お墓の疑問19~中之条町平の個人墓地~ | のめしこき日記

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 にわか墓標マニアののめしこきは「個人墓→夫婦墓→家墓」という流れがあると思って、資料を集めています。

 夫婦墓です。夫は○○法印で1710年(宝永7年)に、妻は1698年(元禄11年)に亡くなりました。石塔に加工されていない石が使われています。妻が亡くなってすぐにたてられたのか夫が亡くなってから二人の戒名が彫られたのかは判りませんが、ここでは妻が亡くなった1698年にたてられたと考えました。

 1734年(享保19年)の個人墓。

 1753年(宝暦3年)頃のものですが、これは夫婦墓ではないですね。「早世」した信女が2人彫られています。娘さん2人を失った親は辛かったでしょう。

 この墓標だけではなく(上下の写真も)文字の彫られ具合が浅く字形の整い方も玄人っぽくないので、石塔は買ってきて自分で彫るか或いは知り合いに頼んで彫ってもらったのでしょうか。かえって温かみが伝わるように思いました。

 1760年(宝暦10年)の個人墓。

 1753年(宝暦3年)の個人墓。新潟県魚沼地方では現在も「南無阿弥陀仏」(他に「倶会一処」や「萬霊塔」「先祖代々之墓」など)と彫られた石塔が大勢を占めますが、群馬県西部では今も昔もこのタイプは珍しいです。

 1775年(安永3年)の個人墓。

 1732年(享保17年)の個人墓。

 1808年(文化5年)の個人墓。

 1775年(安永4年)の個人墓。

 1816年(文化13年)の夫婦墓。

 1805年(文化2年)の個人墓。

 

 江戸時代の石塔は現代の花崗岩とは違い、砂岩(だと思います)でできたものが多いように思います。風化したり苔むしたりして読み取れないものがかなりあります。