2011年10月30日、第二次伊豆探索。この日のネタで記事にしているのは、うなり石バス停、天城山隧道、赤根隧道、階段隧道と龍宮窟、手石の謎トンネル、彌陀山隧道、小城隧道横の廃石丁場、一色隧道、松ヶ下トンネル、竹之浦隧道。
今宵ご紹介するのは、一色隧道から14分後に訪ねた物件。なんでここに寄ったのかはもはや全く覚えてないのだが、思い立って記事にしようと調べてみたらとっくに架け替えられているようだったので、追悼記事として上げることにした。
まずはこれ。
昭和中期の香り漂うコンクリート橋。
橋の向こうに見える道路に覆いかぶさった建物は、妻良公会堂であることがストビュー過去映像から判明した。実はあの建物も現存していない。まあガラッと変わっちゃってますわ。そのへんは最後に。
で、公会堂の下を通りぬけた先が国道136号、遠くに見えるのが国道の東條トンネル。
左の親柱は再建らしくノッペラボー。で右の親柱は…
「たいりょうばし」。いやこれはいい名前だ。漢字でどう書くのかまではっきりわかった。
なぜならばこの橋、
まさに漁港に架かっている(いた)んですな。川の名前は殿田川。改めて場所はこちら。
こういった場所柄、橋の上では、
魚の開きが天日干しされていた。のどかだな~。
国道側より正対。
けっこういい雰囲気だったんだけどな~。
左の親柱に、やっぱりね、な橋名。
「大漁橋」。いかにも漁港らしい、縁起のいい名前!
で、右の親柱はお誕生日で
「昭和二十八(?)年五月竣工」。
さすがにこの立地だけあって、どの銘板も錆びかたが尋常でない。海のそばで金属銘板はアカンでしょ~。
という感じの長閑な漁港の橋…だった。
さて、わたくしの訪問からわずかに8ヶ月後のストビューがこれ。
正面が妻良公会堂で、緑のネットの下を道が抜けていて、その先に大漁橋があった…という位置関係だったが、この時すでに「水門設備(扉体)をつくっています」の看板どおり、橋周辺の改修が始まっていた。
その後のストビューで、遠目ながらも水門が完成し、橋も架け替えられているのが確認できる。諸行無常。
ひとつ不思議なのは、わたくし調べによれば大漁橋を擁するあの道は「妻良区内8号線」という南伊豆町道のはずなのだが、なぜかQ地図様には大漁橋の記載がない。もしかしたら水門ができたことで、橋梁扱いではなくなった、みたいな事情があったりするんだろうか?
最後におまけ。
妻良区内8号線が妻良公会堂をくぐっていたその軒下の景がこれだったんだが、
なんかめっちゃいいなあって。それぞれにお年寄りが座ってる情景がありありと想像できた。誰がどの椅子とか、決まってそうな。
今はもうない、この漁港の歴史のひとコマ。
以上。