お墓の疑問15~潜龍院隣接の個人墓地~ | のめしこき日記

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 潜龍院隣接の墓地で、修験僧の墓標では「個人墓→夫婦墓→家墓への変遷」(にわか墓標マニアののめしこきの仮説)はやはり認められました。
 同墓所の他の墓標を4基載せます。

 


 1769年(明和6年)の個人墓です。

 

 


1816年(文化13年)の個人墓。

 

 


1827年(文化10年)の個人墓。

 

 

 


 1847年(弘化4年)の童女の個人墓です。童女は結婚していないので、個人墓なのは当然ですね。

 本日のエントリーには夫婦墓はありませんでしたが、比較的古い墓標にのめしこきのカメラが向いてしまったためだと思います。
 雪が残っていて、ウォーキングシューズでは落ち着いて見回ることができませんでした。この墓地にはまだまだ墓標があり、根津潜龍斉の子孫代々が現在まで続いているようですから、仮説「個人墓→夫婦墓→家墓の変遷」が当てはまるか、雪が融けたら再訪してみたいと思います。