お墓の疑問41~二井宿では関東型もみられます~ | のめしこき日記

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 魚沼地方のお墓は、

①石塔に「〇〇家之墓」と入れず、「萬霊塔」「先祖代々之墓」などを入れる。

②過去碑は置かない。

③塔婆も置かない。

 というのがスタンダードです。

 

 群馬・新潟県境の三国トンネルを新潟県側に下ると初めてでてくる集落が二井宿(湯沢町三国)です。この宿の共同墓地では、

 1940年(昭和15年)のこの墓は、魚沼地域の墓の特徴を満たしています。

 

 この墓は台石と竿石・芝台(下図)で材質が違いますから、改装を重ねたのでしょう。過去碑は上台・中台と同じ材質のようです。左奥には塔婆立ても見えます。

 

 棹石は1968年(昭和43年)のものですが、その後1~2回改装した結果だと思います。

 

 古い墓を1970年(昭和45年)に改装したものだと思われます。やはり塔婆立てに塔婆が立っています。

 

 この墓は過去碑が立っていますが、塔婆立てはありません。

 1969年(昭和44年)の建立です。

 

 この墓は〇〇家之墓となって魚沼型ではなくなっています。そして塔婆立てはありませんが、過去碑があります。

 1969年(昭和44年)建立です。

 

 石塔と過去碑の材質が違います。多分後に過去碑を建てたのでしょう。塔婆立てはありません。

 1973年(昭和48年)建立。

 

 竿石は先祖代々乃墓とありますが、門柱に〇〇家と入り、

 過去碑と塔婆があります。塔婆立てはありません。

 1989年(平成元年)建立。

 

 過去碑と塔婆立てがあります。

 2000年(平成12年)建立。

 

 萬霊塔で、過去碑も塔婆立てもない点では魚沼型ですが、花立てに〇〇家と入っています。

 2011年(平成23年)建立。

 

 立派な過去碑に〇〇家と入っています。塔婆立てはありません。

 これも2011年(平成23年)建立。

 

 こんな感じです。

 過去碑や塔婆立ては豪雪のために置かないのではないかと小千谷の老人から伺いました

 二井宿は苗場スキー場よりもっと山寄りの豪雪地帯ですが、新しい墓は魚沼型から逸脱しつつあるようです。

 〇〇家之墓も出てきましたが、竿石は依然萬霊塔、先祖代々乃墓タイプが中心です。

 

 二井宿は三国トンネルを挟んで県境にあるため、群馬県側の○○家之墓・過去碑・塔婆立てありの型と融合しているのではないかと思いました。