水仙まつり会場のそばに墓地つきの建物があったので寄ってみました。
寺かなと思ったのですが、神社のようにも見えます。屋根には家紋と苗字が入っていますから個人所有の建物のようです。公道からは道がつながっておらず、あぜ道を歩いて行きました。
1739年(元文04年)の夫婦墓。宝篋印塔という形のようです。
1781年(天明元年)の個人墓。宝篋印塔。
1911年頃(明治44年頃)の夫婦墓。大人(うし)と入っていますから神道のお墓です。それにしてもご夫人は何と読むのでしょう。「比咩」はヒメと読み、主神の妻という意味のようです。ですから室さんというご夫人だと思いますが、それにしても「侍睦」の読みと意味が判りません。
1992年(平成04年)の家墓。
このご一族所有の建物と墓地ですが、江戸時代は仏教墓、明治からは神道墓に変化しています。江戸時代は寺請制度で全員寺院の檀家になっていたから仏教墓、その規制が無くなった明治からは神道墓になったということでしょうか。
そこで最初の写真の建物が寺か神社かと考えるに、のめしこきは神社と判断します。明治になって神道墓を建てる前後に建てたのではないでしょうか。
神社も寺の檀家だった江戸時代の名残で今も神社に墓地はあまりない(ある神社もある)のですが、このご一族は神社を建てたのだと思います。
それにしても、何と立派な墓地なのでしょう。