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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

「あすなろ」って木がありますが、

漢字だと「翌檜」って書くの、ご存知でしたか?

 

わたくしは知りませんでしたよ。

 

 

 

ヒノキ科の樹木で檜よりも小さいことから、「明日はヒノキのようになろう」ということで「翌檜」と漢字表記されるようになった…

 

 

って、誰の意思やねんそれ(笑)。

 

 

 

 

 

 

…みたいな一発ネタですが、弱いな。一日休んだにしては(笑)。

 

 

 

 

 

ちなみに、このバス停がなんで「あすなろ」という名前なのかは不明であります。ちなみに場所はコチラ

 

 

 

 

 

これは2012年8月16日、2日間にわたる第二次福井県遠征の初日夜に通りかかったバス停。この日のネタで記事にしたのは市波第二トンネル初代・下荒井隧道阿蘇橋吉崎の未成隧道嫁威バス停鑓嚙山歩道橋一光隧道恐神バス停

 

 

バス停ネタ多いな(笑)。

 

 

 

 

【追記】

予約投稿の設定をミスりました。これ明日公開のつもりやったのに記事ダブった(泣)。本篇は25日公開予定です。

 

 

 

今さらながら…いや、今だからこそ?記事にしよう。

 

 

ここに、あなたも行ってみたいですか?

 

 

行けるぞよ、もちろん合法的に(笑)。

 

 

 

 

 

【1】に続く。

 

 

 

 

2015年8月13日、東京出張の中で商談のため訪れた国分寺市。一里塚橋と不動橋を観察後急いで商談のために国分寺駅に戻り、その後少しだけ周辺を散策した際に出会った橋をご紹介。

 

 

 

これなんだが…

またしても、一見して面白くなさそうなやつ?まあそう言わずお付き合いを。場所はコチラ。南側からアプローチ。

 

まあ、面白いのは自分だけかもしれんけどね…そんなん気にしない(笑)。

 

 

 

 

 

 

お名前は…

見にくいと思うが、「緑橋」の銘板。

 

で、その手前にある「ブツ」を見て、わたくしピーン!ときたのだった。

 

 

 

 

 

 

回り込んでみて…やっぱり。

「ある」ね。わかるかな?

 

 

 

 

 

 

ヒントは、傍らの古びた看板。

ご注意

この橋は溢水のお

それがある場合には

通行止となりますの

でご注意ください。 

国分寺市・小金井警察署

 

微妙に改行が気になるのは措いといて、その内容を見れば「アレ」の正体はおのずと知れる。

 

 

 

 

 

アパートと川の間に設置されたアイツ、その正体は

陸閘(りくこう/りっこう)ですな。

 

たぶん橋の南側が、少し下った低地になってるためだろう。本来は沿岸部で防潮堤の一部のような形で存在する者が主流なのかもしれないが、こうして河川沿いに設置されたものもたまに見る。

以前我がホーム・滋賀県のこんな橋を記事にしているが、どうもこの緑橋に付属した陸閘は現役ではないようだ。なぜなら、路面に切られていたであろう陸閘を引き出してくるべき溝がすでに舗装で埋められてしまってるから。

 

 

 

 

 

こちらは上流側。

今さらながら、川の名は野川という。

 

 

 

 

 

 

北側には、

陸閘は設置されてなかったようだ。

 

 

 

 

 

 

最後に、サイドアングル。

これで楽しめるか否か。あなた試されてますよ(バカ

 

 

 

以上。

 

 

 

2010年5月30日、第二次房総探索。この日のネタで記事にしているのは、鶴舞第一隧道&鶴舞歩道トンネル道月崎1号線の隧道砂押1隧道富士見隧道

 

今宵ご紹介するのは、変態隧道数多し!な房総において異彩を放つ、切り口の違う変態(爆)物件である。時系列では砂押1隧道と富士見隧道の間。

 

 

 

タメなく、ドン。

一見して面白みのないコンクリートトンネル。ウチの場合、マジで面白くないトンネルでも平気で記事にするから油断禁物なのだが(笑)。

 

場所はコチラ。これは東側、県道24号から入ったところである。

 

 

 

 

 

お名前は

しみずずいどう。

 

関西圏じゃめったに見ないが、房総では片側の扁額がひらがな表記っていうパターン、けっこう見た。橋みたい。

 

 

 

 

 

決して広くはない洞内を抜け、こちらが西側(加名盛側)…って、

なんか幅員が全然違うんだが!?

 

これ写真間違えてんじゃないのか?と疑うあなた、そんなことないぞよ。

 

 

 

 

 

 

扁額にも確かに

清水トンネルと。

 

隧道だかトンネルだかって問題はこの際措いといてだね、なんでこのような現象が起こってるかというと…まあ…ご想像通りなんだが(笑)。

 

 

 

 

東から西へ進んでいくと出くわす、

この景。イヤイヤイヤ…これはちょっと…。

 

 

 

 

 

逆から見ると、こう。

なんじゃあこりゃあ。

 

洞内で断面サイズが変化する、いわゆるガリバートンネルなんだが、これかな~りよ?

 

 

 

 

 

だって、

なんか変な鉄筋とか飛び出してるし、断面変化の継ぎ目の処理ときたらもう。

 

これ、ガリバートンネルっつうよりも、拡幅工事途中で放り出したような状態に見えるんだけども?

 

 

 

 

 

西側(加名盛側)にある銘板からは

特段の情報は得られなかった。施工した会社のHPを見てみたが、もちろん情報なし。

 

最初に見た東側ポータルを見る限り、1987年って感じの新しさではなかったよなあ。少なくとも昭和中期までさかのぼりそうなご面相。

 

考えられるのは、昭和中期の狭いトンネルの拡幅工事を行ったものの、何らかの事情で途中で止まった、ってとこか。あるいは…銘板が設置されているってことは一応請け負った工事は完了したということだと思うので、もしかしたら二社による拡幅工事のうち東側を担当するはずだった業者が何らかの事情で工事を行えなかった、とかか。だとしても、銘板には延長も書いてないので、この会社が施工した範囲も定かでない。

 

ちなみに、「平成16年度道路施設現況調査」に掲載されたこの隧道のスペックは、昭和62年建造、延長246m、幅員7.0m、有効高3.7m。この幅員は完全に拡幅された部分のスペックと思われる。

 

この程度の延長の隧道で拡幅工事を二社に分担するってことは考えづらい。じゃあ…どういうことなんだ??謎過ぎる。

 

 

 

 

で、記事を書くにあたり調べていて、重大な情報を見つけた。

 

平成30年8月31日、君津市議会に「清水トンネル補強拡幅工事請負契約の締結について」という議案書が提出された。

参照https://www.city.kimitsu.lg.jp/uploaded/attachment/13665.pdf

 

 

 

いつまでリンクが生きてるかわからないが、そこに示された工事概要は以下の通り。

 

既設ト ンネ ル 補強 拡 幅( 拡 幅 延 長 1 3 8 .5 m 車 道 幅 員 5 .5 m ( 全 幅 8. 7 5 m ) ) 、 排水工 一式 、坑 門 工一 式、法 面 工 一 式


そして工事期限は平成3 1年 1 1月 2 9日とあり、議案書通りに可決されたとするならば、昨年秋に工事は完了したことになる。

注目すべきは「拡幅延長138.5m」の記述。延長246mの隧道のうちの138mってことで、これはほぼ間違いなく、狭いままだった部分の拡幅が昨年ようやくなされた、ということだろう。

 

工事の請負者として契約先に記載されているのは、「第一段階の拡幅」を担当した川名工務店ともう一社によるJV(特定建設工事共同企業体)。川名工務店としても、やり残した仕事をようやく片付けられる、って感じだったんだろうか、知らんけど。

 

 

 

 

ストビューではここの最新画像が2017年のものなので確認できなかったのだが、工事が完了していたとすれば、

この景も今は昔、ということになる。東側ポータルもしかり。

 

これやっぱ、あしゅら男爵隧道と呼びたいかも。あしゅら男爵、もう倒されちゃったかね(笑)。どなたか、しらb(ry

 

 

ああ、隧道内での駐停車は危険なのでやめましょうね(笑)。

 

 

 

 

以上。

 

 

今宵は古い住所看板ネタ。

 

 

この手の看板では仁丹が一大勢力なので分けてカウントしているが、仁丹以外の住所看板では、前回の「パンの中京堂」なんかもそうだが多彩なスポンサー表記が楽しい。今回はまだこの一件しか見つけていないやつをご紹介。

 

 

それがコチラ。

宮川町の歌舞練場にほど近いところで見つけた。

 

 

 

 

提供は

肉の大橋亭。

 

ちなみにこのお店、看板通りの松原大和大路で現在も盛業中。明治27年創業の老舗である。

 

 

この看板、いつごろのものかわからないが、文字の判読も完璧にできるし、赤文字の色合いもしっかり残っていて、かなり状態がいい。路地入口に掲げられていて直接の雨ざらしでないことが大きいのかも。

 

下京区から分区して東山区が誕生したのは昭和4年だが、さすがにそこまでは古くないかと。どう見ても戦後のものだとは思うが。電話番号表記が年代特定のポイントかもしれないな。市内局番が2ケタというのはいつごろまでだったのか…。はい、お察しの通り調べておりません(爆)。

 

 

ちなみに現在の大橋亭の電話番号を調べてみたが、この番号は引き継いでないようだった。

 

 

 

以上。