舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。

少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。

とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。

よろしくお願い致します。



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父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。

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2011.11.4
大学病院で聞いた悲しい結果を伝えに、そのまま兄と祖母と病院へ。

兄から話して欲しかったのに、俺やだよって。
結局、辛いとこは全部わたしに丸投げ。

父に伝えている途中、祖母が泣き出しました。

父は明らかに落胆した様子で「わかった、もう帰って」と言い、ベッドに横になり背中を向けて目をつぶりました。


車の中でもワンワンと泣きじゃくる祖母の背中を兄がさすっていました。


ああ、これでもう父さんはきっとすぐに逝ってしまう。

そう思うと、わたしは泣いてはならない気がして涙が出ませんでした。





2011.11.7
いつも通り病院へ行き面会の手続きをしようとすると、主治医から呼ばれました。

「お父さん、お部屋移ったから。もう意識が保てないんだ。栄養や水分を点滴するのはもうやめようと思うんだけど。」

病室はナースステーションの中の個室に。 

もう自力で立つことはおろか、意思表示もままならないらしい。 

「後悔して欲しくないから、娘さんが決めて。」

わたしにそんな大事なこと、決められません。
 
泣きながら首を横に振るけれど、先生は「この状態では…もう点滴はしない方がいい。」と続けます。

「お父さんはもう十分頑張ったから、休ませてあげよう。」

生かされている事は、父にとって苦痛なのかな?
早く母さんのところに行きたいのかな?

「…はい。」


看護師さんに体を支えてもらって立ち上がり、廊下に出て泣いていたら「今日お泊まりしますか?」と聞かれた。 

ああ、ほんとにいよいよなんだな。と、この言葉で実感させられた。 


祖母と兄に伝えると、二人が泊まることになりました。 

それまで話し掛けても何の反応もなかったのに、帰り際に父の手を握ったら父が少しだけ目を開けて言いました。 

「今日は、大丈夫」 

涙が溢れてしまった。 
「うん、また明日ね。」と言い、兄と祖母に任せて帰りました。 

また明日、また明日。






続きます。