こんにちは
UMIで心の勉強修行中の、かほ です。
暑いですね~
夏といえば、甲子園!という方もいらっしゃるでしょうか。
私は、あまり野球には詳しくないですが、
たまたまテレビで、高校球児とそのお母さんが取材されているのを見ました。
その子の学校は、甲子園に出場が決まったけれど、
本人はレギュラーから外れてしまった、とのこと。
お母さんは、
「ずっと頑張ってきたのを知っているから、言葉にならない」
と、とても悲しそうでした。
その様子を見て、
私の中の、いじわる心が、むくむくと顔を出してきました。
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レギュラーになれなかったこと、そんなに悲しいんだ・・・
毎日学校に行っていて、
真剣に野球にも取り組んでいて。
こっちから見たら、キラキラしてて、羨ましさしかないけどな。
贅沢な悩みだな。
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以前の自分なら、ここまで言葉にするのも嫌で、
ただテレビを消して、モヤモヤとした気持ちを葬り去っただけだったんだけど。
自分の気持ちを掘り下げてみたら、
自分は得られていないものを持っている人が、羨ましい
自分はそれが得られなくて、悲しい
という思いが出てきました。
以前、UMI講師のかせゆきさんが話していた、
「 ”羨ましい” って感じるときは、だいたいその下に ”悲しい” って感情がある」
という言葉を思い出します。
二次的な感情の下にある、本当の気持ちって、
見つけてもらうと少しホッとするし、
そこを感じきってしまえば、スーッと軽くなるんですね。
だから、
世の中から認められるような活動を、
自分の子どもたちは全然できていないって感じて、悲しいな
を、じっくり感じてみました。
じんわりと、心が落ち着いていくのを感じながら、
「自分には価値がない、っていう私のブロック、こうやって顔をだすよな~」
って思いました
そう、「自分には価値がない」という私のブロック。
自分には価値がないから
↓
外側からの評価で、価値を付け足さなきゃ
↓
それが感じられない状態に、ザワザワ
という状況を生み出すんですね。
分かりやすい言葉だと、他人軸になっている、ということです。
何度も取り組んできたブロックでも、完全に消える、ということはありません。
そのブロックは、私を成長させるエンジンになってくれたものでもあるからね
ただ、こんな風に、ふとしたところで、
この部分、手放してもいいよ~
と、モヤっとする現実で見せてくれるんです。
そんな風に思いながら、気持ちが落ち着いたところで、
そのまんまの自分にも、
不登校で、勉強していない子どもたちにも、
本当に価値はないのか?ってところを、しっかり考えていきたいと思います。
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました