お墓の疑問11~地元の墓標~ | のめしこき日記

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 にわか墓標マニアののめしこきは、個人墓→夫婦墓という変遷があることに気づきました。
 その傾向は寺院墓地で調べたものなのですが、寺院の墓地ではなく個人の墓地はどうなっているのだろうと、地元の墓地に寄ってみました。

 海軍上等機関兵○○○○之命とありますから神道の個人墓です。個人墓は功績の大きかった人を顕彰する意味があるようですから、きっと戦死した方を顕彰するために父親でしょうか建立したものでしょう。
昭和29年(1954年)に建立されたものでした。

 信士とありますから仏教の墓ですが、

 風化してはっきり読めませんが、文政10年と彫られているように思います。文政10年は1827年で松平定信の晩年に当たります。

 風化して判読すづらいのですが安永2年とあるように思います。安永2年だとすれば1773年で、田沼意次が活躍していた頃です。

 

 夫婦墓です。

 刀自(とじ)は年配女性の敬称、大人(うし)は男性の成人の敬称だそうです。その下に命(みこと)があるので神道墓です。

 平成26年に亡くなったご夫人が平成6年(1996年)に亡夫との夫婦墓を建立したものです。きっと幸せな夫婦生活を送られたのでしょう。

 

 


 昭和11年に亡くなられたのはわかります。何時建立されたのかはわかりませんでしたが、佇まいから昭和の前半で間違いないでしょう。
 エッ、何でそんなことが判るか? 石塔の頭を見てください。海軍上等機関兵のと同じ形をしていますし、すぐ上の平成6年建立の夫婦墓とは違う形をしています。

 文政13年はネットで調べたら無く、天保元年(1830年)のようです。きっと通信の発達していない時代なので、改元されたことが周知されていなかったのでしょう。葛飾北斎や十返舎一九、滝沢馬琴などが活躍した頃のようです。

 この一族の墓地はかつては仏教墓で近年は神道墓に変化したようです。もっとも、神仏分離令の前なのでそれほど厳密な宗教的信念ではないと思いますが。

 この墓地を年代順に並べます。はじめからそうすればよかったのですが、書いてしまってから思いついたので付け足しました。
・1773年の個人墓。
・1827年の個人墓。
・1830年の夫婦墓。
・1936年頃の夫婦墓。
・1954年の個人墓(顕彰墓)。
・1996年の夫婦墓。
 したがって、この墓地からは個人墓→夫婦墓という変遷があると思われました。これは墓標の疑問02で考えたことを裏付ける結果です。
 ただし、〇〇家墓はありませんでした。土地に余裕があるから、家墓にする必要がないということでしょうか。