舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。
少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。
とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。
手術で縫合された腕のイラストがあります。苦手な方はご注意下さい。
よろしくお願い致します。
++++++++++++++++++++
父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。
↓↓↓↓↓↓↓↓
++++++++++++++++++++
2011.1.17
手術から4日後、午前中のうちにICUから出られたみたいで一般病棟にいました。
※面会時間は午後1時〜
ナースステーションの中にある個室でした。
磁石のお絵かきボードで筆談が出来るようになりました。
ずっと仰向けで横になって動けないのが辛い。
部屋が暑いのでうちわが欲しい。
今何時?まだそんな時間か・・・
時計がないから困る。
舌に移植した左腕が一番痛くて辛い。
その次は舌が動かせないので痰でずっとむせているのが辛い。
犬は元気か?
時間が経つのが遅いので眠る薬を入れてもらっていたらしく、1時間くらい経ったらうとうとしてきたようなので帰宅。
車の中で、一緒に行った祖母と 祖父の話 をしました。
食道癌で亡くなった祖父の話を。
父さんと同じく喉に穴を開けていて、祖父は術後そこから呼吸器が繋がっていたので「おじいちゃんとおんなじだったから鮮明に思い出しちゃった、22年も前のことなのにね。」と言って祖母は涙を流しました。
祖父が亡くなった時、わたしは8歳でした。
毎週末みんなでお見舞いに行っていて、帰る時は順番に握手をしていました。
最後に行った時は、もうほとんど生かされているだけの状態で、部屋を暗くして順番に手を触っていって、わたしは祖父の手を開いて握ったらとても強く握り返されてビックリしました。そしてなかなか離してくれず、少し怖かったことを思い出しました。
「おじいちゃんが父さんのこと見守ってくれたんだね。」と私が言うと、祖母が「よかったねー、ほんとによかったねー。」と大粒の涙を流しながら何度も繰り返していました。
2011.1.21
体を動かす許可が下りました。
父は手術前日の測定で170cm88kgでしたので、ずっと体を動かせなかった事が相当辛かったようです。
床ずれにならないように、看護助手の方が重たい父を頑張って動かしてくれていました。
2011.1.24
ついに喋る許可も下りました。
喉に穴のカニューレを塞ぐフタを、喋れる弁が付いているフタに取り替えてもらい声が出るようになりました。
よく聞き取れず、父をイラつかせてしまってばかりでしたが嬉しかったです。
2011.1.26
舌に移植した皮膚を保護していた腕のギプスのようなものも取れました。
見せられた腕が生々しくて鳥肌が立ちました…
皮膚が薄い場所だからか、常に引っ張られている感じですごく痛がっていました。
2011.1.29
担当医と廊下でバッタリ。
「お父さん驚異的な回復ですよ!頑張ってますね!」 と言われました。
そして、ナースステーションの中の個室からナースステーションから一番近い大部屋へ移る事が出来ました。
異例の早さという事でした。
そして、ナースステーションの中の個室からナースステーションから一番近い大部屋へ移る事が出来ました。
異例の早さという事でした。
続きます。