お墓の疑問09~個人墓01~ | のめしこき日記

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 仏教系の墓では故人に戒名をつけて、神道系では「○○之命」とするのが一般的かと思います。
 そして、幕末の頃から昭和30年頃までは夫婦墓が一般的のようです。
 ただし、個人墓も珍しいものではなかったようです。
 にわかマニアなので単なる思い違いかもしれませんが。


 側面を見ると、

 元文と刻まれています。原文は8代将軍徳川吉宗の時代で元文5年は1740年です。
 左から文化8年(1811年)、天明8年(1788年)、明和7年(1770年)です。


 この夫婦墓は

 文政3年(1820年)でしたから、

 個人墓(1800年前後まで)→夫婦墓(昭和30年前後まで)→家墓という流れがあるのかもしれません。

 群馬県西部だけではなくもっと他地域の標本も集まれば、確かなことが言えるのではないかと思っています。