STAY HOMETOWN@滋賀シリーズ第十弾。
2012年9月16日、湖東方面徘徊の際に見つけた、いい雰囲気の橋たちをご紹介。この日のネタで記事にしているのは、木濱橋と立田橋。
なぜかボケた写真から始めるのがシャクなんだが、
まずはこの橋。場所はコチラ。
西から正対。地図でわかるとおり、正面は織田信長の居城であった安土城跡擁する安土山である。
お名前は、
「百々橋」。
お誕生日は
「昭和貮拾六年成」。
欄干はコンクリっぽいが、擬宝珠を模した親柱は石。もうちょっと古いかと思ったけどな。
下に降りてのサイドアングル。
うむ、実にいい。素晴らしい雰囲気~。
で、橋の西詰たもとにこんなのを見つけた。
「内務省」の標柱。
内務省といえば、昭和22年にGHQにより解体されるまで大日本帝国時代に内政の重要部分ほぼすべてを司っていた重要省庁。その管理標柱がなぜこんなところに?
その答えかもしれない標柱がもう一本、すぐ近くにあった。
「史蹟境界」。
もちろん安土城址一帯は明治の世から史跡として保護されてきたのだろうから、それ関連の標柱だと思われる。そのあたりも内務省管轄だったってことではないかと。
橋を渡りながら下流方向を見ると、
イイ感じの橋がもう一本。後ほど訪ねよう。
渡って東側より正対。
明治時代の地図を見ても、この場所には橋が架かっている。確かに古道の雰囲気が感じられる。
左の親柱はお誕生日、そして右は
変換できないが「どゝはし」と。
橋の下流側には、
このような煉瓦組の一角が。
溝が切られていることから、止水設備の遺構だと思われる。木製の落とし戸なんかで流れを止める感じの。…知らんけど。
さて、百々橋から百mほども北上すると、
先ほど見えていたもうひとつのステキ橋へ到着~。場所コチラ。
かなり狭い橋だ。軽自動車でギリかなと。え?いやだなあ、チャレンジしてませんし(笑)。
お名前は…おおっ。
「百々小橋」。
初めて書くかもだが、例えばAという橋があって、その付近にある「A小橋」ってパターン、好きなのよ。ここみたいにもともと百々橋自体もけっこうささやかな橋なのに、それに対しての小橋とか、もう大好き。萌える(爆)。
お誕生日は
「昭和三十一年三月」。あら、これまたもうちょい古いと思ったけどなあ…。
このあたりのテイストとか見ると、ねえ。
戦前橋って線もアリかな?とか思ったけど。
渡りましての、正対。
日なたと日陰のコントラストが…(汗)。
左の親柱はお誕生日、右は
「どここはし」…に見えるな(笑)。
最後に、ここも下に降りてのサイドアングル。
川べりに降りられる階段なんかも含めての、水辺の風景として素敵だ~。
まったくの余談だが、安土には、密かにあっためてる企画の目的地がある。いつやるかは未定、記事にするかも未定(笑)。記事にするときに公表しよっと(笑)。
以上。