お墓の疑問59~林昌寺の家墓02~ | のめしこき日記

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 お墓の疑問シリーズではどうしても昔のお墓や、現代のお墓では新潟県(魚沼地方、上越地方)や九州の(関東地方では見られない個性的な)お墓に興味がいっていました。

 しかし今は、家墓(〇〇家之墓と竿石に彫られているもの)の起源はどのくらいまで遡れるのだろうということに興味が移っていますので、地元のお墓をあたってみました。

 1935年(昭和10年)の建之。竿石には居士・大姉が刻まれています。

 

 1934年(昭和9年)に建てられました。居士・大姉が彫られています。

 

 1931年(昭和6年)建之。大正7年に亡くなられた奥様が彫られています。

 

 1931年(昭和6年)の家墓。ひときわ大きい墓石なのですが、裏面に居士や大姉は刻んでありませんでした。

 

 これも1929年(昭和4年)頃に建てられたと思われれます。

 

 1924年(大正13年)に建てられました。奥様が先に亡くなられ(大正8年)、ご主人が5年後に建てられたということでしょう。

 

 

 

 

 

 

 建之(これたつ)が彫られていないのではっきりしませんが、ここでは1903年(明治36年)頃建てたとしておきます。

 

 今のところのまとめです。

 家墓は1903年(明治36年)頃までは遡れそうだが、確証があるのは1924年(大正13年)まで。もう少し探せば、1800年代後半頃のものがあるのではないかと予想しています。