善佐衛門橋 (佐賀市多布施) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2017年7月16日、福岡出張中の休みに敢行した、酷暑の佐賀市街地自転車彷徨。この日のネタで記事にしているのは、本番前の立ち寄りである赤坂川橋梁と、開運橋川原町の鋼製水管橋恵比須橋思案橋法無乱橋

 

 

 

まずはこれ。

どういう橋だか、おわかりだろうか?現在地こちら

 

 

 

 

 

上流側からのサイドアングル。

そう、橋脚も床版も高欄もすべてが石造!の、石桁橋である。

 

佐賀市街地の川ってこういうどっちが上流かもわからないようなのが多いのだが、ここは簡易ゴム堰?のおかげでこっちが上流だと知れた。

 

 

 

 

 

続いて下流側より。

橋のこっち側が広がっているのは後年の改修…だと思われるが、よくわからない。

 

 

 

 

 

手前の親柱には、

「善佐衛門橋」。

 

 

 

 

 

橋上の様子が、いいの。

無造作に(ってわけでもないんだろうが)渡された石桁。長年に渡って踏まれてきたその自然な摩耗具合が、いや、実によろしいな~。

 

以前記事にした、同じ佐賀市内の中の橋には一歩譲るが、これもまた素晴らしい橋だ。

 

 

 

 

 

上の写真にも写っているが、渡った先には案内看板が。

読めますかね?内容を書き出してみようか。

 

善左衛門橋

 

宇野善左衛門は多布施の資産家で隠居してから向西と号した。

向西は多布施町から伊勢町に通じる土橋(護国神社西北隅)が老朽化し、通行が困難であったので自費で石橋に架け替えを願い、明和元年(1764)7月10日に完成し渡り初めの費用も自費で賄った。

これが多布施川に架かっている「ぜんじゃあばし」(善左衛門橋)で、明治33年一部補修したが、現在橋の右側に古い橋脚の部分が残っている。寛政13年(1801)1月4日84載で死去。西峰院に葬られている。

 

…こういう橋が、普通に街中でバリバリ現役張っとるんですよ。これが佐賀クオリティ。関西じゃ考えられない。

 

 

 

 

 

橋の右側ってこれか?

「古い橋脚」…それってすなわち竣工当時、260年前のものって意味か?たぶんそうよね。凄いなあ…。

 

 

 

 

 

こちらの親柱には、

橋名が仮名で刻まれているっぽい。

 

ちなみに、残る二か所の親柱の写真を一切撮ってないんだが、何も情報が刻まれてなかったってことだろうか。もはや記憶なし。

 

 

 

 

 

改めて、南側より正対。

市街地にとけこんで、いいね~。

 

 

 

 

 

最後におまけ。

 

上の写真でも小さく写っているが、橋の北側に

「善左衛門恵比須」。

 

実は佐賀市内には、日本最多と言われる800余体もの恵比須様が存在し、「さが恵比須八十八ヶ所めぐり」なんてのもあるらしい。わたくしもそりゃもうあちこちで目にしたものだった。

 

ちなみにこの善左衛門恵比須は、八十八ヶ所には含まれていないようだ。

 

 

 

 

 

以上。