【2】より続く。
旧保坂橋を発見してほくほくの自分を打ちのめした、別の煉瓦アーチの存在。なんてこった!また行かないと!
と思い続けて11ヶ月。2012年4月5日、ようやく再訪の機会が訪れた。場所はコチラ。
ご覧のように旧保坂橋のすぐそば。不覚にもチェックしなかった、国道367号線上の現役橋梁である。
さっそく国道からズリズリ~と降りてみると
会いたかったぜ~
ORJに載ってた写真は間違いなくこっちだ。やっぱりここにいたのね~!前回、上流にある渡河ポイントをチェックして外れていたので、あるとしたらここしかないと思っていた。てか、なんでよりによって前回ここだけチェックせんかったんやろ(泣)。
さっそく接近。
イイねぇーー!!
旧保坂橋はモルタル補修されていたが、こちらは手つかず。オリジナルのままだ!ヒャッハァー!
笠石が確認できるのと、帯石を模したとおぼしき一列が微妙に突出しているのがアクセント。旧保坂橋が四層巻きアーチだったのに対し、こっちは五層巻きだ。スパンドレルはイギリス積み。
ああ、癒やされる~(笑)。
側壁もイギリス積み。
かなり状態はいいのでなかろか?
なにより現役国道を背負ってるってのが素晴らしいじゃないですか!
煉瓦アーチに包まれる私…幸せ(誰w)。
右側の蛇篭がいまいちなじまないな~。
抜けて反対側より。
こっち側は草が覆いかぶさって観察には向いてないようで。こうして見ると、蛇篭はかなり新しそう。
流れはここで画像左方向へと転じるが、そっちを向いてカメラをズームすると見えるのが、
旧保坂橋。
距離は100m強くらいじゃないだろうか。
こんなに近接したこの2橋、やはり同時期に築造されたのだろうか。記事を書くに当たって再度ORJのダイジェスト、永冨氏の調査による概略を確認してみたら…
《「明治23年に改修され荷車道になった時の若狭街道の遺構。しかもそれが今日も国道を支えている。煉瓦橋梁として見た場合は現存最古の煉瓦橋である(が,設計図からして「コルベルト」と言っているのだから暗渠と見做してやるべきなのだろう)。》
(「日本の廃道」第52号ダイジェストよりそのまま引用)
なんてこった!超大物やんかー!!
永冨氏はおそらく今津町史やら高島土木事務所やらを調査されたのだろう、設計図にまで辿りついておられるとは凄い!そんな成果をさらっと引用だけさせていただいて恐縮ですが(汗)。てか、コルベルト(カルバート)と設計図にあるからには、確かに暗渠と見なすのが正しいのでしょうな~。まあ何にせよ、そんな貴重なもんなら、ぜひ土木遺産として保護してほしいな~。
最後は他力本願な感じで、完結。