何度も登場します、この画像。前回は赤丸の物件、香ばしい癈歩道橋をお送りしました。
今回は当然、黄色丸の物件をお送りいたします。そこにあるのは…橋。
わざわざ改めて地図もいらんかもですが一応。日も同じ、2011年5月6日。
そもそもここへは、この橋をチェックしにやってきたのだ。とはいえ、どんなもんがあるのか知ってやって来たわけではない。単に、そういえばここに旧橋っぽいのがあったな~、と思いだして来ただけだった。ちなみにノートさんが停まっているこの道、おそらく国道303号線の旧道にあたる道だと思われる。
さて、ちらっと。
!!マジか??
速やかに長靴ON!むこうの斜面から川に降りる。川の名は途中谷川。
ずざざざざーーー!!
想像だにしていなかった、煉瓦アーチ。こんなところに、まさか!としか言いようがない!
さっそく接近!じゃぶじゃぶじゃぶ。
うーん。スパンドレルがモルタルで補修されている。さらに向かって右の側壁基部も大幅にコンクリ改修済み。ちょっと残念。だが素晴らしい物件であることには変わりない。アーチの巻厚は四層。よく見ると小ぶりながら、要石も備えている。
そして、向かって左の側壁。
基部の端が綻びつつある。
右側みたいに改修されるのだろうか。架け替えだけはやめてちょうだいよ~。
洞内…もとい、橋の下(笑)。側壁はイギリス積み。
向こう側は段差があり、低い滝になっている。
低い滝…とはいえ、服を濡らさずに乗り越えるのは至難。ここはあっさりあきらめた。そんなことより
画像中央、滝のキワのところに隅石のようなものが見える。定かではないが。定かではないといえば、この段差も昔はなかったのだろうか?
そもそもが、この橋自体の来歴が全く不明。2枚目の画像でもわかるように、橋上にはクシャったガードレールがあるだけで、親柱も銘板もない。この後通りかかったおばあさんに橋の名前をうかがったが、ご存じないようだった。長く当地にお住まいとのことだったのだが、本気で名無しなのかもしかして?
並行する現R303号の橋が「保坂橋」という、まあそうなるわな、というネーミングにつき、一応仮称として旧・保坂橋とさせていただく。
いや~イイもん見つけたよ!
最後に、段差があって断念した反対側を、上から。
こっちもやはりスパンドレルはモルタルで補修。
未知の素晴らしい物件を発見した喜びを味わいつつ、何か分からないかと帰ってから調べてみたらヒットしたのは…。ガビーン。すでに長冨謙氏、業界で知らぬ者なきngajis氏によってしっかりとピックアップされ、ORJ(Webマガジン「日本の廃道」)において発表されていたのだ。ちょ~。
さすが巨匠。こんな物件まですでに拾っているとは…。先人がこの人ならしゃーない、と納得(笑)。
自分は恥ずかしながらORJを購読したことがなく、検索でヒットしたのもORJのダイジェスト部分だったので、この物件の詳細はわからないまま。何号だか忘れたが、もちろんその号を購入すれば、永冨氏のあの緻密な机上調査でもって、この物件の来歴がつまびらかになっているはずだ。
…じゃあ買えよ!って話だが(笑)。
ここ保坂は、若狭から京へ向かう若狭街道、別名鯖街道(おおむね現在のR367)と今津の港へ向かう九里半街道(おおむね現在のR303)が分岐する、古くからの交通の要衝だった。保坂地内には、「今津海道」「若狭道」「京道」と刻まれた安永四年(1775年)建立の道標が残っている。このような場所だけに、煉瓦を用いた立派な橋が架けられたのだろう…と推測する。
ところで、このORJのダイジェストを見て、気になったことがあって…てか、気づいてしまって…。そこに載っていた写真…
僕が今日見たやつじゃないんですけど。
…。
えーー!!他にもあったんかーーーい!!!
そうよそうだよ、すぐ近くにもうひとつ橋があったよ。きっとそれだよ。
なんでチェックせんかったこのバカチンがーーー!!
というわけで、次回保坂シリーズ最終回は、その見落とした痛恨の物件を。