【おんな城主直虎ゆかりの地めぐり】
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/41/63/p/o0560038014546471807.png?caw=800)
【真田丸ゆかりの地めぐり】
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/c8/d2/j/o0560039114546471816.jpg?caw=800)
今回の歴史ヒストリアは【真田丸】と【おんな城主直虎】です。
さるるも好きな武将の【本多忠勝】!
【おんな城主直虎】では井伊直政を可愛がり、成長を見守る武将として
【真田丸】では真田幸村のお兄ちゃん(信之)の義父。
真田幸村の助命嘆願にも身内として動きました。
まー助命した挙句に大坂の陣に敵になって痛い目にあわされるんやけど。
【真田丸】では藤岡弘、が演じて
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/ab/17/j/o0615041014546471824.jpg?caw=800)
【おんな城主直虎】では高嶋政伸?が演じました。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/40/2f/j/o1200074714546471829.jpg?caw=800)
戦国時代の猛将の一人だし、徳川家の三傑なのに
10万石の大名だったらしい・・・・。
徳川家康は信長や秀吉みたいに領地をたくさん与えませんでした。
本多忠勝ですら10万石ってどないやねんな?
信長、秀吉が【利益】で人を動かしていきますが家康は【忠誠】で動かせる
そのあたりやはり天下を取るだけの器だったのかもです。
(信長は裏切りが多発し、秀吉は死後に身内までが裏切ってしまいます。)
観光マップを片手に
ほんまにココにあるんか!?って場所
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/14/34/j/o0555041714546471835.jpg?caw=800)
民家のこっそり裏にありました。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/56/03/j/o0555041714546471841.jpg?caw=800)
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/81/48/j/o0555041714546471844.jpg?caw=800)
本多忠勝は実際は家康の本陣にいたそうで
豊臣系の大名の監視をしており、本陣は嫡男の忠政が率いていました。
戦闘でも少数兵力ながら(だって10万石だから)手柄を上げます。
そして関ケ原の戦いの10年後、桑名藩でその生涯を閉じました・・・・・。
(伊勢桑名藩の初代藩主でした。)
京極高知と藤堂高虎の陣跡
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/2d/45/j/o0555041714546471851.jpg?caw=800)
関ケ原中学校の敷地内です。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/01/sawada0906/e4/f6/j/o0555041714546471864.jpg?caw=800)
京極高知は羽柴性を名乗った時期があるほど豊臣系ですが
秀吉の死後は徳川家康に接近し、まんまと尻軽に乗ることになります。
しかし関ケ原の戦い後、丹後宮津藩の初代藩主となります。
(でも3代目で改易されてしまう。)
んで藤堂高虎なんやけどさ
さるるが嫌いな武将として公言している唯一の武将なん。
世渡り上手の演技派で節操のない武将、なんて司馬遼太郎の作品では
あらゆる作品でそんな感じで描写されている影響をさるるは受けておるわけです。
(いわゆる司馬史観、というやつです。)
ふむ
藤堂高虎をちゃんとヒストリアしてみる。
なるほど・・・・・しかし主を8回も変えてるんやで!?
やっぱりさるるは好きじゃないなあ・・・・と思っていたらば・・・・・・。
以下、wikiより
高虎は何人も主君を変えたことから、変節漢あるいは走狗といわれ
歴史小説などでは否定的に描かれる傾向が多い。
しかし、江戸時代に儒教の教えが武士に浸透する以前の日本では
家臣は自分の働きに見合った恩賞を与え
かつ将来性のある主君を自ら選ぶのが当たり前であり
何度も主君を変えるのは不忠でも卑しい事でもなかった。
高虎の身体は弾傷や槍傷で右手の薬指と小指はちぎれ、左手の中指も短く爪は無かった。
左足の親指も爪が無く、満身創痍の身体であり
75歳で高虎が死去した際に若い近習が遺骸を清めて驚いたと言われている。
な、なるほど・・・・。
これは藤堂高虎の認識を改めねばなるまい。
ごめんね、高虎。
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