アメブロ初の歴史ヒストリアは
【黒田官兵衛ゆかりの地めぐり】から始まります!
黒田家にとって切っても切れない蜂須賀家!
いや・・・切れちゃうんですけどね
その理由はコチラ ⇒ 徳島県:徳島市 【徳島城址】
秀吉に最も近い重臣といえば蜂須賀小六(正勝)!
ピエール滝がしてたんやなぁ。
【蜂須賀小六(正勝)】
『太閤記』『絵本太閤記』『真書太閤記』では、蜂須賀小六は盗賊の親分であったとされており
「墨俣一夜城」のために集められた夜討強盗の野武士集団の番頭の1人という設定の物語が多いです。
あくまでも『太閤記』が秀吉の生い立ちを面白くするための創作で
蜂須賀家の子孫は長くその負のイメージに苦しんできたんだそうです。(さるるもそう信じてた・・・・。)
大河ドラマでもそんな感じじゃなかったかな?
実際は斎藤道三の指揮下で手柄をたてたり、織田家に仕官していたり、一説には
秀吉が蜂須賀小六の配下であったとする説もあります。(出世するうちに秀吉がリーダーになった説)
そうそう
龍野城の城主だった頃もあるんやで?
身近に感じるよね~。
龍野城についてはコチラ
⇒ 兵庫県:たつの市 【龍野城~聚遠亭~龍野神社~三木露風の生家】
眉山の車で上がる途中に蜂須賀小六の墓があります。
案内図を頼りに行くのですがわかりづらい・・・・。
写メを撮っておくことをお勧めします。「ここを曲がって」的な表示はナシ!
でも諦めんと探索してほしいよ♪(*'ω'*)探究心
蜂須賀小六って黒田官兵衛と一緒に
毛利家との戦後処理を任されたり、各地を転戦して活躍したことで
龍野城から徳島城へ・・・・阿波(17万3000石)を与えられました。
みつけた!
1586年になると、正勝は病に臥せるようになり、京都で養生することが多くなり
一旦、快復して大坂に帰るんやけどほどなく死去。(享年61歳)
蜂須賀家は明治維新まで阿波で繁栄を続けます。
いつか記事にしたいんだけど、幕末においては関寛斎という稀有な蘭学者も輩出します。
輩出いうても生まれは下総(千葉県)なんやけどね。
蜂須賀家の典医(お抱えの医者)として歴史に登場するんよ、その後は官軍の医者になって・・・・
ああ早く幕末歴史ヒストリアしたいものですな。
奥には蜂須賀家代々のお墓があります。
いい天気だったのに急に雲行きが怪しくなり
雨が降り始め、雨が大雨になり、大雨が豪雨になりました。(涙)
車のワイパーが間に合わないぐらい・・・・・。
これが最近でいうところのゲリラ豪雨ってやつなんだろうか???
運転するのが怖いぐらいだったよ。
そうそう雨が降る前に
せっかく徳島に来たんだから徳島ラーメンを食べたよ。
徳島ラーメンで一大勢力を誇る
『いのたに(本店)』
住所:徳島県徳島市西大工町4-25
電話:08-8653-1482
徳島ラーメンって?
スープの色合いから「茶系」「黄系」「白系」の3系統に大別されるらしい。
だとしたらさるるは「茶系」しか知らんな~・・・・・。
今回のお店のチョイスは眉山、阿波踊り会館から車で数分の距離だったということ
Wikipediaで徳島ラーメンと調べたらこの店が出てたからなん。
すげーお客さんがいたけど
回転も速いからそんなに待たんでもよかったよ。
特徴的なんはチャーシューじゃなくて豚肉
それと生卵が入ってることかな?
スープはとんこつスープに醤油タレの混合、徳島ラーメンといえばやっぱ
この茶色のスープが特徴だろうね。
徳島ラーメンが有名になったのはこの『いのたに』がきっかけらしくて
徳島ラーメン=茶色いスープってのが認知されるん。
機会があれば「黄系」「白系」も挑戦してみたいものですな。
安倍首相も来たらしい。
ハイロウズも来たらしい。
っていうか壁一面に芸能人のサインだらけ。
テレビで見たことある芸能人やテレビ番組はほぼ全部来てるんじゃないかな?
そう思うぐらいサイン色紙だらけでしたよ。
・・・・というわけで
アメブロ初の歴史ヒストリアはグルメ記事と抱き合わせと相成りましたが
まあそこらへんは臨機応変にやっていこうと思います。
次回、徳島県脇町へ!
(おしまい)