鶴(1838-1922)
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久坂玄瑞(1840-1864)
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