【黒田官兵衛ゆかりの地めぐり】
関ケ原を駆けめぐる旅も終盤戦です。
さるるは足を猛烈に挫き、いやほんとレンタルサイクルがあって
本当に良かった・・・・移動速度はさほど変わらずって
レンタルサイクル借りてなきゃ自転車から降り損ねて挫くこともなかった?
そうか、そうなのだな。人生とは沙羅双樹のようなものだ。(謎)
とうわけで今回の歴史ヒストリアは
小西行長
(地味やし石田三成と同じ髭やし区別が難しい・・・・。)
小西行長って【軍師官兵衛】ではあまり登場しなかったかな
たしか秀吉の前の会議である武将が、たぶん加藤清正だったと思うけど
「武士の出ではない商人にわかるんかい!」って悪口言われてました。
あとは関ケ原の戦いの後に捕まって、大津城だったと思うけどさらし者にされて
石田三成、安国寺恵瓊、そして小西行長が座らされてて
小西行長はキリシタンだったからずっとブツブツ病的になんか独り言してた。
そんな印象しかないんよねえー。
でも小西行長ってすごいん。
大坂の堺の商人の家に生まれて
備前国福岡の豪商に養子になって、それから宇喜多直家のもとへ
商売でやってきた小西行長の才能に感心して武士にして配下に置きました。
その後、秀吉に宇喜多家の使いで行ったら秀吉に気に入られて
秀吉の配下に・・・・って引き抜かれます。
相当優秀な人材であったことは違いないようですね。
どちらかというと内政タイプの武将って印象があるけど
朝鮮出兵時は秀吉から1番槍(名誉なこと)を指示されて軍功を上げます。
ただここで加藤清正(2番槍)と関係が悪化していき
これがのちの関ケ原の戦いまでの因縁になるというのは歴史とはオモシロイ!
いつの時代でもあることなんやけど
加藤清正ほどの武人でも小西行長に嫉妬していたんやと思うん。
(あくまでさるる史観)
この朝鮮出兵あたりから
戦争得意の武将に対してロビイスト活動ができる武将がね
違う表現をするなら官僚的な武将が台頭するん
ちなみに関ケ原の戦いで大きな軍功を上げた東軍・福島正則は
戦後、利用価値が無くなりってか家康に信用されず
官僚政治によって軍事力ではなく政治力で失墜させられます。
まあそれは話が長くなるからまた別の機会に・・・・・。
小西行長の陣跡
小西行長も同様
小早川秀秋の裏切りで部隊は壊滅します。
んー小早川って関ケ原の戦いから2年後、狂って死ぬらしい。
豊臣家の養子として出世したにも関わらず
裏切りに及んだことが卑怯な行為として世間の嘲笑を受けます。
数年前に関ケ原に訪れた時、タクシーの運転手さんが
「あの山がほら・・・・裏切り者がいた山。」って
400年以上経ってもそういうこと言われるんやね、男じゃないなぁ。
ちなみに小早川秀秋は21歳で死んでしまうんやけど
世間は大谷吉継の呪いって言うてたみたい。
(実際はアルコール中毒による内臓疾患だったらしい・・・・・。)
ここで問題発生。
ヒデちゃんがお腹が痛いって訴え始めた。
トイレが見当たらぬ
なんか資料館?関所の資料館みたいなとこがあるって
地図で見たから目的地の途中だしそこに行こうってなったんやけど
どこかで道を間違えたみたいで線路のそばのお墓に。
いまだにアレはなんでだろう?
てか、さるるだったら迷わずワイルド・シット(野糞)しちゃうんだけど
やはりヒデちゃんは貴種なんやね、それをしないんよ。
結局、いろいろと迷った挙句に
一番確実にトイレがあるのは小西行長の陣跡のとこやって
引き返して難を逃れたのでした。
ちなみにヒデちゃん、トイレがすごく長くて心配したけど
トイレから出てきた時はスカッ!&爽やかな顔をして出てきたんよ。
なんだかさるるは、ヒデちゃんにイヂワルしたくなったん。
たぶんこれはさるるの性癖やろうなっ。
電車までの時間はわずか!
どんどん歴史ヒストリアしていくで!
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