こんにちは
UMIで心の勉強修行中の、かほ です。
昨日、家族で映画を観てきました。
ジブリ映画「耳をすませば」の10年後を描いた映画、
だったのですが、内容はどちらかと言うと大人向け。
息子(不登校・小2)は、途中、暇で辛そうでしたが
娘(不登校・小6)は、大号泣でした。
泣いてるのバレると恥ずかしい、と、フードを被って泣いていた
主人公の気持ちを感じ取って、
悲しくなってしまったそうです。
小さい頃から、感受性が高い子だなぁと思っていたけど、
最近では、別次元の感度を持っているんだな、と感じます。
なんかもう、アナログと5Gくらい違うのかな、って。
感受性が高いって、良いことのように見えるけど、
それだけでもないですよね。
むしろ、高い感度で、色々なものを拾ってしまう分、
脳の中の情報量が多すぎて。
処理しきれずに止まったり、誤作動を起こしたり、
なにより、すごく疲れるはずです。
こういう子にとっては、
学校という場所が、過酷な環境に感じてしまうのは、
想像に易いと思う。
/
そんなことで、いいのか?
社会に出たら、もっと過酷で厳しいんだぞ
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そんな声が聞こえてきそうだし、
私自身も、そんな風に思っていました。
感受性が高くて、繊細な娘がとても心配だった。
でも、
大人が「社会は厳しい」ってアドバイスしたい時って、
無意識のうちに、自分がたどってきた道のりをイメージしてるよね。
私は、そうでした。
中学卒業したら、高校に行って、大学に行って、
厳しい就職活動を勝ち抜いて、就職して。
上司に怒られながら、なんとか社会人になるんだよ。
無意識下で、こんな風に想定していた。
あー、これって押し付けだったなぁと思う。
実際、私と同じように、厳しい道を行くのかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
そんなの誰にも分からないし、子ども本人が決めることなのに。
あともう一つ。
娘のことが心配になる時、
ついつい、娘がずっと今のまんまのイメージを持っていました。
これから、本人が成長していくことを、
イマイチ信じられていなかったから。
感性が豊かな子、繊細な子、
こだわりがあったり、凸凹な特性をもった子どもたち。
こういう子たちは、一部、振り切った能力のある子たちです。
ただ、経験 が、圧倒的に足りてない。
だから、能力を使いこなせないし、
環境に順応できなくて、バランスも悪い。
だから、経験を重ねて、
自分の持っているスペックをどう使っていくか、ってことを
学べばいいだけなんですよね。
それを、学校でも、家庭でも、
どこでだって、学んでいけるんだから。
アナログで育ってきたお母さんが、
5Gの子どもを育てていくのって、たしかに大変だとは思う。
だから、”育てて、導く”って、そもそも無理!って
腹をくくってしまったらいいんじゃないかな。
「へぇ~、5Gって、そんなことまで感じるんだ」
みたいに、観察しながら、
一緒に楽しんでしまうのは、どうでしょうか。
そもそも、私たちの想定には収まらないような
能力を持った子どもたちだと思うから。
将来を楽しみにして、見守って行けたら、
と思います。
本当は、学校も社会も、
みーんなが、そういう眼差しで見守ってくれたら、
ありがたいけどね。
不登校の子のお母さんは、
そういう意味では、
社会の価値観を変えていく先駆者として
選ばれし人でもあるのかな、と思います。
なりたくてなってる訳じゃない!って思うと思うけど
「学校、行きたくないんだ」と表明させてあげられた、
子どもを不登校にしてあげられたお母さんだから、
やっぱり選ばれし人かな、と感じます。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました
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