お墓の疑問29~ある個人墓地の墓標の変遷~ | のめしこき日記

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 魚沼でも江戸時代は個人墓・夫婦墓がほとんどです。のめしこきのデータは少ないのですがすべてこのどちらかです。ですから少なくとも群馬県や新潟県魚沼地方では江戸時代には個人墓・夫婦墓が中心で、○○家之墓(群馬県)や萬霊塔・南無阿弥陀仏・先祖代々之墓(魚沼地方)になったのは最近の事のようです。

 

 といってもいつごろからかそうなったのかに興味があります。

 

 国道17号線湯沢町神立高原スキー場近くの個人墓地で年代の判る墓がありました。材質が立派で大きいので裕福なご家族の代々の墓のようです。

1862年(文久02年)の夫婦墓。

 1878年(明治11年)の夫婦墓。

1904年(明治37年)の夫婦墓。

 1930年(昭和05年)の夫婦墓。

 1961年(昭和36年)の供養塔。

 

 浄土真宗は法名(戒名)に釈に生前の名前から文字を取って「釈○○」の3文字にするのが一般的のようですし、供養塔ではなく南無阿弥陀仏となるはずですから、これらの墓標は浄土真宗のものではないようです。

 

 魚沼地方の現代の墓の特徴をよく表しています。つまり、

・○○家之墓ではなく、萬霊塔である。

・過去碑がない。

・塔婆がない。

 

 このご家族では1930年から1961年の間に墓標の文字を夫婦墓から供養塔にしようとご意向が変化したことを示していると思います。