JR草津線沿いの装荷線輪用櫓2基 (滋賀県湖南市三雲、石部東) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 
今宵のネタも、超古参ネタ。
 
拙ブログ前身の前身である「ワイワイマップ版 穴と橋とあれやらこれやら」で、謎の遺構的な扱いでアップしていたものだが、先日ちとさんからいただいた情報により正体が判明したので、御礼かたがた改めて記事にしておこう、と。
 
 
まずは、2009年3月15日に発見したコレ。
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ご覧のように、JR草津線のすぐ脇の田んぼの中に、コンクリート製の櫓がポツンと立ち尽くしている。
 
 
コレはなんだ?と。
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真ん中の床の中央には開口部が見られた。上に登れるように、かつては梯子などが設置されていたのだろう。そして最上部の梁?には、なにかが掛けられていたような金属部材の痕跡。
 
わたくしの思いつくものとしては、蒸気機関車時代に用いられていた給水塔の櫓に何となく似てるな~くらいで、何のためのものなのか、サッパリだった。
 
 
 
そして約5ヶ月後の2009年8月3日。それほど離れていないところで、
 
同じようなものをもう1基、発見したのだった。
 
 
こうして見ると、三雲駅裏にあるやつよりも、一層分高い作りになっている。柱にわずかながらも装飾的な線意匠が施されているのも相違点。
 
 
まあでも、基本的構造は同じと言っていい。
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なんなんだね、君ぃ!
 
このヒョロくて垂直な柱と、特に頑強にも見えない基礎部分から判断するに、給水塔のような「上部に重量物を載せた」たぐいの施設ではなかっただろう…くらいまでは思いついていたものの、やっぱりなんの遺構やらサッパリ?のままだった。
 
 
そんな状態でおよそ8年(笑)。先日いただいたちとさんからの情報で、長年の疑問が(ほぼ)解けた。コイツらの正体は…
 
 
装荷線輪用櫓(そうかせんりんようやぐら)なるもので、長距離電話線を渡す櫓、なのだそう。恥ずかしながら、全く聞いたこともないテクニカルタームだった。
 
いただいた大いなるヒントを基に調べてみたところ、「装荷線輪用櫓」とは…
 
「1928年に東京・神戸間に日本初となる長距離市外電話が開通したときの施設の一つである。日本の電話方式では、1889年に裸架空線による東京・横浜間の通話を嚆矢とするが、遠距離になるほど音声が減衰し通話距離に限界があった。それを解決したのが装荷ケーブルと真空管中継機であった。
このとき、東京・神戸間約610kmには、およそ80kmごとに真空管中継器を備えた電話中継所を建て、各中継所間には約1.8kmごとに音声電流の減衰防止のための装荷線輪(櫓のほか地下施設もある)が設置された。」
(「中部産業遺産研究会」様会報 Vol.63より引用。ありがとうございます。)
 
とのことで、昭和初期、長距離市外通話黎明期の設備遺構だということだった!こりゃ驚いた~。
 
また上記の会報では、わたくしの見つけた1基目、三雲駅裏の櫓についての言及があり、それによると、「かつての亀山中継所と京都中継所間の装荷線輪用櫓」なのだそう。亀山・京都間なら、2基目のヤツもその続きのヤツなのではないだろうか。
 
 
この装荷線輪用櫓、有名なのは愛知県豊川市に残るもので、「旧・豊川電話装荷線輪用櫓」の名称で登録有形文化財に指定されているとのことだ。そして…
 
「他に、三重県四日市市南小松町、三重県鈴鹿市広瀬町、愛知県愛知郡東郷町春木白土、滋賀県湖南市石部東4丁目、静岡県浜松市北区細江町に同様の装荷線輪用櫓が残る。 また、小田原市谷津の畑の中にもあり、バベルの塔の通称で呼ばれていたが、解体された。 箱根山中に現存、横浜市内にあったが解体、との情報もある。」
 
このネット情報は、「廃墟探検地図」なるサイトからの引用。ここの情報は様々なサイトさんやブログさんからの情報をちょこちょこつまんで構成されているので、これらも様々なネット記事からつまんだ結果だと思うが(拙ブログもチョイチョイつまみ食いされております・笑)、
 
 
なんにせよなかなか貴重なもののようだ。
 
じゃあこの湖南市にある2基も、それなりに貴重なもんじゃないのだろうか?湖南市さん、保護してちょうだいな?
 
 
未だに全容解明ってわけではないものの、何に使われていた遺構か、ということが判明したのは大きな収穫だった。
 
 
改めてちとさん、ご教示ありがとうございました!
 
 
 
以上、現時点でのご報告でした。