穴と橋とあれやらこれやら -34ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【1】より続く。

 

 

 

久しく車輛を通していない路面は、

名前を知らないけどちょくちょく見るこの植物があちこち這いまわっていた。

 

 

 

 

 

いや~、

いいっすな。

 

 

 

 

 

橋上からの上流側の景。

前回ふれたとおり、山口ダムがある。

 

 

 

 

 

そして下流側。

今さらだが、川の名は木曽川。

 

 

 

 

 

間もなく見えてきた対岸の様子だが…

廃感ヤバイね。

 

 

 

 

 

あーやっぱり、

こちらも二郎系封鎖(意味不明)だ。

 

 

 

 

 

右もガッチリ、

 

 

 

 

そして左もガッチリ、と。

ほぼ「道がない」ことにお気づきだろうか。この左岸側はすでに死んで久しい道なのだが、そのへんちょっとだけ次回最終回で。

 

 

 

 

 

で、この場所で銘板発見!

1956年6月長野県建造で、松尾橋梁株式会社東京工場製作。

 

やっぱ鋼橋は銘板を見つけられるとテンション上がるなあ~。

 

 

 

 

 

で、さらに変なもの発見。

なんであんなところに消火器が!?

 

これ、見た限りでは先人の誰も触れてなかったと思うんだが…まあスルーするか、ふつう(笑)。

 

 

 

 

 

さらにその奥、

落石注意の標識が。これは嬉しいアイテム。

 

 

 

 

 

とりあえず、振り返っとこうか。

いや、なかなかデカい「絶対廃橋」だ。

 

 

 

 

 

さて、最新鋭軍事用ドローン、

スルッと抜けましょうかね。

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

 

2020年9月21日、謹慎明け東濃~中濃徘徊初日。…と言いつつ、この日のネタで記事にしているのは君の名は。中折橋草ヒロ…未満?久保原隧道

今宵から3回に分けて(執拗に)ご紹介するのは、この日最初のメインターゲットだったやつ。

 

 

 

まずはこれ。

現在地こちら。ここのことは先立って山神さんの記事で知り、これは見たい!とこのツアーに組み込んだ次第。なんならここが最初のターゲットだったことで南木曽に来たわけで。

 

 

 

 

 

進んでいくと現れたのが、

上のリンクで「草ヒロ…未満?」として紹介した個体。そう、ここにあったんですな。

 

余談だが最新のストビュー(2023年6月)を見ると、この場所は別のトラックと入れ替わっていた(それも2台)。確かに、見切れているけど写真右手にそれっぽいヤードがあったので、業者さんで管理しているもののようだ。

 

 

 

 

 

まあ、そんなんはいいのよどうでも。

これなのよ、ターゲットは!

 

決して小さくはないトラス橋…だがまぎれもない廃橋。事前情報通りけっこう本気度の高い封鎖が立ちふさがっていた。知ってたので落胆もなし。

 

 

 

 

 

うーむ、

醸してるなあ…。

 

わたくし個人的に、対応する新橋やバイパス路が付近にない「真正の」廃橋を「絶対廃橋」と呼んでいる。ここもまた絶対廃橋のひとつだが、このサイズのワーレントラス橋で、というのはなかなかのものだ。

 

 

 

 

 

左右から、

 

本気度の高さを確認。

 

写ってないが、手前は落ち込んですぐ崖なので、アプローチ不能だ。まあこれはあかんね。

 

 

 

 

 

ちょっと上流側からサイドアングル。

これが限界だ。

 

 

 

 

 

同位置からさらに上流方向を見れば、

山口ダムが見えていた。

 

 

 

 

 

さて、橋は渡れずとも…

やっぱこういうとこはチェックしたいよね、ってことで、チャレンジしたらここに来れた。

 

 

 

 

 

橋台直下で、

支承もこんな至近距離で!うーーん、本気度の高い封鎖とは裏腹に、そこまで老朽化してる感じしないけどなあ…。

 

 

 

 

とか考えながら…あら?

 

 

 

 

 

あらららら?

 

 

 

来れちゃった。 あ、いや…。

 

てなわけで、ここからは最新鋭軍事用ドローンによる遠隔撮影でお届けする(笑)。

 

 

 

 

 

目前に広がる、

魅惑のフィールド。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

 

2023年11月25日、中国地方TSHO周遊の三日目・最終日。この日のネタで記事にしているのは、武将募集。寺迫橋。今宵ご紹介するのは、この日の朝に通りかかったバス停。

 

てなわけで、珍しく「名前ありき」ではないバス停ネタであります。

 

 

はい、これなんだが…

なんというか、この佇まいに惹かれてですね。場所はこちら

 

めっちゃさびれたバス停ながら、それなりに広い道幅のせいで両側にあるのがなんかいいなあ。

 

 

 

 

 

シンプルに見えて、

ちっちゃい庇があったりとか、意外と凝ったつくり。

 

 

 

 

 

思わず「廃バス停か?」とも思ったんだが、

細々と運行はされてるようで。

 

どうでもいいカミングアウトだが、この写真を撮ってから路面に戻ろうとして思いっきりすっころんだのが忘れられない。堆積した落ち葉で隠されていた側溝に気づかず踏み抜いたためなんだが、改めて最初の写真を見返していただきたい。これ、側溝の存在を感知するのムズすぎんか?ケガしなくてよかったわ。

 

 

 

 

 

続いて向かい側の方へ。

傍らに咲くピンクの花がポイントだ。

 

 

 

 

 

こちらはさらにうらぶれていて、

時刻表が無残にペロ~ンと。

 

 

 

 

 

ちなみに、この時の時刻が7時52分。

もうちょい早ければ、1日3便しかないうちの始発便に遭遇できたのに。惜しい!

 

 

 

 

 

最後に、このバス停に思わず停まった理由がこちら。

バス停とお花のコラボレーショ~ン。この写真、気に入ってる。

 

無学なわたくし、この花をバラでしょと思ってたのだが、記事を書くにあたって念のためGoogle先生にお尋ねしてみたら、なんと「サザンカ」なんですねこれ。

 

 

サザンカといえば大川栄策…ぐらいの印象しかなかったわたくしだが、なんか赤い花のイメージがあった。こんなに儚い感じのピンク色の花なんですな。勉強になった。

 

 

 

以上。

 

 

 

2024年9月25~26日と、うちのきょうだいで老母を連れて有馬温泉に一泊旅行に行ってきた。

 

目の治療中ということで車の運転は控えているので、うちは公共交通で有馬に行って現地集合・現地解散したわけだが、せっかくなので当地でなんかあれば…と調べた結果、少ない自由時間で歩いて行けそうな範囲にターゲットをふたつ見つけた。今宵はそのうち、26日の解散後に訪ねたやつをご紹介。

 

 

はい、まずはこれ。

存外に雰囲気のいい隧道が登場~。現在地こちら

 

 

 

 

 

立派な扁額には

「金慶洞」と。そして左端に小さな字で刻まれていた内容は、「昭和三十年春 金井慶二題書」。これについては後ほど。

 

 

 

 

 

一見無骨なコンクリート隧道だが、

立派な扁額はもちろん、坑口の縁を鉄板で保護してあったりとか、なんかいい(個人の感想です)

 

 

 

 

 

地味に、この側溝?も

こういうの、初めて見た気がする。

 

 

 

 

 

Q地図様によれば、延長は29mってことで

すぐに抜けるのだが…抜けた先も雰囲気イイ~。

先に見えるのが、有馬温泉元湯・古泉閣。

昭和31年開業の格式ある旅館である。

 

開業年を聞いてピンと来たあなた、大正解。この金慶洞は古泉閣の建設の一環として掘削された隧道なのだった。そしてこの古泉閣をつくったのが、三期務めた尼崎商工会議所会頭など兵庫県を中心に関西の経済界に足跡を残した金井慶二。扁額の揮毫も大いに納得だ。

 

その成り立ちからして当初はこの道は私道だったと思われるのだが、現在は中ノ畑円山廻遊線という神戸市道となっていて、隧道も神戸市が管理者となっているようだ。

 

 

 

 

 

古泉閣側のポータル。

通りすぎて行った福山さんのトラックが、やたらええ感じに写ってますな(笑)。そうここ、なんだかんだで意外と交通量があるのだった。

 

 

 

 

 

で、後悔してるのがこっち側の扁額。

達筆すぎて読めないがたぶん隧道名だろう、というメイン部分はともかく、左端の小さな文字が判読できない~。どうもこちらは金井氏ではない人物っぽいのだが…。

 

 

 

 

 

いや、

小粒ながらもなかなか良かった。

 

 

 

 

 

最後におまけ(最近このパターン多すぎ)

 

一枚目の写真で、ちょっと視線をずらしてみると…

めっちゃ見にくいが、左上にも穴があるのだ。

 

 

 

 

 

いい写真を撮ってなかったんでまたストビューのお世話になるが、

この正面の暗がりが例の穴だ。ちなみに隣り合った道路が金慶洞擁する市道。

 

看板でわかるように、ここは関西人ならCMでおなじみ、「あの」向陽閣の第4駐車場への道で、金慶洞と同じ小山をトンネルで抜けている。

 

 

 

 

 

とはいえ、

遠目でもわかるボックスカルバートってことで、開削工法でつくられたことは明白。そう面白いものでもないのでこれだけ撮って終了。でも一応、扁額に当たる場所に「向陽閣」という文字パネルがあしらってあるようだったが。

 

たぶんあれが煉瓦隧道とかなら(以下自粛

 

 

 

 

以上。

 

 

2011年10月30日、第二次伊豆探索。この日のネタで記事にしているのは、うなり石バス停天城山隧道赤根隧道階段隧道と龍宮窟手石の謎トンネル彌陀山隧道小城隧道横の廃石丁場一色隧道松ヶ下トンネル竹之浦隧道

 

今宵ご紹介するのは、一色隧道から14分後に訪ねた物件。なんでここに寄ったのかはもはや全く覚えてないのだが、思い立って記事にしようと調べてみたらとっくに架け替えられているようだったので、追悼記事として上げることにした。

 

 

まずはこれ。

昭和中期の香り漂うコンクリート橋。

 

橋の向こうに見える道路に覆いかぶさった建物は、妻良公会堂であることがストビュー過去映像から判明した。実はあの建物も現存していない。まあガラッと変わっちゃってますわ。そのへんは最後に。

 

で、公会堂の下を通りぬけた先が国道136号、遠くに見えるのが国道の東條トンネル。

 

 

 

 

 

左の親柱は再建らしくノッペラボー。で右の親柱は…

「たいりょうばし」。いやこれはいい名前だ。漢字でどう書くのかまではっきりわかった。

 

 

 

 

 

なぜならばこの橋、

まさに漁港に架かっている(いた)んですな。川の名前は殿田川。改めて場所はこちら

 

 

 

 

 

こういった場所柄、橋の上では、

魚の開きが天日干しされていた。のどかだな~。

 

 

 

 

 

国道側より正対。

けっこういい雰囲気だったんだけどな~。

 

 

 

 

 

左の親柱に、やっぱりね、な橋名。

「大漁橋」。いかにも漁港らしい、縁起のいい名前!

 

 

 

 

 

で、右の親柱はお誕生日で

「昭和二十八(?)年五月竣工」。

 

さすがにこの立地だけあって、どの銘板も錆びかたが尋常でない。海のそばで金属銘板はアカンでしょ~。

 

という感じの長閑な漁港の橋…だった。

 

 

 

 

 

さて、わたくしの訪問からわずかに8ヶ月後のストビューがこれ。

正面が妻良公会堂で、緑のネットの下を道が抜けていて、その先に大漁橋があった…という位置関係だったが、この時すでに「水門設備(扉体)をつくっています」の看板どおり、橋周辺の改修が始まっていた。

その後のストビューで、遠目ながらも水門が完成し、橋も架け替えられているのが確認できる。諸行無常。

 

 

ひとつ不思議なのは、わたくし調べによれば大漁橋を擁するあの道は「妻良区内8号線」という南伊豆町道のはずなのだが、なぜかQ地図には大漁橋の記載がない。もしかしたら水門ができたことで、橋梁扱いではなくなった、みたいな事情があったりするんだろうか?

 

 

 

 

 

最後におまけ。

 

妻良区内8号線が妻良公会堂をくぐっていたその軒下の景がこれだったんだが、

なんかめっちゃいいなあって。それぞれにお年寄りが座ってる情景がありありと想像できた。誰がどの椅子とか、決まってそうな。

 

 

今はもうない、この漁港の歴史のひとコマ。

 

 

 

 

以上。