舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。

少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。

とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。

よろしくお願い致します。



++++++++++++++++++++

父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。

↓↓↓↓↓↓↓↓


++++++++++++++++++++






2011.3.31
喉の穴を開ける手術でした。 
兄が病院へ行き、無事に終わったと連絡が来て安心しました。




2011.4.1
早くても月曜日までは会話禁止。 

なので筆談で手術中の事を聞きました。 
局所麻酔でしたが、意識を失ったそうです。 

「畑仕事をしている母さんとじいさん(父の実父)が見えて、母さんに「早く手伝って」と言われた気がした。 
そのあとすぐに先生の声で名前を呼ばれたと思ったら看護師さんの慌てた様な声で何かが下がってるだのなんだのと聞こえ、頬を叩かれ気が付いた」って…

それはつまり、危なかったということ…?と思ったら泣いてしまいました。
なかなか泣きやめずにいたら、「会話も出来ないのでもう帰って」と。

もう泣かないから!と謝って、一緒においしんぼを読んだり、甲子園の東海大相模の試合を見たりして過ごしていたら
夕食の時間になり、帰りなさいと言われたので帰りました。 

父がマイナス思考になっているのが悔しくて、帰りの車でまた泣きました。
癌になんか負けない気持ちでいてほしい。


帰って病院の治療と併用できる代替治療について寝ずに調べました。




2011.4.2
14時くらいに病院へ。 
しゃべれなくてイライラしている様子で、冗談も通じないほど。
筆談するのがめんどくさいみたいで、殴り書きされた字を読むのが大変でした。 
読めなくて「え?」と言うと「もういい」と書かれてしまう。 

一緒に甲子園の試合を見ようと誘い、頭頸部のロビーのテレビの所に行って見ました。
その間は点が入ると手を叩いて喜んだり、頷いたりしていました。

最終回だったNHK朝の連ドラ てっぱんの話をしていると痛くて辛そうだったので帰ることにしました。 

病室を出てエレベーターへ向かっていると地震が。 
病院の建物は古いし、頭頸部は8階なので結構揺れました。 

地震が大っ嫌いな父だから怖いだろうな。 
でも戻ってもウザがられるだろうから帰ろうと思ったら、持って行ったゼリーをバッグに入れたまま病院を出てしまったので戻りました。 

父には声をかけずに廊下の奥にある冷蔵庫に入れて帰ろうとしたら父が病室から出てきて「?」って顔をしていたので、「ゼリーバッグにいれっぱで帰るとこだった」と言うと少し笑ってくれてちょっとホッとししました。




2011.4.3
「今日はこなくていいからね」とメールが来たので、家で民間療法や免疫療法について調べて過ごしました。







続きます。




有益な情報もないまま、わたしの心情ばかりを細かく切って書いてすみません。
娘の前でスマホやパソコンを開くと怒られてしまうので、なかなか長く書くのが難しい状況です。
興味のある方だけお付き合い下さい。