菜食料理に出会ってから、約1年。
もともと、ガッツリ食うタイプでもないし、肉や魚がなくては無理というタイプでもない私にとって
こんなに楽な料理はないと感じている。
楽というのは、調理の手間ということではなく、なんかこう…全部をひっくるめてというか。。
最近、アニマルコミュニケーションもテレビで取り上げられたりして、
動物とのコミュニケーションが、言葉・想いを通して明確化されている。
そこで、いつも疑問に思うことがある。
食卓にあがる動物だったモノにも、もしかしたら楽しみはなかったのかもしれないけれど、
生きていたという実感は絶対に持っていたはずなんじゃないかと。
親も兄弟もいたはず。
それを食べる意味ってなんなんだろう?
単純な疑問。
世間一般的に、動物が肉になる過程は包み隠すことが基本。
築地が賑わい、あらゆる工場見学が流行ろうと、
陰でせっせと稼働中のとこにはいかない。
衛生的な問題は映像ならば、完全に解決できるのは言うまでもない。
表面上は、システム的なことで理由をつけるかもしれないけれど、
誰もが既に知っている共通のことがあるのだと感じている。
例えば、スーパーに売っている肉や魚の商品ラベルに、
家族構成やここに至るまでの年表が書いてあったら、
今までのように買えるか、食べられるか・・・。
私が言いたいのは、決して動物愛護でもベジタリアンごり押しでもない。
自分の中の本当のこと、それを感じとることが大事なのではないかということ。
肉が食べたいなら、おいしく食べる。
でも、それは“すでにあるもの”ではなく、“わざわざそうなったもの”であることを前提に
感謝の気持ちを持ちいただくこと、そして、良いものも悪いものも自分自身の一部になることを感じていてほしい。
そうすれば、最大限の幸福と最低限のダメージですむかもしれません。
もしかしたら。
もともと、ガッツリ食うタイプでもないし、肉や魚がなくては無理というタイプでもない私にとって
こんなに楽な料理はないと感じている。
楽というのは、調理の手間ということではなく、なんかこう…全部をひっくるめてというか。。
最近、アニマルコミュニケーションもテレビで取り上げられたりして、
動物とのコミュニケーションが、言葉・想いを通して明確化されている。
そこで、いつも疑問に思うことがある。
食卓にあがる動物だったモノにも、もしかしたら楽しみはなかったのかもしれないけれど、
生きていたという実感は絶対に持っていたはずなんじゃないかと。
親も兄弟もいたはず。
それを食べる意味ってなんなんだろう?
単純な疑問。
世間一般的に、動物が肉になる過程は包み隠すことが基本。
築地が賑わい、あらゆる工場見学が流行ろうと、
陰でせっせと稼働中のとこにはいかない。
衛生的な問題は映像ならば、完全に解決できるのは言うまでもない。
表面上は、システム的なことで理由をつけるかもしれないけれど、
誰もが既に知っている共通のことがあるのだと感じている。
例えば、スーパーに売っている肉や魚の商品ラベルに、
家族構成やここに至るまでの年表が書いてあったら、
今までのように買えるか、食べられるか・・・。
私が言いたいのは、決して動物愛護でもベジタリアンごり押しでもない。
自分の中の本当のこと、それを感じとることが大事なのではないかということ。
肉が食べたいなら、おいしく食べる。
でも、それは“すでにあるもの”ではなく、“わざわざそうなったもの”であることを前提に
感謝の気持ちを持ちいただくこと、そして、良いものも悪いものも自分自身の一部になることを感じていてほしい。
そうすれば、最大限の幸福と最低限のダメージですむかもしれません。
もしかしたら。