お墓の疑問70~今までのまとめ~ | のめしこき日記

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 長岡市の「墳墓」と諏訪大社上社の生き神様大祝諏訪氏の墓を、手持ちのデータに加えます。

 今までのお墓の疑問のまとめです。

 お墓について、のめしこきが理解したことをまとめます。

 

第1の興味は墓標の変遷についてです。

 江戸時代以降の墓は「個人墓→夫婦墓→家墓」という変遷があるように思っています。ただし、ほぼ同時代までさかのぼれるのですが、頻度からみると「個人墓→夫婦墓」となるように思います。

 のめしこきは家墓を〇〇家之墓や萬霊塔・先祖代々之墓などと定義しているのですが、その中の一部新潟県の累代塔とかは幕末までさかのぼれます

 しかし、〇〇家之墓と彫られた墓は手持ちのデータでは家墓は1903年(明治36年)頃までは遡れそうだが、確証があるのは1924年(大正13年)まで。1903年(明治36年)頃のものがあることが判りました。これから注意して調べると、もう少し遡れるかもしれません。

 江戸時代の末から昭和30年頃までが、夫婦墓から家墓への過渡期と言えそうです。

 

 データ一覧の前に、ちょっと別観点のものも述べてみます。

 墓石の形の変遷です。

 

 まず舟形墓(1690年:元禄03年の個人墓)か

自然石があって

 夫婦墓で、夫は○○法印で1710年(宝永7年)に、妻は1698年(元禄11年)に亡くなりました。妻が亡くなってすぐにたてられたのか夫が亡くなってから二人の戒名が彫られたのかは判りませんが、ここでは妻が亡くなった1698年にたてられたと考えました。

 右から明和7年(1770年)、天明8年(1788年)、文化8年(1811年)です

 右は頭が尖った舟形墓。中央は頭が丸い蒲鉾形墓、左は頭が平らな箱形墓です。

 従って、墓石のデザインに関するのめしこきの仮説は、

 

 自然石→舟形墓→蒲鉾形墓→箱形墓という流れがある。

 箱形墓のバリエーションとして、箱山形墓がある。

 

 です。上の舟形墓は頭が欠けてしまっているので、完全形を。

 1791年(寛政03年)の舟形墓(個人墓)

 

 1768年(明和05年)の蒲鉾形墓(個人墓)。

 

 1820年(文政3年)の箱形墓(夫婦墓)

 

 箱形墓の派生形として、箱山形墓があります。

1951年(昭和26年)の箱山形墓。上越市や長岡市では「墳墓」と彫られた墓標が見られます。

 

 

 以下、手持ちデータのまとめです。

 最古の個人墓は、 1690年(元禄03年:中之条町大塚の個人墓地)、1701年(元禄14年:中之条町大塚の個人墓地)です。

 

 最古の夫婦墓は再建墓ですが、1658年(万治元年)のものです(中之条町伊勢町の共同墓地)。

 

 再建墓でないのは、1698年(元禄11年)の夫婦墓(中之条町平の個人墓地)です。

 

 最古の家墓は1846年(弘化03年:十日町市郊外新潟県道76号線沿い共同墓地)の先祖累代塔です。

 

 第2の興味は、地域性を調べることです。

 石塔について

①群馬県では「〇〇家之墓」が一般的です。「〇〇家之墓」の文字の色は無色、白、黒です。

②新潟県魚沼地方では「萬霊塔」「先祖代々之墓」「累代墓」などが一般的。文字は無色、白、黒です。

 

③新潟県上越地方では「墳墓」が一般的。「墓」! と彫ってあるのもあります。文字は無色です(データが少ないですが)。

 

 

 ※ 墓石の文字の色については、博多ふくすけさんより九州では金文字も見られると教えてもらいました(下の画像は博多ふくすけさんのブログよりお借りしました)。

 長崎県五島列島福江島でも金文字のお墓がありました。鹿児島県でも金文字が見られるようです。

 写真は撮れませんでしたが、山形県鶴岡市周辺でも金文字がありました。

 

 過去碑、塔婆について

①群馬県では墓誌・塔婆が付属しています。

②新潟県魚沼地方では、墓誌・塔婆はありません。

③新潟県上越地方では、墓誌はありません。塔婆はあったりなかったりします。 

 

 データを増やして、これら仮説が正しいか検証することが「お墓の疑問」シリーズの主目的です。

 

※このブログでは個人墓は仏教の戒名あるいは神道の諡(おくりな)が1人分、夫婦墓は「居士・大姉」「大人・刀自」みたいなもの、家墓は「○○家」と入っているものと定義しています。新潟県魚沼地方の「南無阿弥陀仏」「累代墓」「累世舎利塔」など、上越地方・長岡市の海岸近くの「墳墓」「墓」は家墓と同類とここではみなしています。

※皆川城主皆川氏代々の墓は一般人の墓ではないので参考資料です。支配階級・豪族の墓だと鎌倉・室町時代の武士の墓(五輪塔)があります。

データ一覧 

鎌倉室町時代の武士の墓(五輪塔:栃木市正仙寺)

1438年(永享10年)の個人墓(自然石:栃木市皆川城内町 皆川氏初祖長沼秀宗)。

1480年(文明12年)の個人墓(五輪塔:栃木市皆川城内町 皆川氏初代皆川氏秀)。

1523年(大永03年)の個人墓(五輪塔:栃木市皆川城内町 皆川氏2代皆川宗成)。

1551年(天文20年)の個人墓(自然石:栃木市皆川城内町 皆川氏3代皆川成勝)。

1573年(元亀04年)の個人墓(自然石:栃木市皆川城内町 皆川氏4代皆川俊宗)。

1627年(寛永04年)の個人墓(宝篋印塔:栃木市皆川城内町 皆川氏5代皆川広照)。

1645年(正保02年)の個人墓(宝篋印塔:栃木市皆川城内町 皆川氏6代皆川隆庸)。

1645年(正保02年)の個人墓(舟形:栃木市皆川城内町 皆川氏7代皆川成郷)。

1657年(明暦03年)の個人墓(舟形:栃木市皆川城内町 皆川氏8代皆川秀隆)。

 

一般人のものと考えられる墓標としては

1658年(万治元年)の夫婦墓(再建墓:中之条町伊勢町の共同墓地)。

1690年(元禄03年)の個人墓(舟形:中之条町大塚の個人墓地)。

1698年(元禄11年)の夫婦墓(自然石:中之条町平の個人墓地)。

1701年(元禄14年)の個人墓(舟形:中之条町大塚の個人墓地)。

1710年(宝永07年)の個人墓(自然石:栃木市皆川城内町 皆川氏9代皆川廣隆)。

1718年(享保03年)の個人墓(自然石:栃木市皆川城内町 皆川氏10代皆川廣逵)。

1732年(享保17年)の個人墓(舟形:中之条町平の個人墓地)。

1734年(享保19年)の個人墓(舟形:中之条町平の個人墓地)。

1739年(元文04年)の夫婦墓(宝篋印塔:東吾妻町水仙まつり会場近くの個人墓地)。
1740年(元文05年)の個人墓(箱形:中之条町林昌寺)。

1753年(宝暦03年)の個人墓(舟形:中之条町平の個人墓:南無阿弥陀仏の墓標)。

1760年(宝暦10年)の個人墓(舟形:中之条町平の個人墓地)

1760年(宝暦10年)の個人墓(箱形:東吾妻町郷原の個人墓)。

1760年(宝暦10年)の個人墓(箱山形:栃木市皆川城内町 皆川氏11代皆川庸春)
1762年(宝暦12年)の個人墓(修験道僧墓:潜龍院跡の個人墓地)。

1767年(明和04年)の個人墓(舟形:中之条町大塚の個人墓地)。

1768年(明和05年)の個人墓(蒲鉾形:中之条町大塚の個人墓地)。
1769年(明和06年)の個人墓(箱形:潜龍院跡の個人墓地)。

1770年(明和07年)の個人墓(舟形:中之条町林昌寺内墓地)。

1771年(明和08年)の夫婦墓(蒲鉾形:中之条町大塚の個人墓地)。
1773年(安永02年)の個人墓(箱形:東吾妻町川戸の個人墓地)。

1775年(安永03年)の個人墓(箱形:中之条町平の個人墓地)。
1770年(明和07年)の個人墓(舟形:中之条町林昌寺)。

1771年(明和08年)の個人墓(蒲鉾形:中之条町林昌寺内墓地)

1771年(明和08年)の夫婦墓(箱形:中之条町大塚の個人墓地)。

1773年(安永02年)の個人墓(箱形:東吾妻町川戸の個人墓地)

1775年(安永04年)の個人墓(舟形:中之条町平の個人墓地)。

1778年(安永07年)の個人墓(蒲鉾形:新潟県南魚沼市浦佐の共同墓地)。

1779年(安永08年)の個人墓(箱傘型:栃木市皆川城内町 皆川氏12代皆川齋秀)

1781年(天明元年)の個人墓(宝篋印塔:東吾妻町水仙まつり会場近くの個人墓地)。

1784年(天明04年)の個人墓(傘形:太田市藪塚町の個人墓地)。
1788年(天明08年)の個人墓(蒲鉾形:中之条町林昌寺)。

1791年(寛政03年)の個人墓(舟形:中之条町大塚の個人墓地)。

1780年代頃(天明●年)の個人墓(箱形:新潟県南魚沼市浦佐の共同墓地)。

1801年(享和元年)の夫婦墓(尖頭形:川原湯温泉の共同墓地)。

1802年(享和02年)個人墓(箱傘型:栃木市皆川城内町 皆川氏13代皆川庸清)。

1805年(文化02年)の個人墓(箱形:中之条町平の個人墓地)。

1808年(文化05年)の個人墓(箱形:中之条町平の個人墓地)。
1811年(文化08年)の個人墓(箱形:中之条町林昌寺内墓地)。

1815年(文化12年)の夫婦墓(尖頭形:太田市藪塚町の個人墓地)。
1816年(文化13年)の個人墓(箱形:潜龍院跡の個人墓地)。

1816年(文化13年)の夫婦墓(箱形:中之条町平の個人墓地)。
1820年(文政03年)の夫婦墓(箱形:中之条町林昌寺内墓地)。

1822年(文政05年)の個人墓(箱形:新潟県道の駅南魚沼「雪あかり」隣接共同墓地)。
1827年(文政10年)の個人墓(蒲鉾or箱形:東吾妻町川戸の個人墓地)。
1830年(文政13年、天保元年)の夫婦墓(箱形:東吾妻町川戸の個人墓地)。

1846年(弘化03年)の先祖累代塔(尖頭形:十日町市郊外新潟県道76号線沿い共同墓地)。

1848年(嘉永元年)の夫婦墓(尖頭形:川原湯温泉の共同墓地)
1849年(嘉永02年)の個人墓(修験道僧墓:潜龍院跡の個人墓地)。

1859年(安政06年)の累代精霊墓(箱山形:十日町市郊外新潟県道76号線沿い共同墓地)。

1859年(安政06年)の個人墓(箱傘型:栃木市皆川城内町 皆川氏14代皆川庸郡)。

1862年(文久02年)の夫婦墓(箱山形:中之条町大塚の個人墓地)。

1862年(文久02年)の夫婦墓(箱形:新潟県湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地)。

1863年(文久03年)の個人墓(箱傘型:栃木市皆川城内町 皆川氏15代皆川庸明)。

1873年(明治6年)の夫婦墓(箱形:新潟県小千谷闘牛場隣接墓地)。

1878年(明治11年)の夫婦墓(箱山形:新潟県湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地)。

1885年(明治18年)の夫婦墓(箱山形:太田市薮塚町の個人墓地)。
1890年(明治23年)の夫婦墓(修験道僧墓:潜龍院跡の個人墓地)。

1893年(明治26年)の南無阿弥陀仏(箱山形:新潟県小千谷闘牛場隣接墓地)。

1894年(明治27年)の夫婦墓(箱山形:長野県駒ケ根市大曽倉)
1902年(明治35年)の夫婦墓(箱形:東吾妻町郷原の個人墓地)。

1904年(明治37年)の夫婦墓(箱山形:新潟県湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地)。

1905年(明治38年)の夫婦墓(箱形:神道墓:茨城県大津漁港の個人墓地)。

1911年頃(明治44年頃)の夫婦墓(尖頭形:神道墓:東吾妻町水仙まつり会場近くの個人墓地)。

1913年(大正02年)の夫婦墓(箱山形:太田市藪塚町の個人墓地)。

1913年(明治46年・大正2年)の累代墓(箱山形:新潟県小千谷闘牛場隣接墓地)。

1920年(大正09年)の墳墓(新潟県上越市春日山城付近の個人墓地)。

1924年(大正13年)の家墓(箱山形。奥様の名前が彫られている)。
1925年(大正14年)の夫婦墓(箱形屋根付き:中之条町林昌寺)。

1925年(大正14年)の累霊舎利塔(箱山型:新潟県小千谷闘牛場隣接墓地)。

1925年(大正14年)の累世舎利塔(箱山形:新潟県小千谷闘牛場隣接墓地)。

1927年(昭和02年)の夫婦墓(箱山形:太田市藪塚町の個人墓地)。

1930年(昭和05年)の夫婦墓(箱山形:新潟県湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地)。

1931年(昭和06年)の家墓(箱笠形:林昌寺。奥様の名前が彫られている)。

1931年(昭和06年)の家墓(板形:林昌寺)。

1934年(昭和09年)の家墓(箱山形:林昌寺。居士・大姉が彫られている)。

1935年(昭和10年)の家墓(箱形:林昌寺。居士・大姉が刻まれている)。
1936年(昭和11年)の夫婦墓(箱形:東吾妻町郷原の個人墓地)。
1936年(昭和11年)頃の夫婦墓(尖頭形:東吾妻町川戸の個人墓地)。

1940年(昭和15年)の萬霊塔(箱山形:新潟県二井宿の共同墓地)。

1942年(昭和17年)の墳墓(箱山形:新潟県上越市春日山城付近の個人墓地)。

1947年(昭和22年)の家墓(板形:林昌寺。居士・大姉が彫られている)。

1947年(昭和22年)の家墓(箱型:林昌寺。信士・信女が彫られている)。

1949年(昭和24年)の代々墓(箱山形:新潟県上越市春日山城付近の個人墓地)。

1951年(昭和26年)の墳墓(箱山形:新潟県上越市林泉寺)。

1953年(昭和28年)の家墓(箱形:東吾妻町大運寺内墓地)。

1953年(昭和28年)の家墓(箱形屋根付き:中之条町清見寺内墓地)。
1954年(昭和29年)の夫婦墓(箱形:中之条町林昌寺)。
1958年(昭和33年)の個人墓(箱形:東吾妻町郷原の個人墓地)。

1958年(昭和33年)の夫婦墓(箱山形:長野県駒ケ根市大曽倉の個人墓地)

1961年(昭和36年)の供養塔(箱山頭:新潟県湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地)。

1964年(昭和39年)の墳墓(箱山形:新潟県上越市林泉寺)。

1965年(昭和40年)の家墓(箱形:林昌寺。信士・信女が彫られている)。

1966年(昭和41年)の家墓(箱形:栃木県那須塩原市大貫の共同墓地)。

1966年(昭和41年)の家墓(箱形:林昌寺。居士・大姉が彫られている)。

1967年(昭和42年)の家墓(箱形:東吾妻町大運寺内墓地)。

1967年(昭和42年)の墳墓(箱山形:長岡市中西)

1968年(昭和43年)の萬霊塔(箱形:新潟県二井宿の共同墓地)。

1969年(昭和44年)の萬霊塔(箱形:新潟県二井宿の共同墓地)。

1973年(昭和48年)の萬霊塔(箱形:新潟県二井宿の共同墓地)。

1975年(昭和50年)の墳墓(箱山形:新潟県上越市春日山城付近の個人墓地)。

1975年(昭和50年)の家墓(箱山形:長野県駒ケ根市大曽倉の個人墓:屋号入り)

1976年(昭和51年)の家墓(箱形:栃木県那須塩原市大貫の共同墓地)

1978年(昭和53年)の家墓(箱形:栃木県那須塩原市大貫の共同墓地)。

1982年(昭和57年)の家墓(箱形:栃木県那須塩原市大貫の共同墓地)。

1985年(昭和60年)の家墓(箱山形:長野県駒ケ根市大曽倉の個人墓地:屋号入り)

1989年(平成元年)の先祖代々之墓(箱形:新潟県二井宿の共同墓地)。

1990年(平成2年)の先祖代々之墓(箱形:長岡市中西)

1992年(平成04年)の家墓(箱形:神道墓:東吾妻町水仙まつり会場近くの個人墓地)。

1994年(平成06年)の夫婦墓(箱形:神道墓:東吾妻町川戸の個人墓地)。

1995年(平成07年)の先祖代々之墓(箱山型:栃木県真岡市堀内の共同墓地)

2004年(平成16年)の墓(箱形:新潟県上越市林泉寺:墓石に「墓」! と彫ってあります)。

2005年(平成17年)の先祖代々之墓(箱山形:新潟県上越市林泉寺)。
2008年(平成23年)の個人墓(五輪塔:東吾妻町郷原の個人墓地)。

2009年(平成21年)の家墓(箱山形:長野県駒ケ根市大曽倉の個人墓地:屋号入り)。

 

 ※1903年(明治36年)頃の家墓(建之がない。箱山形変形:林昌寺。居士・大姉が彫られている)。

 ※福島県下郷町(大内宿)では〇〇家之墓(墓誌、塔婆あり)が一般的。

 ※栃木県真岡市では先祖代々之墓がある(墓誌、塔婆あり)。

 ※皆川氏代々の墓の初めの方は再建の可能性があるかも。また、大名の墓のためか夫婦墓ではない。

 ※諏訪大社大祝諏訪氏の江戸時代の墓は院殿つきの個人墓で、大ぶりな自然石。