【軍師官兵衛ゆかりの地】

 

【軍師官兵衛】において

その存在感が微妙だった【赤松広秀】

 

赤松広秀の父、政秀は(大河ドラマでは)

黒田官兵衛の初恋の幼馴染みを殺した男。

兵庫県:たつの市揖保郡 【室山城址】

史実では浦上家に嫁いだのは官兵衛の妹でしたが

ここらへん「史実と違うやんけ!」と目くじらを立てるのは

賢い男のすることではない(*'ω'*)

 

官兵衛の初恋

これはまったくの創作でした・・・・。

イメージ 2

 

赤松家と小寺家(黒田家)は犬猿の仲でしたが・・・・。

 

黒田官兵衛、別所長治と一緒に織田信長に拝謁します。

(毛利と織田が東西から迫ってきてケンカしてる場合じゃなくなった)

 

この赤松広秀

別所長治は裏切りましたがちゃんと織田信長・・・・羽柴秀吉に付き従い

龍野城を秀吉に明け渡して旧領安堵を願いますが認められず

龍野城はそのまま取り上げられ鵤(太子町)に少しの領地を与えられます。(涙)

そのまま秀吉軍として各地を転戦することに。

 

龍野城を明け渡したのに・・・・。

 

秀吉が播磨を平定すると

赤松広秀は再び旧領回復を願い出たるも認められず

龍野城は蜂須賀(小六)正勝のものに。(涙)

赤松広秀には太子寺付近のわずかな所領のみが与えられただけで

しかも蜂須賀小六のお手伝い、与力として任命。

 

龍野城は俺の城やったのに・・・・。

 

その後も赤松広秀は

蜂須賀小六の指揮下で備中高松城の戦い賤ヶ岳の戦いを戦い

小牧・長久手の戦い四国の役など転戦します。

その功で蜂須賀小六とその子供たちは阿波一国(17万3千石)に移封されましたが

赤松広秀は念願であった龍野城の殿様の復帰は認められず

龍野城は福島正則に与えられてしまいます。

 

岡山県:岡山市北区【備中高松城址】

岡山県:岡山市北区【蛙ヶ鼻築堤跡】

岡山県:岡山市【秀吉の本陣跡】

岡山県:総社市【備中高松城と清水宗治自刃の地】

徳島県:徳島市眉山町【蜂須賀小六(正勝)の墓】

徳島県:徳島市【徳島城址】

 

龍野城、またアカンのか・・・・。

 

しかしながら

赤松広秀は但馬竹田城の城主として任命、しかも

羽柴秀吉の直参の家臣に(やっとこさ)なりました。

結果的に龍野城の城主よりも出世したんやろか?

赤松広秀は龍野城への復帰は諦め?

竹田城の近代化改修を行い、現在の竹田城が完成します。

兵庫県:朝来市 【竹田城】(後編)

 

九州攻め、小田原城攻め

朝鮮戦役と竹田城の城主となってからも転戦・・・・。

宇喜多秀家の妹と結婚して豊臣政権で少しづつ地位も向上♪

ん?ということは宇喜多秀家のお母さんの義理の息子か!

岡山県:真庭市【おふく&山田方谷の湯治の跡】

 

そして

関ケ原の戦い・・・・。

岐阜県:不破郡垂井町【竹中半兵衛陣屋跡】

岐阜県:不破郡垂井町【黒田長政の隠れ里(五明稲荷)】

岐阜県:不破郡関ケ原町【黒田長政と細川忠興の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【徳川家康の最初の陣跡と山内一豊の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【本多忠勝と京極高知と藤堂高虎の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【福島正則の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【島津義弘の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【小西行長の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【宇喜多秀家の陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【大谷吉継の陣跡と墓】

岐阜県:不破郡関ケ原町【田中吉政の本陣跡と徳川家康最後の本陣跡】

岐阜県:不破郡関ケ原町【石田三成の陣址と島左近の陣址】

岐阜県:不破郡【関ケ原(石田三成と黒田長政の陣址)】

 

赤松広秀は豊臣政権の五大老

宇喜多秀家の妹の旦那なんだから西軍に参加して

丹後田辺城を包囲。

しかし西軍が敗れると東軍・亀井茲矩の勧めで東軍に寝返り

堅牢な鳥取城を一緒に攻めることになりました。

 

西軍だったけど西軍の城を攻めるで!

 

なんとか鳥取城を陥落させたけど

その際に城下町に火を放った罪を問われ、なんと

徳川家康に切腹を命じられる!

(一説には亀井茲矩が赤松広秀に罪を擦りつけた説もあります。)

 

せ、切腹っすか・・・・。

 

そもそも西軍だったし

徳川家康のご機嫌をとるために寝返ったこと

宇喜多秀家が当時はまだ行方不明であり、匿っている疑いもあり

赤松広秀は領地に戻ることも許されず

鳥取の真教寺で切腹、39歳の生涯を閉じることになりました・・・・。

その後、竹田城は別の大名が城主になり


ん?

竹田城最後の城主って看板にあったけど

赤松広秀とちゃうん???


やがて赤松広秀の改修した竹田城は廃城に。(涙)

お墓は切腹した真教寺にあるそうですが

竹田城の城下町【法樹寺】にも赤松広秀のお墓があります。

 

【法樹寺】

ここが赤松広秀の屋敷だったらしい。

 

あれ?お墓じゃなくて供養塔?

 

あれ?やっぱりお墓なん?

 

 

 

赤松広秀の墓

 

やっぱりお墓やったんやね

(養父市の観光HPには供養塔となってるけど???)

 

黒田官兵衛とともに

織田家の軍門に下った赤松広秀、別所長治でしたが

別所長治はその後に織田家を裏切り滅亡

兵庫県:三木市【法界寺】

兵庫県:三木市【竹中半兵衛のお墓】

兵庫県:三木市【平井山ノ上付城跡(秀吉本陣跡)】

兵庫県:三木市【別所氏の首塚と三木城址

そして赤松広秀は怨霊となって鳥取城下に災いをもたらしたとして

赤松大明神という社まで建立されたそうです。

 

俺、死んでからもひどい扱いやな・・・・。

 

 

なんか微妙な赤松広秀ではありましたが

兵庫県養父市では赤松広秀が養蚕を奨励していたので飢饉を乗り切ることができ

地元住民がご恩を忘れないように供養塔が建立されています。

 

ええコトもやっとるん、覚えといてや

 

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