2012年8月16日、2日間にわたる第二次福井県遠征の初日。この日のネタで記事にしたのは市波第二トンネル、初代・下荒井隧道、吉崎の未成隧道、鑓嚙山歩道橋、恐神バス停。今回ご紹介するのは、ルーティング上で一時的に石川県に入った際に巡り会った物件であります。
地図上で気になった橋表記を目指して、
石川県道153号我谷今立塔尾線からこんな道に入り、走ること数分。
目的の橋に到着してみれば…これは、
はいハイ廃。なるほど。
到着直後はよくわからなかったが、ここには
二本の橋が並列して架かっていた。わかりにくい?
それは、向かって右が
明らかに廃だからっすな。
しかしこの大きな石と雑草の生え方、どういう状態?
この時点では名称不明な「新」橋から望む、
「旧」橋。
なんか、こう見ると全然問題なさそうに見えるのだが、なんで放棄(放棄されてるよな?この状況って)されるに至ったのか?
まあとりあえずは、
渡るでしょう~(丸尾くんふう・笑)。
さっそくに、お名前判明。
阿藤快…じゃなくって、「阿蘇橋」。
いや、マジでパッと見「阿藤」に見えちゃって(笑)。
お誕生日も判明。
「昭和三十八年十二月架」。
ここの上流(ちなみに川の名前は大聖寺川)数百mには、九谷ダムがあるのだが、その着工は1970(昭和45)年。これはもちろん帰ってから知ったことだが、着工前から存在した、ということになる。
それにしても、
ここまで近接して新旧の橋が並列してるケースはあまりない。橋台だけ残ってるパターンはよくあるけど。
橋上では現役にしか見えないんだけども、
両岸の取り付きが、強烈に廃を主張。
そんな藪をかき分けて、親柱確認。
見にくいが「あそばし」。
実はこれ見てやっとこさ「阿藤」じゃないって気づいた人はわたくし(笑)。ちなみにもう一方の親柱は「大聖寺川」だった。
しかし…
こちら南側の植生はナカナカだった。まあ、真夏やし(笑)。
「新」橋の南側から見る「旧」橋。
改めて、撮っても狭くて華奢な印象だ。
「新」橋のお誕生日は
「平成5年11月完成」。
てことは、ダム完成後までも旧橋が現役だったのか~と思いきや、実はそうでもないようで。
九谷ダム、着工こそ1970(昭和45)年だが、その竣工は実に2005(平成17年)とのことで、工期がそこまで長期化した理由は調べていないが、実はダム完成前に新旧がスイッチしていることが判明。やはり工事車両などがここらにも入っただろうし、この旧橋では完全にアンダースペックだったはずなので、まあその方が納得はいく。
最後に、橋とは関係ないんだけども…
橋上から見たノートさんの位置にちょっとハマりまして、
遊んでみたのが
コレでして(笑)。
だからどうしたっていうんだね、キミぃ~。
以上、完結(なんだこの終わり方・笑)。