舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。
少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。
とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。
よろしくお願い致します。
++++++++++++++++++++
父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。
↓↓↓↓↓↓↓↓
++++++++++++++++++++
2011.7.30
父がわたしのことを恥だと思っている、ということを知ってから、しばらくはよそよそしくしてしまったけれど普通に戻しました。
父は元々、とてつもなく外面がいい。
自分が周りによく思われるためなら、たとえ家族が傷付いても悪者にしてきた人。
そう、これまでと同じことをされたまで。
そう思ったら、なんだかどうでもよくなった。
死を目前にしてもなお、自分を貫く父はある意味立派だと思うことにした。
こんな父だって、たった1人のわたしの父。
残りの人生を有意義なものにしてもらおう。
それが恥として育ってしまったわたしに出来るせめてもの親孝行だ。
努めて明るく振る舞うようになったわたしに、父も険しい顔から普通の顔に戻った気がした。
そこで、ネットで調べた【代替療法 民間療法 免疫療法】と呼ばれるものの中からいくつかを父に試してもらった。
しかし父にはどれも「こんなの金の無駄」と言われてしまう。
やはりわたしのやる事は気に入らないのかな。
父が一番気になっていた【丸山ワクチン】は、治験担当医が見つからずに諦めました。
2011.8.3
父の友人の、以前【千早の雫】を下さったご夫婦が家へ来ました。
またたくさん【千早の雫】を持って来て下さいましたが、お代は受け取っていただけませんでした。
お二人と談笑している父に笑顔が見られ嬉しかった。
しばらくすると、奥様が「ちょっと横になってみて」と。
父が床へ横になると、「気で身体を温めましょう、癌は体温が低いと活発化するの」と言いながら掌を父の身体へ向けました。
それは1時間ほど、エアコンの効いた部屋で汗びっしょりになりながら続けられました。
父は最初「?」な顔をしていたけれど、途中から目を閉じて「身体の中が熱くなってきた…」と汗をかきはじめました。
施術?が終わると、父は感激した様子でお礼を言っていました。
奥様はおびただしい量の汗をかいていらしたので、冷たい水で絞ったタオルを渡しました。
父は「このまま悪い物を出しちゃって!」と言われたので乾いたタオルを。
とてもスッキリとした顔の父。
「【気】なんて怪しい」と言っていたけれど、すっかり信じきった様子でした。
「遠隔でも出来るから遠慮しないで辛い時は連絡してね」と言われ、父は目を潤ませていました。
帰り際、奥様から20ページ程の冊子を渡されました。
そこには【千早の雫】に関する事や、食べてはいけない食べ物がたくさん書かれていました。
父から「これでしっかり勉強して、変な物を食わせないでくれ」と言われました。
米も小麦も肉も魚もダメって書いてある…
野菜も果物もダメな種類がたくさん…
一体何を食べさせればいいの…?
父は冊子を隅から隅まで読み、わたしに「覚えろ」と言って渡しました。
全部読んでから「何が食べたい?」と聞くと、父は「何も食べたくない」と答えました。
この日から父は、病院から処方されたエンシュアリキッドを飲むようになりました。
口内にベッタリと残る感覚が嫌だと頑なに飲まなかったのに。
そして、その中には冊子で食べてはいけないと書かれていた炭水化物や脂質も入っているというのに…
あの人のせいで、あの冊子のせいで、父は食べる事を拒むようになった。
わたしが食べるよう説得すると「殺す気か!」と怒鳴られました。
食べてくれたのはほんの少量の蕎麦、リンゴとニンジンなどの冊子で大丈夫とされていた果物と野菜で作ったスムージー、納豆や冷奴、それに冊子で食べるべきとされていたキノコくらい。
食べないと人は死にます。
この生活が続いた2週間後、父は夜になると毎日高熱が出るようになりました。
続きます。