お墓の疑問14~東吾妻町郷原の修験僧の墓標~ | のめしこき日記

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 潜龍院散歩で東吾妻町郷原の古谷地区を歩いていると、そこかしこに墓地がありました。個人墓地です。共同墓地にしなくても土地があるということなのでしょう。
 まずは、潜龍院に隣接した墓標です。2016年2月13日にアップした写真と同じですが、


 夫婦墓です。1890年(明治23年)頃建立されたものでしょう。
 祢津幸道法印(安政4年没)と妻の緒琹大戸自(明治23年)の2人の名前が彫られています。
 修験道の寺は戒名ではないのでしょうか?
 それとも生前に仏道に入っている僧には戒名は無いのでしょうか? 
 個人墓。嘉永2年は1849年です。
 白熱電球をひっくり返したような形は僧の墓標なのでしょう。寺院墓地で歴代住職の墓標としてこの形を見たことがあります。上の夫婦墓は表裏が平面になっていますが、これも年代と関係があるのでしょうか?

 1762年(宝暦12年)の個人墓。 

 修験僧の墓標3基ですがまとめると、
⦿ 個人墓から夫婦墓への流れはやはり認められました。

 潜龍院隣接の墓地は根雪が深くて、スニーカーののめしこきでは自由に歩き回ることができませんでした。もう少し暖かくなったら再度訪れ、どんな墓標があるのか覗いてみたいと思います。

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