【真田丸ゆかりの地めぐり】
【真田丸ゆかりの地めぐり】まだまだあります。
ほんと、歴史ってお互いにリンクしてるから面白いよねえ。
・・・・というわけで今回は
真田幸村の義父の歴史ヒストリアなのです!
義を重んじる石田三成の盟友
大谷吉継
秀吉の親衛隊(馬廻役)として活躍し
武勇だけではなく調略にも長け、政治もできるって武将でした。
ゲームの【信長の野望(武将風雲録)】での能力値は
さるるは実は納得いかなかったりします。
大谷吉継ってバランス感覚のある政治家だったらしく
石田三成とも徳川家康とも仲が良かったそうです。
実際、徳川家康の屋敷が襲われるかもしれないって時は護衛してます。
石田三成が徳川家康と戦う意思を示すと3度、止めたそうです。
「無謀であり、三成に勝機なし。」
こんなハッキリ言われたら凹むんやろうけど、石田三成に必死にお願いされて
心が動かされて西軍の首脳となります。
首脳、いうても関ケ原の戦いでは600名程度しか動員できなかったから
石高としては小大名だったのが悔やまれます。
真田幸村の奥さんは大谷吉継の娘さん
そうそう
なんで勝ち目がないのに石田三成に味方したかって
いろいろ説がありますけど衆道の関係だった、という説があります。
衆道って男同士で愛し合うことね?
戦国時代、武将たちにとって衆道は珍しいことでもなかったん。
織田信長の森蘭丸、とかね。
あと関ケ原の戦いの13年前
大坂城で開かれた茶会で招かれた豊臣諸将たちは
茶碗に入った茶を1口ずつ飲んで次の者へ回していったんですけど
大谷吉継はハンセン病、または末期の梅毒だった可能性が高く
この時、大谷吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い
みんなは病気の感染を恐れて飲むふりをするだけやったけど
石田三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み、気軽に話しかけました。
その事に感激した大谷吉継は
関ヶ原において共に決起する決意をした、という説があります。
大谷吉継の陣は山の中?
観光マップを見ながらヒデちゃんと自転車を走らせます。
さるる
「ヒデちゃん、この先って地図で見る限り自転車ムリちゃう?」
ヒデちゃん
「・・・・まあとりあえず行ってみたらええんちゃうかな。」
さるる
「テキトーやなぁ~・・・・・・。」
さるるにそう言われちゃオシマイだけど
その実、豪胆ともいえるし鈍感ともいえよう。
さるるなんぞつい、先々を気にして身動きが取れなくなってしまうけど
ヒデちゃんは保守的と思いきや冒険心を持っている。
さるるはその冒険心に期待し、なにかステキな予感がするような気がして
いつもついつい、追従してしまうのである。
関ケ原町はレンタルサイクルを使用しても広大で
時間に余裕はさほどない、ここを自転車で通れないとなると
大回りしなければならいのだ。
でもなあ・・・・地図を見る限りこれは・・・・でもこれ
ヒデちゃんの気持ちを忖度してさ
最初っから拒否したら活発な意見交換なんかできんはずなんよ。
ほら見てみい!(怒)
しかしヒデちゃんは(こういう時は)鋼鉄の意思を持つ。
自転車を抱えながら階段を登っていく。
こりゃ旧日本陸軍の銀輪部隊を彷彿させやがるっ♪
さるるだって、さるるだって!
なんのために空手やっとるっちゅーねん!
この時のためやんかいさ!(違)
この階段ね、上ったら次は下りるんよ。
同じ高さ、角度やから下りる時の方が怖かったわ~。
でもヒデちゃんとキャッキャッ!言いながらね
そういう時間が楽しいやん♪
さらに山道に。
取り返しがつかなくなるよ
ええ
行くんですか!?
不安が四重奏(カルテット)してきたよ。
大谷吉継の陣跡
こんな林の中で陣を展開してたんやね。
大谷吉継は自分の首を敵に晒すな、と湯浅隆貞に命じます。
湯浅隆貞は大谷吉継の首を埋めますが、それを藤堂高刑に発見されると
「私の首の代わりに、主君の首をここに埋めたことを秘して欲しい」と頼み
藤堂高刑はそれを受けて五助の首を取ります。
藤堂高虎は、甥の高刑が湯浅五助の首を取ったことに喜び
徳川家康の本陣に報告した。湯浅隆貞の首を見せた際、家康は手柄を褒めつつ
大谷吉継の側近である湯浅隆貞なら主君の首の居場所も知っているはずと
高刑を詰問しますが高刑は湯浅隆貞との約束を守り頑として在処を言わなかった。
その姿勢に徳川家康は感心し、自分の槍と刀を与えたそうです。
ちなみに石田三成の陣跡の近くにある交流館
たぶん学校の備品がたくさん使われてました。
(行事予定表が歴史年表になってた。)
歴史小説も微妙なラインナップ
そうそう、(山内)一豊もすごいぞ♪
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