仏教系の墓では故人に戒名をつけて、神道系では「○○之命」とするのが一般的かと思います。
そして、幕末の頃から昭和30年頃までは夫婦墓が一般的のようです。
ただし、個人墓も珍しいものではなかったようです。
にわかマニアなので単なる思い違いかもしれませんが。
側面を見ると、
元文と刻まれています。原文は8代将軍徳川吉宗の時代で元文5年は1740年です。
左から文化8年(1811年)、天明8年(1788年)、明和7年(1770年)です。
この夫婦墓は
文政3年(1820年)でしたから、
個人墓(1800年前後まで)→夫婦墓(昭和30年前後まで)→家墓という流れがあるのかもしれません。
群馬県西部だけではなくもっと他地域の標本も集まれば、確かなことが言えるのではないかと思っています。