にわか墓石マニアののめしこきは、墓は江戸時代以降、個人墓→夫婦墓→〇〇家之墓(新潟県魚沼地方や上越地方の独特の墓を含む)と変遷してきたと思っています。そして、江戸時代の末(新潟県十日町地方の墓)から昭和30年頃までは、夫婦墓から家墓への過渡期と言えそうです。
出張で、栃木県那須塩原市に行く機会があったので、当然お墓も調べてみました。
いつ頃から〇〇家之墓に変わったか、そのデータを厚くしたいと思ったのです。
那須塩原市大貫の共同墓地です。
この新しい方のお墓は1978年(昭和53年)に建てられました。
その左隣の夫婦墓は、
1958年(昭和33年)に建てられました。
1966年(昭和41年)に建てられました。
このお墓は、
1976年(昭和51年)に建てられました。
このお墓は、
左の個人墓が、
1913年(大正2年)に建てられ、中央の〇〇家之墓は、
1882年(昭和57年)に建てられました。
まとめると、
①番目のお墓・・・1978年(昭和53年)
②番目のお墓・・・1966年(昭和41年)
③番目のお墓・・・1976年(昭和51年)
④番目のお墓・・・1982年(昭和57年)
でした。〇〇家之墓はいずれもかなり新しいものでした。