穴と橋とあれやらこれやら -35ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル豊栄トンネル芳ヶ入トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道

 

今宵ご紹介するのは新城への移動中、小町トンネルと豊栄トンネルの間に訪ねたトンネル。合わせて夜撮りトンネル三部作(笑)。

 

 

 

拙ブログでは珍しいテイストのトンネル。

こういうのは夜のほうが面白い。たぶん。現在地こちら

 

この当時、この国道247号バイパスは全通していなくて、この撮影位置である貴船交差点で途切れていたっけ。なので、交通量もこんな感じで。あ、時刻は22時50分ごろね。

 

 

 

 

まあ、なんともいえないテイスト。

昼間なら、撮らなかったかも。

 

 

 

 

お名前は、

荒子トンネル。

 

 

 

 

銘板。

2008年5月完成。訪問の4年半ほど前と、見かけどおり新しいものだった。

 

 

 

 

車で抜けて、東側より。

中央分離帯より。あーボケた…。

 

 

 

 

明るい昼間の写真をストビューから。

案外変わってないな。

 

 

 

 

向かって右のスロープから、

ちょっと珍しいアングルで。

 

 

 

 

まあ実際のところ、

こういうのも嫌いじゃないのよね…。

 

 

10分ほど遊んで、ここを離れた。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

(やっぱりフォント戻しました、自分の目を優先しました・笑)

 

【序】より続く。

 

 

連載のスタートは、この写真から。

全面通行止とのたまいつつ、道はフルオープン。罠に満ちた紀伊半島らしい展開に、思わずニヤけた。ほんとは好ましくないことなのに。

 

 

 

 

何やら書いてあるので、車を停めてよく読んだ。

「弘法杉林道分岐から田辺方面地すべりのため通り抜けできません。」そして「復旧の見込み 未定」。これだよ、これが紀伊半島なんだよ(笑)。

 

 

ところで、弘法杉林道分岐ってどこだっけ(当時はこの程度の予備知識さえなかった)。いずれ、これでピストンは確定ってことか…。

 

本当は、まさにここに「できませんよ」と書かれているとおり、田辺方面(ってこれ全部田辺市内のことなんだけどね。どんだけ広いんだって話)に抜けるつもりだった。が、それができないとなれば、行けるとこまで行くのみ。その限界点までに最終ターゲットである6つめの隧道が収まっておればいいのだが。

 

 

 

 

ところで、これからトレースしていく道は、ほぼまるまるかつての大塔森林鉄道本線の路盤の転用であるらしかった。(再度書くけど当時の認識はこれくらい)。で、これは後に知るのだが、この「全面通行止」看板が立てられていたこの場所こそが、大塔森林鉄道本線の起点である「広瀬土場」であったようだ。

 

改めてストビューで。

熊野川漁業監視員詰所が置かれているここ、広くなっていていかにも土場の雰囲気を残している。知った時には「ああやっぱりね」となった。というわけで、連載のキックオフにはここが相応しいかなと。

 

ちなみにここを発った時刻は、8時26分。以降連載の中で随時時刻を記載していく。

 

 

 

 

 

さて、最初のネタは、この広瀬土場跡から500mほど進んだこちら

事前にはノーマークだったんだが、早くもストップ。この見事な枝ぶりの巨樹はどうかね?

 

 

 

 

もちろん停まったのは巨樹のためだけじゃなく、

本業(笑)である橋、そして向こうに見える魅惑の石垣と石段の上の祠のため。

 

 

 

 

なによりも、さらにもいっちょ。

滝もあるときたもんだ!

 

 

 

 

改めてこの一帯の全貌がこの景なんだが、

いや、これは停まらざるを得んでしょ!最高のプロローグですやん!林鉄が現役だったころのここの景、見たいわ~。

 

 

 

 

まずは、橋。

シンプルで不愛想な、実用一辺倒な橋。親柱はすべて揃っていたものの、何も語らず。Q地図様によれば、お名前は大塔線1号橋、完成年は不明、とのこと。

 

 

ここでちょっと文字数を使うが、お名前の示すとおり、道路は市道大塔線に入っているのか?これがいまいちよくわからない。

各種地図ではこの先まだしばらくは県道色で、和歌山県道241号静川請川線が続いているように描かれているのだが、Q地図様によればすでに路線名は「市道大塔線」となっている。広瀬土場跡手前の「無名橋」はまだ路線名が「静川請川線」となっているので、もしかして実は広瀬土場跡が今も路線界になってる?

 

 

 

が、実はこのような資料も見つけてしまい…。

(ネットで出てきた、おそらく田辺市土木課作成の資料を拝借)


2015年の資料らしく、通行止め云々は無視していただきたいが、これを見ると広瀬土場跡よりもさらに前、静川集落の手前あたりで市道に変わってるっぽいのだが、ストビューでそのあたり見てみても、特に気になるものは見つけられなかった。

 

まあ管理者の作った資料なんだから間違いないだろうが、どういうことなんだろう。二重戸籍的な?てきな?

 

もしかしたら「あのお方」が教えてくださるかも…(笑)。

 

 

 

 

 

橋に戻りまして。

橋がまたぐ谷の名前は不明だが、すぐ下で大塔川本流に流入している。

 

 

 

 

渡ってほぼ正対。

大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年ということなので、車道転用後に架け直されたものだろう。確か橋の下も確認したはずなので、写真がないってことはみるべきものがなかったのだと思う。

 

 

 

 

さて、橋もそこそこに…

やっぱあちらが気になる。素晴らしいよね、この空間。背筋が伸びるわ。

 

 

 

 

石段下の手水鉢、

醸してるね~。

 

 

 

 

石段を登ると、

鳥居があり、その上に簡素ながらもしっかりした祠が。

 

 

 

 

掲げられた扁額には、

髙倉神社とあった。しめ飾りはお正月のもの?

 

でも荒れた雰囲気はなく、定期的に手入れされている様子。こういう場合の通例どおり、わずかなお賽銭を納めて手を合わせ、無事に帰宅できることを願った。

 

 

 

 

そして至近に見えている滝へ。

名称不明だが、シンプルで美しい直瀑。当然神社よりも先に滝があったんだろうし、ここに神社を勧請したくなる気持ち、わかる。

 

 

 

 

上の写真撮影位置からの、橋見下ろし。

思えばあの巨樹、すんごいとこに踏ん張ってるなあ。あれがあるおかげで、雰囲気四割増しだ。

 

 

 

 

最後に、高~い石垣の上からのノートさん見下ろし。

この日、ノートさんは実によく頑張った。てか、この3日間の探索でとてもよく頑張った。

 

すでにお別れすることが確定していたうえでのこの探索だったので、ちょっと感傷的になってこんな写真も撮ったっけ。

 

 

 

では、進軍再開しよう。時刻は8時46分。

 

 

 

たぶん来月…の【2】に続く。

 

 

 

 

 

重い腰を上げて、この連載を始めるか~。

 

 

ただ、普通に連載するとかなりのボリュームとなりそうなので、過去何度かやったように、月イチペースくらいでの毎月連載の形でやってみようと思う。ただし初回だけは、この【序】に続いて【1】をやるつもりだ。

 

 

そもそも記事タイトルが非常に悩ましい。内容的には2022年5月3日、ノートさんラストラン@紀伊半島の初日に、和歌山県田辺市本宮町を流れる大塔川沿いを遡上し、その途上にある6本の隧道たちを攻略した、というのがキモなんだが、その路線名が実に三度も変わっちゃうので、キャッチーな感じにできないんだな。

一般的には安川大塔川林道という名が通りがいいのだが、先述のとおり実際の路線名称はそう単純ではない。悩んだ結果、なんか凡庸な「大塔川遡上の旅」となってしまったので、それに「神経摩滅」というキーワードを追加してみた。これどういう意味なのかは、徐々に…。

 

ちなみにこの日のネタでは某連載をすでにアップしているが、それについても連載中においおい、ね。

 

 

 

 

ともあれそのスタートは、

和歌山県道241号静川請川線から始まる。

 

 

ひとつ最初にお伝えしておこう。ちなみに訳あってこの探索は同じ道をピストンでおこなったのだが、上の写真を撮影したのは朝の7時34分。場所はここ。そしてこの場所に戻ってきた時刻は、17時20分!

 

もちろんその間に某連載で紹介済みの探索を含む多くのストップはあったのだが、それにしても10時間って尋常じゃないでしょ。その「尋常じゃなさ」の理由が、「神経摩滅」の理由でもあったわけなんだが。

 

 

 

次回、連載スタートの場所は、このヘキサよりもまだ4kmほども奥となる。その間にもいくつかの立ち寄り地/物件もあったのだが、それらは別の機会に譲り、「相応しい場所」から始めたいと思う。

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

 

 

 

 

以下全然関係ないのだが、試験的に文字サイズを小さく…というかだいぶ以前のサイズに戻してみた。自分がすでに老眼で小さい文字が見にくいのでサイズを上げて書いてたんだが、多くの方がスマホでご覧いただいているというデータがある中、かえって見にくいのかなあ…とかねてから思っていたので。

 

よかったらご意見ご感想お待ちしてます。でも最終的には自分で決めますので悪しからず(笑)。

 

 

 

 

第二合併橋から東に見えたもの、それは…

 

 

 

 

 

 

なんぞアレ!?

これまで見たことない構造物がそこにはあった。これはもちろんズームしてるので肉眼ではさらに正体不明。あれはヤバイぞと。

 

 

 

 

つうわけで、第二合併橋を後にして、

やってきました~。場所はこちら

 

ハイハイ、やっぱりこれは堰ですな。現役なのかは疑問だが。いやしかし、このビジュアルよ。ヤバない?

 

 

 

 

で、わたくしまたも発見してしまった(こればっかり)堰の歩廊部分側面に、文字が刻まれていることを。

 

一番奥のスパンには

「伊佐沼堰」。第二合併橋と違い、今度は右書きだ。

 

 

 

 

中央のスパンには

「昭和六●」。●が判読不能だが流れ上「年(を意味する漢字)」でないとおかしい。

 

 

 

 

そして手前のスパン。

「四月竣功」。

 

伊佐沼堰 昭和六年 四月竣功。まあ何と行き届いた計らい(笑)。この規模の物件においてはおしなべて現場で得にくい情報が、こうもクッキリハッキリと示されて嬉しい限り。それも単に文字を刻むではなく、扁額っぽい感じで設えてあるのがニクイ。

 

 

 

 

第二合併橋より28年先行してつくられた伊佐沼堰、

もちろんこの姿がオリジナルかどうかは断言できないが、

 

 

 

 

情報が刻まれた歩廊部分のコンクリートと経年感が変わらないことから、

おそらく当初からこのデザインなんだと思う。

 

 

 

 

橋梁ではないけれど、

これもまた昭和の混凝土物件の魅力あふれる物件。

 

 

 

 

加工しやすく整形しやすいコンクリートの美点を活かしたこの軽やかなデザイン、

見てるだけで楽しくなる。

 

アーチの上面にはいくつか穴が開けられていて、もしかしたらスルースゲートの巻き上げ設備みたいなものがあったのかもしれない。ていうか今さらだけど、水切りが尖ってるから、こっちが上流側になるのね。

 

 

 

 

堰上から遠望する、第二合併橋。

こういうロケーション、どこか滋賀っぽくて落ち着くのよね~。そういえば埼玉と滋賀って、後に某映画でフィーチャーされたカップリングですやん。

 

 

 

 

ようやくはっきり書ける、上流右岸側より。

やっぱり、現役じゃないよなあすでに。

 

 

 

 

いや~しかし、

なんぼ見ても飽きないね!

 

 

 

 

個人的にもっとも萌えたのが、

この「ぴょこん」。めっちゃカワイイ~(病再来

 

 

 

 

最後に遠望で、

伊佐沼堰と第二合併橋のツーショット。

 

はるばる歩いてきただけの価値がある、素晴らしいものを見せてもらった。

 

 

 

以上。

 

 

 

2023年1月30日に敢行した「歩ケ歩ケ川越」。この日のネタで記事にしているのは富士見橋のみ。今宵ご紹介するのは、中盤に訪ねた物件。

 

 

本川越駅をスタート/ゴールとして大きく時計回りで歩いたこの日、思えば最も遠くまで足を延ばしたのがこのあたりだったかな。

はい、見えてきた。

 

 

 

 

こちらが、お目当ての橋。場所はこちら

風合いが素晴らしいコンクリート橋。わかってもらえるかなあ、この感じ。

 

 

 

 

そしてわたくし、すでに気づいてしまった。

側面にお名前が刻まれている!

 

「第二合併橋」。それが当橋の名称だ。由来が気になるところだが、たぶん文字どおり近隣の村が合併で川越市に併合されたこと、じゃないかと。この細い川(旧赤間川)が境界だったのかも。ちなみ近隣には、シンプルに「合併橋」も存在している。

 

 

 

 

北側より。

 この「みゅいーん」と広がった高欄がまたよろしいではないの。

 

 

 

 

うーん、

極めてセクシーだと言わざるを得ない(病

 

 

 

 

親柱には、

改めて「第二合併橋」。

 

 

 

 

いやほんとに、

なんとも、いいよねぇ〜〜。酔いしれちゃう。

 

この写真は、だいぶ前にインスタに上げたやつ。そこでも書いたが、「昭和の混凝土橋梁の魅力」が詰まってるように思った。

 

 

 

 

いや、いいよぉ〜(しつこい)。

 

 

 

 

お誕生日は

「昭和丗二年五月竣功」。

 

ウィキ先生によると、昭和30年に近隣の農村と合併して今の市域ができたとあるので少しタイミングは食い違うけど、他に由来になりそうなことも考えつかない。

 

 

 

 

橋上から望む、東側(下流側…かどうか判断付かん)

ここでわたくし、遠くに見えたあるものに心乱された。なんだあれ?

 

この写真ではほぼ分からないが、見逃してはいけないものだと思った。なのでこの後そちらへ向かったが、それはまた次回に。

 

 

 

 

南側より正対。

県道側から見るのと高欄の広がり具合(みゅいーん具合)がだいぶ違うように見えるのは錯覚だろうか?

 

 

 

 

まあこう見ると、

そんなに違わないが。

 

 

 

 

サイドビューで…あっ、

こっちにもあった。

 

 

 

 

日影で見にくいけど、

「昭和丗二年五月竣功」。こういうイレギュラーな場所の情報って、見つけたら嬉しいよね〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

西側(上流側…かも)からのサイドビュー。

コンクリート(=混凝土)ならではのこの造形。実に素晴らしい。

 

何度も過去に書いてるが、この手の橋はすでに耐用年数を過ぎたものも多く、今後どんどんその数を減らしていくだろう。少しでも多く記録しておきたい。

 

ちなみにこの第二合併橋の健全度判定区分は「2」(予防保全段階)。まあ平成30年の調査と少し前だが、まだしばらくは活躍してくれそうだ。

 

 

 

こうして当橋を堪能した後、先ほど橋上から見えた「けしからんもの」を見に行った。せっかくなんで、続いて【次回】にそれをご紹介しよう。