穴と橋とあれやらこれやら -314ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ番外編(笑)。

 

2019年10月6日に敢行した、大津市南部の仁丹看板一網打尽作戦。その中で最初に訪問し、かつ特筆すべき状態だったものをご紹介。ホントはもっと早くやらないといけない物件だったかも。いや逆に、記事にしない方がいいのかも…。

 

 

ここのは、事前にストビューで場所が特定できていた。なので、もう楽勝気分でやってきたのだが、車で前を流してみたら…あれ?見つからないぞ?マジか?

 

 

 

つうわけで、車を止めて再度徒歩にてアプローチ。

あ、この写真には写ってませんよ?

 

 

現場に戻ったが、ストビューで見た「ここに付いてたはず」な柱には姿形なし。な、なんと…これはもしかして撤去されちまったのか?あるいは盗まれたのか?

 

 

やってもうたーー!もっと早く来てれば…。

 

トボトボと車に戻りかけて…諦めきれずに最後にもう一度現場付近を舐めまわしてみた。

 

 

 

 

すると…。

 

 

 

 

現場は私有地なので、引き写真は控えてズームのみで。

 

アッター!

 

付いてた柱から脱落したのだろうか、なんと、その奥の資材など置き場スペースの一角にひっそりと隠れるように置いてあったのだった。

 

 

 

 

 

先述のようにここは私有地、個人の倉庫兼資材置き場と思われる場所。自宅ではないので、人がおられず、立ち入り許可もいただけない。

 

 

ここは泣く泣く指をくわえて撤収…

 

 

 

するほど聖人君子ではないのだ、わたくし。

サッとお邪魔して、全体だけ撮影させていただき、サクッと撤収。ヒット&アウェイってやつですな(笑)。もちろん目立たないように元に戻してきましたぞ。

 

 

 

 

つうわけで、この時点で現存は確認。

 

無くなってなかったのはありがたや。しかしこれはどういう状態なんだろうか。取り付け直すのか、放置か、あるいは処分待ちなのか。最後の選択肢でさえなければ文句はないのだが…。

 

さらに気になるのは、【5】でコメントくださった方がこの2ヶ月強後に訪問されて見つからなかったとの情報。この状態ならお気の毒にも見つからなくとも仕方ないが、単にそれだけなのか、あるいはほんとになくなったのか。

 

やはり見に行かないといけないな。

 

 

近いのでサッと見に行きたいところだが、実は…先日の徘徊で自分史上初のパンクをやらかしちゃって(汗)。

と言っても、 いわゆるスローパンクチャーで、当日は全然気づかなかったんだが、この前の土曜日に乗ろうとしたら、左リアがペッチャンコ(爆)。あの日後半に入り込んだ林道で何か踏んだのだろうと…。

タイミング悪くSTAY HOMEが終わって仕事が始まってしまうので、しばらくタイヤ交換できませんな…。ところで、タワー式駐車場でタイヤ交換ってできるのか?まあプロなら何とかしてくれるだろう。

 

 

 

最後にお約束の?リストで〆。

 

1、膳所網町 現地確認済み

2、新栄町 現地確認済み

3、上馬場町 現地確認済み

4、元会所町 現地確認済み

5、上京町 (現地確認済み、記事未

6、山中町(A) 現地確認済み

7、雄琴千野町 (現地確認済み、記事未

8、東浦垣内町 (現地確認済み、記事未

9、神出小関町 (現地確認済み、記事未

10、船頭町 (現地確認済み、記事未

11、柳町 (現地確認済み、記事未

12、膳所大津町 (現地確認済み、記事未)

13、膳●●● 現地確認済み

14、大石曽束町 (現地確認済み、本記事)

15、田上森町 (現地確認済み、記事未)

16、田上石居町 (現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町 (現地確認済み、記事未)

18、山中町(B) (探索するも不明)→ほぼ消滅?

19、東上栄町 (探索するも不明)→ほぼ消滅?

20、南滋賀町 (消滅)

※現地確認済み分は、確認した順

 

 

 

以上。

 

 

 

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十三弾。

 

2012年4月18日、栗東~湖南方面徘徊の際に立ち寄った物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、序盤の御園橋と終盤の宇川橋

 

 

 

まずはこの写真。

いや~、滋賀ですな~(笑)。

 

左端に写りこんでいるのは、JR草津線の築堤。奥が草津方面になる。

 

 

 

 

 

 

で、撮影しているこの場所の足下にあるのが、

この煉瓦暗渠。場所はコチラ

 

以前記事にした大沙川隧道の時にも書いたのだが、この草津線は関西鉄道の手によって1889(明治22)年に開通した古参路線。よって沿線には明治期の煉瓦構造物がたくさんある。ここもその一つ。

 

 

 

 

 

水路を通す暗渠だが、この日は水がなく、

普通に人道サイズの煉瓦隧道たる趣。

 

 

 

 

 

 

 

基壇部は切石積みで、イギリス積みの側壁よりも少し出張っている。これは、アレかな?

 

 

 

 

 

 

ここで、こんなペイントを発見。

知ってなきゃ読めなかったかもしれないのだが、これ「落合川」と書かれてるよな?

 

実は(地図でもわかるとおり)この煉瓦暗渠のすぐ東を流れる川があり、この名前が落合川という。草津線はこの川は普通のガーダー橋梁で渡っており、普通に考えればそれが落合川橋梁だと思う(不覚にも名称確認忘れ…)のだが、このペイントを見ると、どうやらここがそうなのか?

 

考えた結果、正確にはここはアーチカルバートなので、同じ落合川でも「橋渠」という仮称をつけた。

 

 

 

 

 

抜けて正対。

反対側と同じくアーチ環の巻厚は四層。

 

 

 

 

 

 

で、反対側では見えにくかったのだが、

最上部は焼過煉瓦、その下には鋸歯状のデンティル。

 

 

 

 

 

 

ちょうどいいタイミングで列車が通りかかったので、

思わず一枚。


 

 

実はこれで終わりではない。

 

先ほど書いたように、上の写真で言うとすぐ右のフレーム外あたりで落合川を渡るのだが、渡ってちょいと行ったところにも「ある」んだな、もういっちょ。

 

なので当然、川を渡ってそちらにも訪問。ちなみに川を渡る橋のそばにあるのが、以前記事にした石部東の装荷線輪用櫓だったりする。

 

 

 

 

 

で、それがこいつ。一応地図コチラ

アーチ環に焼過煉瓦が使われているのが目を引く。

 

 

 

 

 

 

こちらも先ほどと基本的に造りは同じ。

違いは、さっきのよりも一回り大きいとこかな。

 

 

 

 

 

 

それと

基壇部の出っ張りも、ちょっとだけこっちの方が大きい?気のせいかな?

 

さっきも思ったが、これもしかしたら以前、板を渡して内部を歩けるようにしてた時期があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

反対側も同じ。

またしても見えにくいが、鋸歯状のデンティル、この橋渠にもあった。

 

 

つうわけで、草津線の良質な小品二題、まとめてご紹介した。そういえば最近、まとめて紹介するパターンが増え始めてるな…(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十二弾。

 

2017年7月23日、ダホンちゃんで近場を徘徊した際に見つけたネタをご紹介。好きな感じのやつだ(笑)。

 

 

 

まずはこの写真。

あの遥か彼方から走ってきたのを振り返ってるのだが、

 

 

 

 

 

 

 

同じ場所で向き直ると…

あは~ん(笑)。 場所はコチラ

 

思いっきりブッタギレた道路の先には田んぼが広がり、

 

 

 

 

 

 

 

その先には…

日清食品…ぢゃなくて

幅広の堂々たる橋だけができ上がってる!

 

 

 

 

 

 

 

あそこへ行くのに通るのは、

この畦道(笑)。一枚目写真との落差がエグイ。

 

これは間違いなく未成道路。土地の取得ができてないのか、計画自体がなくなったのか。いや、「100m先工事中」ってことは着々と進行中?

 

 

 

 

 

 

 

ということで橋のそばまで来てみると、

「工事中」なのは川べりの市道であることが判明。この未成道路自体の工事じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この橋だ。

歩道部、広っ。仮設か?

 

橋だけができ上がってて、道路との擦り付けさえ為されてないとか、完全に未供用橋だ。完成はしてると思うのだが、銘板が見当たらないのでお名前とかわからない。もっとなにか情報が欲しい…。

 

 

 

 

 

なので、サイドアングルを見てみた。

まったくもって近代的なコンクリート桁橋…って、銘板あった!

 

 

 

 

 

 

 

どれどれ。

うーん、2004年3月というお誕生日は判明したが、お名前は書かれてなかった。残念…。 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から望む下流側。

川の名は葉山川という。向こうに見えるは国道1号と新幹線。

 

 

 

 

 

 

こちら下流側。

工事中と書かれていたのはこの両岸の市道のことだった。実際作業されてる方がおられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

橋の先もまた道はなく、

このような不自然な迂回路へ誘導される。

 

 

 

 

 

 

 

 

んで、既設っぽい細道に接続し、

本来の葉山川堤っぽい堤防上へと。

 

 

 

 

 

 

 

その堤防上から望む、

道路があるべき場所と未供用橋、そしてさらに向こうには例のブッタギレ地点。

 

 

 

調べてみたところ、平成23年9月に栗東市建設部都市計画課によって作成された、「栗東市都市計画道路見直し方針」という資料を発見。

それによるとこの未成道路は、市道青地新田坊袋線の未整備区間。「道路の整備状況や地域のまちづくりとの整合性を考慮すべき路線」という、まさにお役所表現の典型みたいなカテゴライズがされておりいろいろ書いてあったのだが、結果よくわからなかった(爆)。でも意外なことに、計画がなくなったわけではないようだ。 

 

 

 

いや~、でもなあ。下の航空写真モードで見ていただくとわかると思うが、ちゃんと橋の前後に道路が造られたとして、こんなところに国道1号の流れを阻害するような新たな交差点を造るとは到底思えないんだが?

 

 

どうすんだろう。

 

 

あ、そうか、「道路の整備状況や地域のまちづくりとの整合性を考慮」するんですな(笑)。

 

 

 

 

 

 

なんだかんだで、できる気がしないこの道路。

この立派な橋が、持ち前のスペックを遺憾なく発揮する日は来るんだろうか?と思いながら、現場を後にした。

 

 

 

この後の徘徊で見つけたのが、上鈎の陸閘付き橋二題

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十一弾。

 

2012年4月5日の湖西~湖北徘徊で訪ねた橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、安曇川大橋旧、旧々上ノ瀬橋雨谷橋保坂のカルバート北川橋。時系列では北川橋の次になる。

 

 

 

タメなく、こちら。

はい、吊り橋であります!場所コチラ

 

 

 

 

 

 

シンプルさが好ましいこの吊り橋、

どうやら主塔も含めて木製のようだ。

 

 

 

 

 

 

真新しく見えるその主塔に刻まれたお名前は、

「下野橋」。

 

 

 

 

 

 

注目すべきはコチラ。

平成八年九月吉日「再建」

 

これは…流失したか老朽化したか、何らかの理由で架け直されたってことか。これは…せつない。記事タイトルで「察し」となるだろうが。

 

 

 

 

 

 

そしてお約束(謎)、拝みアングル。

ふむ、床版の下にはなんもなし、と。踏み抜いたらアウトなやつですな。

 

 

 

 

 

 

まあでも、

大丈夫そうだ。

 

 

 

 

 

 

当時のわたくし、ろくすっぽ撮影もせず渡っちゃってまして、

いきなり対岸から。

 

まあまあの水勢で流れる高時川。以前この橋がもし流失する事態になったのなら、その水位は左手の方に見える家屋たちもかなりヤバいことになったと思う…。

 

 

 

 

 

 

渡った先には畑しかなさそうに見えた。まあ生活の橋ってことになるんだろう。なので、すぐに撤収した。

 

 

ここで改めて指摘しておきたい、この橋の特徴。

 

これ、普通に立って撮影したものだが…わかるだろうか?それは…

メインケーブルの位置が…低すぎじゃないかね?

 

 

 

 

 

 

一番低い中央部分とか、

完全にヒザ下(汗)。これはちょっと怖い。

 

 

 

 

 

 

さて、まことに残念ながらこの橋、数年前に無くなってしまったようだ(2018年3月に訪問された「うさ★ネコサンド」さんの記事参照)。

 

これまた流失したのか、あるいは無用となり撤去されたのか。詳細は不明なんだが、「再建」と刻まれて丁寧に仕上げられたあの主塔を思い出すと、なんだかせつない気持ちになる。

 

 

その後再建(再々建)されたのかどうかも知らないが、どなたか現状をご存じないかな?(チラッ

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十弾。

 

2012年9月16日、湖東方面徘徊の際に見つけた、いい雰囲気の橋たちをご紹介。この日のネタで記事にしているのは、木濱橋立田橋

 

 

 

 

なぜかボケた写真から始めるのがシャクなんだが、

まずはこの橋。場所はコチラ

 

西から正対。地図でわかるとおり、正面は織田信長の居城であった安土城跡擁する安土山である。

 

 

 

 

 

 

お名前は、

「百々橋」。

 

 

 

 

 

 

お誕生日は

「昭和貮拾六年成」。

 

欄干はコンクリっぽいが、擬宝珠を模した親柱は石。もうちょっと古いかと思ったけどな。

 

 

 

 

 

下に降りてのサイドアングル。

うむ、実にいい。素晴らしい雰囲気~。

 

 

 

 

 

 

で、橋の西詰たもとにこんなのを見つけた。

「内務省」の標柱。

 

内務省といえば、昭和22年にGHQにより解体されるまで大日本帝国時代に内政の重要部分ほぼすべてを司っていた重要省庁。その管理標柱がなぜこんなところに?

 

 

 

 

 

その答えかもしれない標柱がもう一本、すぐ近くにあった。

「史蹟境界」。

 

もちろん安土城址一帯は明治の世から史跡として保護されてきたのだろうから、それ関連の標柱だと思われる。そのあたりも内務省管轄だったってことではないかと。

 

 

 

 

 

橋を渡りながら下流方向を見ると、

イイ感じの橋がもう一本。後ほど訪ねよう。

 

 

 

 

 

 

 

渡って東側より正対。

明治時代の地図を見ても、この場所には橋が架かっている。確かに古道の雰囲気が感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

左の親柱はお誕生日、そして右は

変換できないが「どゝはし」と。

 

 

 

 

 

 

 

橋の下流側には、

このような煉瓦組の一角が。

 

溝が切られていることから、止水設備の遺構だと思われる。木製の落とし戸なんかで流れを止める感じの。…知らんけど。

 

 

 

 

 

 

さて、百々橋から百mほども北上すると、

先ほど見えていたもうひとつのステキ橋へ到着~。場所コチラ

 

かなり狭い橋だ。軽自動車でギリかなと。え?いやだなあ、チャレンジしてませんし(笑)。

 

 

 

 

 

 

お名前は…おおっ。

「百々小橋」。

 

初めて書くかもだが、例えばAという橋があって、その付近にある「A小橋」ってパターン、好きなのよ。ここみたいにもともと百々橋自体もけっこうささやかな橋なのに、それに対しての小橋とか、もう大好き。萌える(爆)。

 

 

 

 

 

 

お誕生日は

「昭和三十一年三月」。あら、これまたもうちょい古いと思ったけどなあ…。

 

 

 

 

 

 

このあたりのテイストとか見ると、ねえ。

戦前橋って線もアリかな?とか思ったけど。

 

 

 

 

 

 

渡りましての、正対。

日なたと日陰のコントラストが…(汗)。

 

 

 

 

 

 

 

左の親柱はお誕生日、右は

「どこはし」…に見えるな(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ここも下に降りてのサイドアングル。

川べりに降りられる階段なんかも含めての、水辺の風景として素敵だ~。

 

 

 

まったくの余談だが、安土には、密かにあっためてる企画の目的地がある。いつやるかは未定、記事にするかも未定(笑)。記事にするときに公表しよっと(笑)。

 

 

 

 

以上。