日、とあるお宅にお邪魔した時、
こちらに何かを感じさせる空気を発しているものを感じた。
(なんとなく)

まわりを見渡すと、ピアノの横にそっと置かれた猫の写真。
近づいてそれを見てみると、写真に写っている猫の容姿の異変に気付いた。

まるでケンカをして怪我してしまったかのように、
口のまわりが裂けて腫れているような、そんな感じだったと思う。

見た目はお世辞にも良いとは言えないのだけれど、
なんだか、とてもあたたかく、とっても優しい気持ちになる。
こちらを見て、思いっきり自慢げな表情をしている猫の写真だった。

話を聴いてみると、それは怪我ではなく、皮膚の病気だったそうだ。(癌だったかな)
互いに愛情を受け合って、幸せな毎日を過ごしていたそうだ。
自慢げな表情からも、幸せだったことは想像に難くない。
る人から見れば、その写真に写る猫を『かわいそう』と思うかもしれない。
しかし、その猫は最愛の人と共に過ごし、今も愛されているのだから、
決して『かわいそう』ではないと、僕は思う。
もちろん、つらいこと、苦しいことはあったはずだけれど。
回、導かれて僕と“出会って”くれた。
そして、いろいろなことを教えてくれた。

この胸にわいてくる想いを、どのようにすれば『かわいそう』と表現できるだろう。

猫自身が背負ったもの、ご主人の背負ったもの、
そして、今回僕が背負ったもの。

皆の背負ったものの中から、共有できたものは「愛情」「慈しみ」「感謝」。

だから、僕は『かわいそう』とは絶対に思わない。

表現するのであれば
『ありがとう』
この言葉に尽きる。