日野八坂神社 (幕末明治期ゆかりの神社巡り⑦) [東京都] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 「八坂神社」 は 「祇園社」 、一般には 「天王社」 と呼ばれていたようだ


 祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
 沙羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。



幕末明治期ゆかりの神社巡り⑦

江戸新撰組編その壱


日野八坂神社

いまだくすぶり続ける士族の不満が爆発するその数年前、、

明治七年 (1874年) 九月に佐藤家にお泊まりになった折り、
当主俊正 (彦五郎) 氏の願いによって書かれたものだという現在の鳥居額 「八坂社」 は、
有栖川宮熾仁親王 (当時二品) の筆による



※ その木版の方は拝殿内にあるんだったか?記憶が定かではないが
  例祭の折りには間近に拝めるということかな (・ω・)?


もともとの御祭神

牛頭天王は、神仏習合の神様でお釈迦様が説法をされたという祇園精舎の守護神なのだとか


それが、

維新政府による 「王政復古」 (いわゆる神道による国教化) の大号令により
神仏習合 (神仏混淆) は禁止となり、
日本では同神とされていた素戔嗚尊に改められた、、という流れのよう


まぁ、

牛頭山に坐していたというからその素戔嗚尊との親和性はいいわけだ


加えて、

この 「天王 (てんのう) 社」 という呼び名、また、発音も新政府としては気に入らなかった
との話も少なからずあり、、なるほどねぇ、、、


奉納額

安政五年 (1858年) 八月に奉納された額には日野宿の剣士二十三名の名前が
ちなみにこの中にはまだ土方歳三の名前はなく、
土方歳三の正式入門は翌六年の三月を待つことになる



※ その奉納額を間近に拝めるのは、年に二回、例祭の折りかな?
  門人の中に佐藤彦五郎、発起に沖田惣次郎 (総司) 、
  嶋崎勇 (後に近藤家に入り天然理心流宗家四代目を襲名)


ちなみに、

その襲名式は、、それはまた別の話、、、


 驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。
 猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。



お釈迦様が亡くなったときにその四方にあったのが沙羅の木で、
二本ずつあったので双樹という (計八本)
入滅の際には季節外れの花を咲かせ、そして散ってはその花びらで、
お釈迦様の遺体を覆ったのだとか、、


御朱印
当時はなかなか書いていただくタイミングが合わず、三度目のお参りの際にようやくいただけた
かつ、隷味のある書体は後にも先にもこのお社のみだから、思い出の御朱印になったね




日野八坂神社
東京都日野市日野本町3丁目14−12

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■人物相関■
由理滴水(1822-1899)
板倉勝静(1823-1889)
勝海舟(1823-1899)
ウィルキー・コリンズ(1824-1889)
大村益次郎(1824-1869)
岩倉具視(1825-1883)
レット・バトラー(1825?-????)
森陳明(1826-1869)
佐藤彦五郎(俊正)(1827.11.14/文政10年9月25日-1902.9.17)✨
山内容堂(1827-1872)
西郷隆盛(1828-1877)
松平春嶽(1828-1890)
井上源三郎(1829-1868)
武市瑞山(1829-1865)
西郷頼母(保科近悳)(1830-1903)
吉田松陰(1830-1859)
大久保利通(1830-1878)
清河八郎(1830-1863)
孝明天皇(1831-1867)
松本良順(1832-1907)
山南敬助(1833-1865)
渡辺南隠(1834-1904.11.24)
橋本左内(1834-1859)
近藤勇(1834-1868)
河上彦斎(1834-1872)
伊東甲子太郎(1835-1867)
福澤諭吉(1835-1901)
高橋泥舟(1835-1903)
有栖川宮熾仁親王(1835.3.17/天保6年2月19日-1895.1.15/明治28年)✨
土方歳三(1835.5.31/天保6年5月5日-1869.6.20/明治2年5月11日)✨

坂本龍馬(1836-1867)
井上馨(1836-1915)
天璋院/篤姫(1836-1883)
五代友厚(1836-1885)
松平容保(1836-1893)
山岡鉄舟(1836-1888)
榎本武揚(1836-1908)
三條實美(1837-1891)
板垣退助(1837-1919)
池田慶徳(1837-1877)
大倉喜八郎(1837-1928)
徳川慶喜(1837-1913)
岡田以蔵(1838-1865)
初代三遊亭圓朝(1838-1900)
山縣有朋(1838-1922)
日下部鳴鶴(1838-1922)
安田善次郎(1838-1921)
中村半次郎(桐野 利秋)(1838-1877)
永倉新八(1839-1915)
高杉晋作(1839-1867)
澁澤栄一(1840-1931)
久坂玄瑞(1840-1864)


牛頭天王は薬宝賢明王ともいい本地を薬師如来とする説も有力で (*1) 、
その牛頭天王には八人になる王子がおり、、

なるほどなるほど、

すぐ横は八王子市だね、ここらへんはもう少し調べてみても面白そうだなあ✨

*1:埼玉県飯能市の天台宗寺院である医王山薬寿院八王寺 (竹寺) は、
  瑠璃殿にお薬師様をお祀りされていた、確かに確かに

 

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※2018.3.12現在で、神社編は⑭、仏閣編は⑲、番外として+α
 お次も京都で仏閣編⑳と神社編⑮を予定✨


 

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