食料理に出会ってから、約1年。
もともと、ガッツリ食うタイプでもないし、肉や魚がなくては無理というタイプでもない私にとって
こんなに楽な料理はないと感じている。
楽というのは、調理の手間ということではなく、なんかこう…全部をひっくるめてというか。。
近、アニマルコミュニケーションもテレビで取り上げられたりして、
動物とのコミュニケーションが、言葉・想いを通して明確化されている。

そこで、いつも疑問に思うことがある。

食卓にあがる動物だったモノにも、もしかしたら楽しみはなかったのかもしれないけれど、
生きていたという実感は絶対に持っていたはずなんじゃないかと。

親も兄弟もいたはず。
それを食べる意味ってなんなんだろう?
単純な疑問。
間一般的に、動物が肉になる過程は包み隠すことが基本。
築地が賑わい、あらゆる工場見学が流行ろうと、
陰でせっせと稼働中のとこにはいかない。
衛生的な問題は映像ならば、完全に解決できるのは言うまでもない。

表面上は、システム的なことで理由をつけるかもしれないけれど、
誰もが既に知っている共通のことがあるのだと感じている。

例えば、スーパーに売っている肉や魚の商品ラベルに、
家族構成やここに至るまでの年表が書いてあったら、
今までのように買えるか、食べられるか・・・。
が言いたいのは、決して動物愛護でもベジタリアンごり押しでもない。
自分の中の本当のこと、それを感じとることが大事なのではないかということ。

肉が食べたいなら、おいしく食べる。
でも、それは“すでにあるもの”ではなく、“わざわざそうなったもの”であることを前提に
感謝の気持ちを持ちいただくこと、そして、良いものも悪いものも自分自身の一部になることを感じていてほしい。

そうすれば、最大限の幸福と最低限のダメージですむかもしれません。

もしかしたら。
日、とあるお宅にお邪魔した時、
こちらに何かを感じさせる空気を発しているものを感じた。
(なんとなく)

まわりを見渡すと、ピアノの横にそっと置かれた猫の写真。
近づいてそれを見てみると、写真に写っている猫の容姿の異変に気付いた。

まるでケンカをして怪我してしまったかのように、
口のまわりが裂けて腫れているような、そんな感じだったと思う。

見た目はお世辞にも良いとは言えないのだけれど、
なんだか、とてもあたたかく、とっても優しい気持ちになる。
こちらを見て、思いっきり自慢げな表情をしている猫の写真だった。

話を聴いてみると、それは怪我ではなく、皮膚の病気だったそうだ。(癌だったかな)
互いに愛情を受け合って、幸せな毎日を過ごしていたそうだ。
自慢げな表情からも、幸せだったことは想像に難くない。
る人から見れば、その写真に写る猫を『かわいそう』と思うかもしれない。
しかし、その猫は最愛の人と共に過ごし、今も愛されているのだから、
決して『かわいそう』ではないと、僕は思う。
もちろん、つらいこと、苦しいことはあったはずだけれど。
回、導かれて僕と“出会って”くれた。
そして、いろいろなことを教えてくれた。

この胸にわいてくる想いを、どのようにすれば『かわいそう』と表現できるだろう。

猫自身が背負ったもの、ご主人の背負ったもの、
そして、今回僕が背負ったもの。

皆の背負ったものの中から、共有できたものは「愛情」「慈しみ」「感謝」。

だから、僕は『かわいそう』とは絶対に思わない。

表現するのであれば
『ありがとう』
この言葉に尽きる。
ところどころ、修正したい部分はございますが、
その時、自分が感じたことを感じることが大事だと思いまして、
そのままにしてあります。

その変化をたっぷり味わって、今を生きることが何より大切ですね。

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以上です。
事の前の『いただきます』は、何のために言うのだろう?

ふと、そんなことが頭の中に湧いてきました。
『今、それを考えるチャンスが来たのだ』と、
このブログのスタンスから、そう表現してみます。

よく言われたのが、
◇“食材”となった“いのち”への感謝
◇作ってくれた人への感謝
だったと記憶しているし、ほとんどの人がそう言われてきたんじゃないかと思う。

かし、そうであるならば『いただきます』という言葉は、
あまり適切な表現ではない様な気がしてきた。

か大事なことが省略されて、『いただきます』に落ち着いたのかもしれないけれど、
『いただきます』だけでは、敬意に欠ける気がしてならない。
葉に出すかどうかではなく、どのような姿勢で『いただきます』をするかが、
本当に大事な気がしています。

自分が生きていられることに感謝します。
自分が生きるために食べさせていただけることに感謝します。
あなたの命を私に取り入れ、責任を果たすために生きていきます。
自分を含め、全ての命に感謝して、
『いただきます(ありがとう)』

それぞれの『いただきます』が、今以上に愛に溢れたモノになるといいな。

これを書くにあたって、出会った全ての感情、想い、もの、事に心より感謝します。
と見た記事に書いてあったのですが、
よく話題にされているマヤ文明の長期暦から考えた、
2012年12月22日ごろに一つの文明が終着しますよってお話。
その記事によれば、この2012年のその日付は、現代の新暦に合わせて誤差を修正すると、
2011年10月28日ごろとのこと。

段、何も気にしていないのに、何かとっつきやすいことがあると、
それをきっかけに急にマヤのことなどを慎重に見たりするところに、
人の深い深い部分の共通した意識の高さを感じ、感動したりします。
同時に一瞬で過ぎ去っていく感(いわゆるブーム)は、少し寂しいと感じますが。
を戻しまして、これはおそらく、もうすぐそこまで来てるから『ヤバイッ!』ってことよりも、
早めにやってきて『ラッキー!』ぐらいの気持ちでいても良い出来事のような気もする。

もちろん、眼に見える形で起こること、起こらないこと、
日常で気づくこと、気づかないこと、その他もろもろたくさんあると思いますが、
確実に何かが変わり始めているような気がするんです。
なんとなくなのですが。

“終わる”よりも“変わる”ような気がするのは、
今年の3月の歴史的な出来事から、
一人ひとりのそれぞれ大切なモノと向き合う姿勢(気持ちの姿勢)が、
明らかに違っているのを感じているから。
に見えている部分では、「必要か?」って照明が以前のように眩しかったり、
「汗かいて入ったら、確実に全員風邪ひいちゃう」くらい冷房がガンガン効いてたりして、
やっぱり『ブーム』だったんだと寂しくなるけれど、
根本的なモノは、3月がきっかけとなり、大きく変化し始めているのは明らか。
の日のことを忘れてはいけないのは、
被災された方への同情でも何でもなくて、
自分の中に本来持っている心の在り方を、
しっかり持ち続けるためだからじゃないかと、
私は感じています。どうでしょうか。

2012年の年末までに、どのようなことが起こるか、(気付かないかもしれませんが)
それをしっかりと感じとり、意識していくことがとても大事なのだと思います。

この記事を書くにあたり、出会った感情、想い、モノ、事に心より感謝申し上げます。