お墓の疑問53~家墓はやはり最近のもの~ | のめしこき日記

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 にわか墓石マニアののめしこきは、墓は江戸時代以降、個人墓→夫婦墓→〇〇家之墓(新潟県魚沼地方上越地方の独特の墓を含む)と変遷してきたと思っています。そして、江戸時代の末(新潟県十日町地方の墓)から昭和30年頃までは、夫婦墓から家墓への過渡期と言えそうです。

 出張で、栃木県那須塩原市に行く機会があったので、当然お墓も調べてみました。
 
 
 いつ頃から〇〇家之墓に変わったか、そのデータを厚くしたいと思ったのです。
 
 
 那須塩原市大貫の共同墓地です。
 この新しい方のお墓は1978年(昭和53年)に建てられました。
 その左隣の夫婦墓は、
 1958年(昭和33年)に建てられました。
 このお墓は中央に〇〇家有縁無縁供養塔があり、左側に〇〇家之墓が建っています。 
 1966年(昭和41年)に建てられました。
 このお墓は、
 1976年(昭和51年)に建てられました。
 このお墓は、
 左の個人墓が、
 1913年(大正2年)に建てられ、中央の〇〇家之墓は、
 1882年(昭和57年)に建てられました。
 
 まとめると、
①番目のお墓・・・1978年(昭和53年)
②番目のお墓・・・1966年(昭和41年)
③番目のお墓・・・1976年(昭和51年)
④番目のお墓・・・1982年(昭和57年)
 でした。〇〇家之墓はいずれもかなり新しいものでした。