【功名が辻ゆかりの地めぐり】
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純粋で不器用な下級武士の山内一豊。
千代をお嫁さんにもらってからドンドン出世していきます。
信長、秀吉、家康と仕えて最後は土佐二十万石の大名になります。
千代の機転で戦国時代を生き抜く夫婦のドラマ!
司馬遼太郎原作【功名が辻】はyoutubeで全話を制覇したっす♪
 
 
関ケ原の戦い以前
諸大名は西軍か東軍、どちらに属すべきか迷います。
山内一豊はその誠実さから秀吉から信頼され
家康の領地の近くに配置され、掛川5万石の小大名になりました。
秀吉は生涯、家康を警戒しておりその包囲網として
信頼できる武将を配置したのですが、結果的に全員が裏切ります。
山内一豊は最後まで悩みます。
この戦国時代を生き抜くには苦渋の選択だったと思います。
 
 
当然、西軍から「味方やんな?家康を防いでな!」って
お手紙が届くんですが、千代の助言でお手紙を開封せずに
そのまま家康に差し出したことで信頼を得ます。
さらに小山評定で山内一豊は「城も兵糧も全部差し出します!」って
家康に言うて他の大名もそれに倣って
東軍か西軍かどこか迷っていた豊臣恩顧の大名が一団結します。
この発言ひとつで山内一豊は関ケ原の戦いでは大した戦果もないのに
土佐二十万石を与えられるわけです。
 
 
 
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徳川家康の後方に配置されりゃ
そりゃ戦果は期待できんけど信頼されてたんかな?
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自転車でけっこう移動しました。
ヒデちゃんとイチャイチャネチャネチャしながらね?
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徳川家康の最初の陣跡
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そうか、ここが有名な桃配山なんやね。
以前に関ケ原に来たときはここまで到達できんかったねえ。
家康の腰掛石、机石もありました。
壬申の乱(672年)ではナントカ皇子もここに陣を構えたそうですから桃配山って
関ケ原の戦いの1000年ぐらい前から戦略的な要衝なのでしょうねえ。
 
 
家康の【腰掛石】に座ってさ
家康が座った事実のうえに上書き保存してしまおうと企む。
【さるる&ヒデちゃん腰掛石】にするのだ!!
 
 
 
ヒデちゃん、疲れが顔に出ています。
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余裕かましてるけど左足が激痛のさるる。
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帰りの電車の時間は迫っている。
関ケ原の戦いでさるるがイチバン行きたかった山内一豊!
山内一豊の陣跡げへ向かいます!!
 
 
・・・・が、見つからない。
観光マップを見てもここらへんなのに・・・・
地元の人に聞いてもわからないって言われてしまう・・・・・。
 
 
さるる
「バカな!ありえぬ!(カスペン大佐っぽく)」
 
 
ヒデちゃん
「さるるちゃん、まさか・・・・・アレ?」
 
 
 
 
ヒデちゃん、そっちは何もないよ?
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この立札だけぇぇぇぇぇ!?(驚)
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マジかよ・・・・大河ドラマになったんだぜ?
マニアックな人しか知らんような武将でもさ、石碑があったやん。
ちゃんと観光案内も設置されててさ?
なんだよ、立札だけって!?地元の人も知らんかったがな!(涙)
当時、さるるがもっともハマっていた武将だけに
その扱いの小ささに怒りを通り越して笑ってしまいました☆彡
 
 
・・・・え?そりゃもちろん
ブログネタとしては美味しいと思いましたけど♪
 
 
 
さて、次回は【関ケ原シリーズ】最終回です。
黒田長政と細川忠興の陣跡で締めくくりたいと思います。
黒田長政は黒田官兵衛の息子やんね
細川忠興はガラシャの夫、石田三成が大っ嫌いなんよ。
 
 
 
ハングオン!
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