『『マッドマックス:フュリオサ』4DXヤバい(爆笑)』から続き。

というワケで、『フュリオサ』4DX上映をもっかい観に行こうと思ったんだけど、なんかULTRA 4DXっていうもっとスゴイのがあるらしいことを知った。

「「ULTRA 4DX」シアターは、体感型アトラクションシアター「4DX」と、3面マルチプロジェクション上映システム「ScreenX」が融合した体感型シアターです。 革新的なスペシャルエフェクトと、視野270度の3面マルチプロジェクション上映システムによって、今までにないダイナミックな映画体験をご提供します。」

「ScreenXは従来の正面スクリーンに加え、左右の壁面にも映画のシーンが映し出される世界初のマルチプロジェクション映画上映システムです。 目の前の視界いっぱいに270度まで広がる3面ワイドスクリーンはまるで映画に包み込まれるような感覚を与え、深い没入感を味わうことができます。」

(グランドシネマサンシャイン池袋公式サイトより)

つまりScreenX4DXが合体したのがULTRA 4DX なのだ。

しかも超絶アトラクションである『フュリオサ』仕様の4DXとScreenXがドッキングなんである。

ULTRA 4DX は全国でたった4館のみらしい。都内ではグランドシネマサンシャイン池袋と、あと町田にある映画館だけ。町田なんて遠過ぎて行ってられません。というワケでグランドシネマサンシャイン池袋へゴーッ!

(ちなみにグランドシネマサンシャイン池袋は通常料金¥2000で、それにプラスしてULTRA 4DX料金¥1600なので合計¥3600。高ェ!

なので俺は水曜サービスデー¥1300 + ULTRA 4DX¥1600=¥2900で観てきた。ちなみにここでの『フュリオサ』ULTRA 4DX上映は俺が観た翌日で終了。)

 

俺はScreenXで観たことがない。

『フュリオサ』仕様の4DXの凄さは前回話したが、ScreenXは観る前から凄いことが事前に想像できる。

というのは、そもそも映画鑑賞というものはテレビドラマを見ることとはまったく異質で、プラネタリウムを鑑賞しに行くことに近い。

テレビは小さい画面とスカスカ音質だから、必然的にテレビドラマというものは脚本と出演者で進める他ない。

一方、映画はデカいスクリーンと迫力の音響で観るものだから、映像と音像を堪能するもの。視界いっぱいに広がる映像を鑑賞することで、その場にいるかのような錯覚が得られ、そこに効きのいい音響も加わって、体感し疑似体験するもの。

だから映画は高い金払ってわざわざ観に行くものなのだ。

テレビドラマと映画を混同してて、映画を観た感想でストーリーがどうとかプロットがどうとかヌカすバカが多いけど、テレビドラマの見方で映画を見てんじゃねェよって話で。

むしろ映画にとってストーリーはジャマであり不必要なんである。映画が展開してる時は物語は停止し、物語が展開してる時は映画は停止を余儀なくされる、ってやつ。

ドラマはあってもいいけどストーリーは要らない。「ストーリー」と「ドラマ」は違う。「ストーリー」と「映画」は齟齬を起こすが、「ドラマ」は「映画」を阻害しない。

『テネット』をIMAXで観た時の体験は素晴らしかった(ちなみにコレもグランドシネマサンシャイン池袋であり、日本で2館しかない最大のIMAXで観たのだった。)

映画観に行ったと思ったら現地だった、ってやつよ(笑)。

映画鑑賞は映像が視界いっぱいに広がるように観る必要がある。俺が映画をできるだけ一番前のセンターの席で観るようにしてるのはその為。

人間の視界は左右120度ぐらいらしく、だから視界120度で映像が広がっていると人間の脳は強い疑似体験ができる。VRなんかなくても、十二分に体感はできるんである。

それでだ、ScreenXは正面のみならず左右にも映像が映され、その範囲は270度を誇ると。

しかもここに身体を蹂躙される『フュリオサ』仕様の4DXがプラスされるんである。

前回観た時ですら最早映画鑑賞というよりイベントという様相を呈していたわけだが、それを上回る鑑賞環境がULTRA 4DXと期待できる。

 

久しぶりのグランドシネマサンシャイン池袋。

ロビーが、なんか障害物増えて見晴らし悪くなったなー。前は抜けてたのに。

 

席を取る時、悩んだ。

いつもは一番前の席とか取るんだけど(スクリーンの大きさや高さにもよるから一概には言えない。スクリーンが小さめなら間違いなく一番前。スクリーンが巨大過ぎるならもう少し下がった方が良かったりもする。あとスクリーンが高いと一番前だと見上げる形になってしんどかったりするし)

今回は通常とはケースが違う。270度映像なのだ。

従業員に左右の映像ってどの辺まで映ってるのか聞くと、左右の壁全部映ってますと。だから一番前の席だと堪能できないみたいな。

なので後ろから2列目のセンターにした。こんな後ろに座るのは相当久方ぶり。

で、観てみて。

…なんか俺が思ってたのとかなり違った。

まずね、270度=横にはすごく長いのだが、正面は高さがさほどない。

だから(特に後ろの方の席から観てると)視界に対して上下が空き過ぎで、否が応でも天井と客席が視界に入ってしまうので、まったく没入できない。天井と客席という“現実”が常に視界に在るという。

 

あとこれも致命的、俺てっきり270度映像って湾曲してるスクリーンなのかと思い込んでたんだけど、実際には左右いっぱいの長さの正面スクリーンに加えて左右の壁に映し出されるので正面スクリーンの左右の端と左右の壁の境目は湾曲ではなく90度の角になってる。黒い太いラインすら入ってて、映像がガッツリ直角に折れ曲がる。ワイド感を感じるより先に場内の物理的な四角形の作りがどうにも意識されてしまう。

 

左右の壁に映される方の映像が解像度低いのはまぁ別にいい。人間がものを見てる時、あくまで対象物や正面に目の焦点は合っていて視覚の端はぼんやり見えてんだから、むしろ現実に沿ってるとすらいえる。

 

ただ、270度映像を頭からケツまでずーっとやってるのは何か不都合があるのか手間かかり過ぎるのか予算的な都合なのかなんなのか知らないが、正面スクリーンには一貫してずっと映像が映ってるんだけど、左右の壁には映ってる時と映ってない時がある。俺最初てっきり映写トラブルかと思ったもの。

この左右に映らなくなった時も観てる気分としては非常に現実に戻る。

 

だからこれでULTRA 4DX料金として通常料金にプラス¥1600というのは高いと思った。「ScreenX」があまりよろしくなかったんだよね…。

 

あと、まぁ文句ばっかでなんなんですがね、

今回の4DXは前回シアタス調布で観た時ほどキテなかった気が… 気のせいなのかな? 劇場によって違ったりなんかしないよな? 自分が『フュリオサ』仕様4DXにちょっと慣れちゃったのか?

前回マジで振り回されてたからな(笑)。今回も中盤あたりのウォータンクが急襲されるシークエンスは相当キテたけどね、それ以外はそんなエラいことにはならなくて。

(あとさぁ… 通路挟んで隣りの席の野郎が上映中に腕時計見てるのかスマホで時間見てるのか時々なんか点けやがる。光る度に視界の端に見えて、それも鑑賞を著しく阻害した。それが目の端に見える度に現実に引き戻される。

上映前に注意事項流れるよな、前の座席を蹴るなとか光るもの点けるなとか。言われても守れない奴って頭 相当足りな過ぎ。

アイツ絶対ストーリーで見てたんだよ。だから退屈だったんだろう。『フュリオサ』は映像・音像とドラマで展開するんで、ストーリーというものはあまりない。

そういう作品を堪能出来ない奴は映画鑑賞にまったく向かない奴なんで、オマエはもう2度と映画見にくんな。一生家でテレビドラマ見てろ。)

 

ULTRA 4DXに話戻して、まぁフォローするわけじゃないけど、不満はありつつも、観てる最中こんなことも思ったんだよね、

70~80年代の俺だったら、凄ぇ!って大興奮したろうなって。

歳食ってる人間だけが持ち得る能力なんだけど、比較という概念だったり、脳内タイムトリップだったり。

現在の俺的には期待外れだったScreenX だけど、70~80年代にコレを鑑賞したならスゴイと思ったろうね。横にまで映るなんて ない時代だからさ。

それでさらに4DXでぐわんぐわん揺れてさ、昔だったら3万払っても体験したいと思ったかもしれない(苦笑)。

70~80年代の現実と今の現実を同じ俎上で考えると、俺は今 未来を生きてるんだなァとかしみじみ思ったりなんかもしなくもない。

 

確実な事は、臨場感というのは2Dか3Dか4DかVRか、なんてのは関係がない。2Dでも臨場感に溢れてる作品がある。

『ブレードランナー』の時に言った事だよ。まぁ『テネット』の時の話もだけど、やっぱデカいスクリーンで視界いっぱいに映像が広がるように観ること(3面でなく1面で構わない)、あとテレビドラマの撮り方ではなく映画的な映像、これが映画足り得てる映画の絶対条件。

これを踏まえていてこそ疑似体験が可能になるし、2Dでも映画は全然堪能出来る。

(そして、だから映画はあくまで映画であって、テレビドラマや配信作品やVシネとはまったく別物なんだっていう。

そこがちゃんとわかってれば、端から配信前提で作られた作品をアカデミー賞で扱うか否かなんて議論になったりなんかしない。答えはわかりきってる。そんなもん映画なわけないだろが。)

 

 

前回言及し忘れてた。

ディメンタスが他所の縄張りを乗っ取ろうとするのだが、カチコミかけて返り討ちに遭う相手が前作(物語上は『フュリオサ』の後になるが)『フューリーロード』の敵になるイモータン・ジョーなんだけど、

イモータン・ジョーは『フューリーロード』の時は“異様な奴”でしかないんだけど、今回かなりカッコいいんだよね。ディメンタスでは到底及ばないだろうなという貫禄すらある。『フューリーロード』の時は全然カッコよくなかったのに。

そんなイモータン・ジョーと ろくでなしディメンタスの対立は悪vs悪の面白さがある。

 

前回プロダクションデザインが物足りないとか言ったけど、もういっこだけイイのあったね。ディメンタスが最後に乗ってたバイク、フロント部分が女の上半身裸のマネキン(笑)。

 

最初の連れ去られたフュリオサを母親が追撃する場面で、やられた敵の1人が砂にめり込んで足だけ出てるじゃん、アレもナイスだったなそういえば。『犬神家の一族』の湖の足だけ突き出てる死体みたいで(笑)。

あぁいうやり過ぎ演出はエキセントリックなマッドマックスに合ってる。

 

やっぱ瞳にはデジタル加工入ってるだろう? それも主要登場人物全員。

これを目力が凄いとか瞳がキレイな役者さんだなとか思っちゃダメよ? それカン違い。デジタル加工だからアレ。

 

あと字数もあれ以上増えてもしゃあないんで前回まったく触れなかったけど、トム・バーク演じるジャックが結構いいっちゃいいんだよね。

過去シリーズ作のマックスに相当するようなキャラ。マックスじゃないんだけど。

そりゃあメル・ギブソンの本家マックスには遠く及ばないし、衣装がダサくてまったくカッコよくないんで『フューリーロード』のトム・ハーディ演じるリメイクなマックスにすら及ばない。ルックスも最初見た時、太り気味のパッとしないアンちゃんだなーと(苦笑)。

でもフュリオサとの接し合いはなかなか悪くない感じで。『フューリーロード』のマックスとフュリオサの接し合いに近いパターン。

観てるうちにカッコよく見えてくるキャラ。

(でもやっぱ旧マッドマックスシリーズのメル・ギブソンの凄みのある漢のカッコよさにシビれた世代としては、そこんとこ新シリーズは全然ダメんなっちゃったよなぁ…と。

なんかジョージ・ミラー、ウーマンリブみたいな感じになっちゃって、そういうのは、やっても全然いいけど他所でやってくんねェかなっていう。)

このジャックってキャラ、なんで出したんだろうね? 『フューリーロード』のマックスと立ち位置ほとんど同じじゃない? だから物語の構成というかキャラの配置というか『フューリーロード』と似たものに感じる。

やはりカッコいい男がいなけりゃ『マッドマックス』じゃないというのはミラーも重々承知なのかね? でもマックスはフュリオサ革命編(←『フューリーロード』)で登場させたから、その前日譚ではまだ出せない。でも男は要る。それでジャックってキャラ?

旧シリーズは男のヒーローもので、新シリーズでやりたいのは女のヒーローもの?

ただ、新シリーズ3作目『マッドマックス:ザ・ウェイストランド(原題)』はマックスが主人公の物語になるって話なんだよな。

1作目がマックスとフュリオサのバランスがイーブン、2作目はフュリオサの話、で3作目がマックスの話なら、3作通して男と女がバランスイーブンになる。そういう狙いなのかな?

3作目のマックスが素晴らしければ結果まぁ許せるということになるかもしれない。

しかし『フュリオサ』は(日本はそうでもない?)興行的に不振なようで(『フュリオサ』に限らずハリウッドの新作は軒並み不振らしいけど)、『ウェイストランド』は製作頓挫する可能性も無きにしも非ずらしい。

『フュリオサ』で終わったら新シリーズはマッドマックスシリーズとしては失敗でしょう。

ここまできたら2作目の興行成績がどうであろうが3作目もやらなきゃダメだよ。それがミラーの責任だと思うよ。

 

…でもまたデジタル映画になるのか。もう“デジタル映画”って時点でマッドマックスとしては失格なんだけどね。

それに予算かかり過ぎなんだよ。『フュリオサ』の製作費1億6800万ドル? 金かけ過ぎだろ! 小国なら国家予算に匹敵すんじゃない? ちょっとした戦争出来るぐらいの額だろ。

『ウェイストランド』は原点に立ち返ってだね、デジタル一切ナシで作れば3~4千万ドルぐらいで作れない? ポストプロダクション(撮影後の作業。デジタル作業もココ)にいくらかかってんだよ? デジタル作業なかったら予算も手間も相当浮かないか?

でも新シリーズ1・2作目がデジタル映画で、今さら3作目で旧シリーズのような生の臨場感と迫力に満ちた非デジタル映画で完成させたら、今の若い観客は違和感バリバリ&納得いかないだろうな。

だから最初からデジタルには手を出すべきではなかった。『ベイブ』(子豚が主役のミラー監督作)とかはともかく、マッドマックスはランボー(コレとかコレ)とかジャッキー・チェンなどと同様デジタルの対極にある存在だったんだから。

『フューリーロード』の時、ミラーは“デジタル映像技術が進んで、自分が表現したいものが出来る環境が整った”みたいなことを言っていた。でも、にしてもデジタル使い過ぎだろ。最早こんなのデジタルアニメと変わんないじゃん。実写映画の迫力と凄みと魅力が旧マッドマックスシリーズには溢れてた。マッドマックスの存在意義ですらあったのに。

 

 

…と、なんかテンション下がり気味な感想になっちゃったけど、

まぁ天気も良くてね、久しぶりの池袋だったし、アトラクションとしてはまぁまぁ楽しめたし、お出かけとしては良かったけどね。

『マッドマックス:フュリオサ』観に行く気なかったんだよ。

前作の『マッドマックス フューリーロード』(邦題『マッドマックス 怒りのデスロード』)劇場で観ての感想は当時ブログに書いてる。その時は高評価だったんだけど、のちにブルーレイで観たら不自然感がやたら目について。

要はデジタル映画なんだよ。俺の嫌いな。(この時とかこの時に理由を説明してる)

本来のマッドマックス、旧シリーズ

『マッドマックス』

『マッドマックス2』その1

『マッドマックス2』その2

『マッドマックス サンダードーム』その1

『マッドマックス サンダードーム』その2

の魅力は

①メル・ギブソンの凄みとカリスマ性あるヒーローぶり

②交通事故のドキュメンタリー映画かってなぐらい命知らずなスタントと撮影で撮られたカーアクション

③オーストラリアで撮られた異様な光景・風景の良さ

④センスカッ飛び過ぎのプロダクションデザイン(衣装、小道具から車、セットまで色々)

で、②と③は生(リアル感、臨場感)の素晴らしさに満ちており、③と④は見事に世界観を成立させている。

テレビドラマは脚本と出演者で推進するものだが、映画は映像と音像で体感し疑似体験するものであるから、旧マッドマックスシリーズは映画的魅力に満ち溢れた素晴らしい映画だった。

『フューリーロード』はメイキング映像見るとちゃんと砂漠地帯みたいなとこで撮ってるしスタントもガッツリやって撮ってる。

ところが実際に完成した映画は全編デジタルで映像を加工しちまってる。砂嵐の内部のシーンみたいに撮影不能な場面はまぁいいでしょう。しかしそれ以外のシーンもみんなデジタル加工しちまって、エセ実写映画と化してる。

加工前の映像はロケ地といいスタントといい旧シリーズに負けず劣らずの映像でとても良かったのに。

70~80年代の生の凄さに溢れた映画を観て育ってきた俺からすると、CGやデジタル映像っていうのはものすごい安っぽさ・2次元感を感じるんである。

だから『フューリーロード』は俺の中で評価が落ちた。

で、『フュリオサ』の予告編見たら映像がモロにデジタル映画で、これ高い金払ってわざわざ観に行くもんじゃねェなと判断。(薄っぺらいデジタル映像なんぞはテレビやPCのモニター程度で見て十分。スマホで見たって構わねェぐらいだ。)

あともう1つ。

①の話。マッドマックスシリーズはガッツリ問答無用で漢の映画だった。そこが凄まじくカッコよかった。

ところが『フューリーロード』は男のマックスと女のフュリオサのW主演。でもまぁ許せる範疇ではあった。それぞれに良さがあって、フュリオサに偏り過ぎてもいなかったし。

しかし『フュリオサ』はタイトルからもわかる通り完全にフュリオサが主役。こうなると話は違ってくる。メル・ギブソンがいないどころか男が主役じゃないなら最早マッドマックスじゃないだろう。そのぐらい①は重要だった。

そうした諸々あって、観に行かないことにしたのだった。

 

んが。しかし。

エンタメを摂取したくて、自宅じゃなくて外で、なんか楽しみたいなーと。

今公開してる映画チェックするとコレといったのがない。そんな中で引っかかったのが『フュリオサ』の4D上映だった。

『フュリオサ』を映画として観に行くのではなく、単に4Dのアトラクションを楽しみに行こうか、と。

そういうワケで観る気なかった『フュリオサ』を4DXで観てきたのだった。

序盤のフュリオサの母親の活躍は見ごたえがある。キレッキレ。

しかしそれはマッドマックスの魅力とはまったく異なる。

それと、すっかりストーリーものになっちゃったなァと感じた。

いやストーリーというよりドラマで展開してはいくんだけど(「ストーリー」と「ドラマ」は違う)、フュリオサの流転の状況が描かれ続けて、ストーリー性を強く感じるんである。

『フューリーロード』はストーリーなんかないも同然で全編ほぼチェイスで展開して、そういう意味では映画として素晴らしかった。よくぞやったというね。

でも『フュリオサ』前半は物語を見せられ続けるという感じで、いや見ごたえはあるんで退屈はしないけど、マッドマックスじゃねーよなっていうかさ…。

 

ところが後半、チェイスやバトルシーンが多く展開するようになると、事態はとんでもないことに!

座席が揺れる揺れる揺れまくる! 気でも狂ったかぐらいの揺れっぷり!

あまりにガンガン揺れるんでシートから落ちそうになる(笑)。ちゃんと座ってんのにどんどんシートから身体が滑り落ちていくんだよ(笑)。何度座り直しても体が落ちてく。子供じゃないんだよ? 俺ガッツリ大人なんですけど?(苦笑) そのぐらい常軌を逸した揺れ。

両腕も脇を締めて体の中央寄りに置いてないとヒジが肘掛けにガツンガツンぶつかって痛ェ(苦笑)。

まぁ凄まじかったね。シートの可動域限界まで動かしてんじゃねェかっていうか『フュリオサ』の為にシート改造して可動域広げてねェかってぐらい超過激な動き方だった。

もうメチャメチャにされる。振り回されまくって蹂躙されるっていうかさ。

あまりに凄過ぎて笑っちゃったもの。たまんねーなコレ(笑)。

ジョン・トラボルタの言葉を借りれば「こいつぁトブぜ!」(by『ブロークンアロー』)

長州力の言い方を流用すれば“座ってみな。飛ぶぞ”

今まで何度か4Dで観てるけど最高峰な揺れっぷりだった。

スクリーンから目を離して客席を見ると、全部の座席が波打つようにすんげー揺れてる! それはもう見たことがないほど。

過去に4Dで観た時こんな座席動きまくってたっけ!? あまりのド派手な動きっぷりに、とんでもないものを見た気がした(笑)。マグニチュード9の大地震じゃないんだから。俺一応東日本大震災の被災者なんだよね… 今は都内在住だけどあの時仙台在住だったから、あの大地震を現地で食らってんの。その俺が言うんだから、いかにキテるかってことよ。

「安全のため、身長100㎝未満のお子さまは4DXをご利用いただけません。また、120㎝未満のお子さまは、保護者の方と一緒にお楽しみください。」

いやぁコレ「120㎝未満のお子さまは、保護者の方と一緒」でもヤベェぞ? 子供と老人はムリだろ!

「妊娠中の方、車いすの方、ご年配の方、体に疾患がある方、体調の優れない方、酒気を帯びた方、身体・精神的に敏感な方、車酔いしやすい方も4DXをご利用いただけません。」

まったくだ!

「貴重品や壊れやすいものはしっかりとお手元かスクリーン外に設置の専用ロッカーをご利用ください。(中略) お客さまの所持品が紛失・破損等した場合、保証はいたしかねますのでご了承ください。」

俺、4Dの時もバッグはロッカーに入れず膝の上に置いて鑑賞する人なんだけど、一応ファスナー閉めてバッグの口は塞いでたのよ。これ開きっ放しだったら中身飛び出してたんじゃねェの!?ってぐらいのクレイジーな揺れっぷりだった。

「お子さまの安全の為、チャイルドシートのご使用や、お子さまをひざの上に座らせての鑑賞は禁止させていただきます。」

もうムリムリ。転げ落ちるよ。

「水の出る演出は肘掛のスイッチ(右手側)でON/OFFを切り替えることができます。」

いいやオフっちゃダメだ。ぜひ全部堪能しよう。

水関係の場面、あと血の場面でも水飛んできたかな? 素晴らしいのは小便の場面まで水がハネてくる。悪ノリが過ぎる(笑)。

砂が巻き上がるような場面でスモッグが立ち昇るのはタイミングがちょっと遅い時もあったけど(煙ってゆっくり立ち昇るから、スクリーンの高さまで立ち昇った時にはもう次のカットに変わっちゃってたりね)、でもそうでない時は映像の手前に立ち昇るスモッグは立体感を生んでてナイス。

4Dあるある、無理くり動きをつけてて全然合ってない効果も多々ありつつも、

場内に風が吹く、銃撃で顔のすぐ傍をシュッとエアー、俯瞰や仰角でシートが前傾やのけぞり気味になる… 足元にもなんか来たし!

俺に言わせると4Dは映画において「体感」「疑似体験」足り得ないけどアトラクションとしては面白い。

そして『フュリオサ』はやり過ぎた(笑)。これ誉め言葉よ。ナイスだったよ。凄過ぎてもっかい行きたいぐらい。

 

ちなみに4DXは吹替しかなかった。

映画は基本的にはオリジナル音声で観るべき。ごく一部の例外は除く。昔のジャッキー・チェンとかサモハンのクンフー映画とか、『バッドボーイズ』シリーズなんかは吹替の方がイイ味出してたりする。でもやっぱ映画ってのは製作された国あるいは舞台になってる国を疑似体験できるのも面白味の1つなんで、基本的にその国の言語で観るべきなのだ。

でも吹替版のみってのは、4Dというアトラクション上映で字幕読むのは読んでるヒマねェだろ?ってことなのかね?

ま、今回は映画として観に行くのではなく あくまでアトラクションを楽しみに行くのでまぁいいかと。

で、本作の吹替は悪くなかった。ヘタクソな奴いなかったし。

 

映画としての感想は、

見ごたえはあったけど、やっぱデジタル臭が強い。そんなのはもうマッドマックスじゃない。

それに今回フュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイの目力が凄いけど、あれデジタル加工してるでしょ? ありのままの映像じゃないはず。であるならアニャ・テイラー=ジョイの演技が凄い!って誉めるのはちょっと違う。

(実際問題 顔に不自然感がある。ハリウッドで実写映画化された『銃夢』のようなデジタルで作られたキャラのような。これはもう日常での女性の写真の画像加工からしてそう。アレの不自然感たるや、捕獲された宇宙人レベルだもんな。あれが魅力的と思ってる神経が理解できない。)

それから、フュリオサ=女が主役なんで、そういう意味でも「マッドマックス」じゃないよなっていう、①の話よ。

そもそも女性が主役のアクション映画ってファンタジーになっちゃうんだよ。しょうがないんだけど。生物学的にそもそも無理がある。体躯とか筋力の問題の話。

女にも女の強さがある。でもそれは殴ったり蹴ったりバカスカ銃撃ったり猛スピードで走行してるトラックの底部にしがみつくとかではない。

ガタイのいい女のアクションなら魅力ある。説得力も皆無というわけではない。でもフュリオサってスレンダーじゃん。『フューリーロード』ではシャーリーズ・セロン、今回はアニャ・テイラー=ジョイが演ってるけど、どっちも細身。『フューリーロード』のフュリオサにはたしかパワー系なアクションシーンはあまりなかったから説得力あまり削いではいなかった気がするが、今回はバリバリパワフルなアクションなんで、この細い人じゃ到底無理でしょうよっていうね。(シャーリーズ・セロンだってガンガン戦う諜報員役な『アトミックブロンド』みたいなのはやはり説得力に欠ける。)

マッドマックスは迫力が身上なんで、女性が主役ではそれを満たせないんである。

だからドラマ的には悪くないけど、デジタル映画であることと女のアクション問題とが相まって説得力や力強さは遺憾ながら低い。

あと④の話、今回はプロダクションデザインが弱かったね。カッ飛んでない。良かったのはディメンタスの乗ってたやつぐらいじゃない? バイク3台で引っ張ってる台車みたいなのに乗ってる。手綱持っててバイクに繋がってて、『ベン・ハー』の戦車レースの4頭馬車みたいな。バイクでアレをやっちゃうセンスがスゴイ。普通思いつかねーよ。思いついてもやろうとはしない(笑)。でもそれぐらいで、あとは特にコレといったのなかったろう?

パラグライダー良かったけど、あれはプロダクションデザインとは別の話だし。あれで映像&アクションが3次元になるのは良かったね。しかも離陸から空中上がってトラックの連中とバトり始めるまでワンカットで見せるのがまたナイス! カット割りまくり糞編集な映画だらけの現代でよくぞカット割らずに見せてくれた! これが映画だよなっていう。体感だよ体感。

 

それと要注意なのは、本エントリの冒頭で俺的に『フューリーロード』は劇場で観た時は高評価だったがブルーレイで観返したら評価落ちたって言ったろ? あれたぶんね…

『フュリオサ』も今回劇場で観て、かなり迫力あった。けどこれは音で騙されてるんだろうな。

CGとかデジタルって所詮コンピュータが作り出したものだからどうしても平面的なシロモノであり2次元感がついてまわるのは宿命的なんで、音響でカバーしてやらないとならない。映像だけだとペラペラだから迫力ある音響をつけてやると、映像の平面ぶり・人工感・不自然さ・空気感や質感の無さなどを観客に対して結構ごまかせるんである。

でも円盤でも配信でも自宅で観るとなると、大きめのモニターを持ってたとしても、デカいスピーカーまでは繋いでないだろ? 俺もそうだ。モニターはちょい大きめだけど、繋いでるスピーカーは¥3000ぐらいの安い小さいやつ(それでも何も繋がずテレビなどのスカスカ音質の内臓スピーカーから音出すよりはちょっとマシではあるけど。あとマンション=一応他人と共同生活といえるのであまりデカすぎる音も出せないし…)。

そういう自宅環境でデジタル映画を再生すると、デジタル映画のペラさを音響でカバーするというのが通用しなくなる。だから劇場鑑賞であんだけ迫力あったのがショボくなるというね。

『フュリオサ』もこのパターンになるだろう。音、結構迫力あったからね。裏を返せば映画館以外で観たらこんな迫力は感じない。デジタル映画の正体が露呈する。音でごまかされてるという事実がね。

 

でも端から映画としては期待せずアトラクションを楽しみに行った俺的には大満足した“イベント”だった。映画鑑賞というより最早イベント。ネットで感想見ると、なんかどうも実際問題『フュリオサ』の4DXの揺れは通常より凄いらしいね? (MX4Dではなく4DX。本作MX4Dでもやってるけど、そっちの揺れがどの程度かは知らない)。エキサイトメントが欲しい人は4DXオススメ。後半からきまくりやがるからさ、ぜひ楽しんでよ(笑)。

ワタクシはシアタス調布で観てきましたよん。

通常より凄い=イレギュラーなら、この機会にまたいっとく必要が絶対ある!と個人的には思ってる。

こんな体験はもう2度とできないかもしれない。希少価値かも!

“あのエキサイトメントを再び味わいたい!”と今後別の映画の4D上映観に行っても、こんなに凄まじく振り回される4D作品はもう現れないのではないか?

この先ずっと俺的にはどの映画の4D観ようとも物足りなく感じることになるんだろうな…

イッちゃった世界に踏み込んじゃったみたいなさ、もう戻れません、どれもこれも物足りない! あぁ『フュリオサ』最高だったな! チクショー!  あの時に戻りてェよ。

…って、今まだやってっから!

だからまたライドオンするぜ!

ブチ上がれ!

これに乗り損ねたら

この波はもう2度と来ない!

今しかないんだ!

…元々は観に行く気なかった映画を、まさかこんなにアツく語ることになるとは思わなかった(笑)。

映画自体が気に入ったんじゃなくて、『フュリオサ』仕様の4DXが気に入った!ってことなんだけど。

もうなんだか気分は『ハートブルー』のラストのサーファー&犯罪者パトリック・スウェイジみたいな。最高の波が来てるのに警察が逮捕に押し寄せてきてて、最後にやらせてくれ! 生涯でこんな機会はもう2度と来ないんだ!って。

『フュリオサ』4DXもたぶんそう。今後こんなイカれた仕様の4DXはもうないんじゃないか? こんな機会はもう2度とないかもよ?

 

あともういっこ。

監督は旧作から現在まで全作ジョージ・ミラーだけど、『フューリーロード』の時も60代後半であれだけパワフルな映画撮ったのが凄かったけど、『フュリオサ』撮影時は77歳!? おじいちゃんでしょ普通に言えば。本当に全編ミラーが監督として仕切って撮ったのなら激賛すべきでしょ。シルベスター・スタローンに負けず劣らずのパワフルじいさんだよ。人としてかくありたいというね。歳食うと体力も落ちるけど情熱も失うからね。

♀×♀映画特集をやろうとして自分がパッと思いつく以外にもなんかあったかなー、とネットでその手の映画をググッたら、知らない映画ばっかというかそそられる映画が1本もない! ってか洋画ばっか。どういうこったよ!? 世間(?)がピックアップする♀×♀映画ラインナップに納得いかない。知ってるやつでも『バウンド』とか『アトミックブロンド』とか、♀×♀的な意味ではそそられないんだよな…。

俺がそそられる♀×♀映画ってのはこういうのなんだよ。

 

『1999年の夏休み』

俺が百合萌えになった原点か源流近くにある作品。

夏休みに入った学校。皆 帰省してしまい、寮に残ったのは和彦、直人、則夫の3人のみ。

そこへ2学期からの転入生だと言う、かつて自殺?した悠に瓜二つの薫が現れ、4人だけの夏休みが始まる。

悠は和彦が好きだったがノーマルな和彦は悠を拒絶したのだった。悠の死後気落ちしてる和彦に寄り添う直人は実は和彦が好き。

下級生の則夫は皆に構ってほしいが性的にはノーマルで、物語上は傍観者視点として機能してると思われる。

悠は大人しいコだったが、外見はそっくりでありながら薫の方は物怖じしない少年でありタイプとしては真逆である。

…って♂×♂じゃねーかよ!と思うだろ。違うんだよ。演じてるのが全員女子なんだよ! 特に直人=中野みゆきと 和彦=大寶智子がカッコイイ! ホレた。もうウットリ^^

外見がすごくいいのだが、声がまるで女のコなので直人は村田博美、和彦は佐々木望と声優が声をアテていて、この2人がまたマッチベター。特に本作では中性的な声で演じる村田が萌える! 村田の声が実装された男子役の中野みゆき最強(笑)。

中野みゆきと大寶智子のキスシーンが生々しいのがまた たまんないんだコレが♪ (あと大寶智子と薫/悠=宮島依里のキスシーンもある)

本作は加えて自然の中にある洋館のような学校&寮、夏の日差し、夜の静謐さ、綺麗な映像、SF的ガジェットで時代設定不明(「1999年」というのは近未来のことであり現実の1999年ではない)、薫/悠を巡るサスペンス(?)、生活感や生々しさを排した演出&映像(キスシーン除く)で異彩も放ってるが透明感溢れる爽やかさにも満ちており、1988年製作だが独特な魅力がいまだに観る者を惹きつけてやまないファンタジー映画。

 

『櫻の園』(90年版)

とある女子高の毎年恒例、創立記念日の演劇部による舞台劇『桜の園』。事件勃発して上演か中止かで揺れる当日朝の約2時間が描かれる映画。

演劇部が舞台なんで出演者の8~9割が女子だが、出番が多いのはジャケットに写るこの4人。

そのうち百合萌えなのは3人。しっかり者の部長・志水、前年男役で人気者になったが(ファンの後輩女子生徒多し) 今年はヒロイン役で自信なくてヘコみまくってる主役・倉田、本番前日に補導されて上演を窮地に陥れることになる不良っぽい部員・杉山。

志水と倉田は内心互いを好いていて実は相思相愛。この2人もいいんだけど(特に志水が倉田の衣装の胸の部分を縫ってあげて倉田の胸に顔を近づけて糸を噛み切る場面は萌える)、

さらに激萌えなのは部長の志水と不良な杉山の急接近なんだよ。立場も人間的なタイプもかけ離れてて基本関わりがなかったが、志水が“目覚め”て上演当日に校則ブッちぎってパーマかけてきたことから杉山共々教師に目をつけられ、同志のようになってく。この相容れなさそうな2人の友情の始まりもすごくいいんだけど、

実は杉山は前々から志水部長のことが好きだった…! ってのがまた たまんねーんだよ!(笑)

あと杉山が志水にパーマのこと聞くところがイイ。「倉田さん、なんて言ってました?」 「え…どうして?」 「だって倉田さんに見てほしかったんじゃないかなって思って…志水さん、倉田さんのこと好きなんでしょ?」 動揺する志水部長… キュン死しそう(笑)

本作の季節は春。女子と桜の取り合わせも良い。

 

『女校怪談』シリーズ

韓国映画。物語や出演者に繋がりはまったくないが、“女子高” “怪談” “女子同士の愛憎”という要素を共通項とするシリーズ。

俺的に1作目『女校怪談』(ビデオリリース時タイトル『囁く廊下』)、2作目『少女たちの遺言』、4作目『ヴォイス』が好きで。

『女校怪談』はメイン女性5人が全員魅力的で、そんな彼女たちの絡みがもう最高♪

特に、元々は親友だったのに、あまり努力してなさそうで喫煙までしてるのにクラスで成績No.1のソヨンと、どんなに頑張っても成績No.2で、他に家庭の事情もあって心に哀しみ抱えてる暗い女子ジョンスク(不気味なとこもいいが低音ボイスがまたイイ!)が対峙する場面は萌えーっ! 『櫻の園』の志水と杉山もそうだけど、相容れなさそうなタイプの絡みは興奮する(笑)。

当たりのキツいジオと大人しいジェイが友達になってくのも萌える。

担任のウニョンと、ウニョンの高校時代の自殺した親友ジンジュ。ジオまたはウニョンとソヨンの絡み、ウニョンとジオの関わり、ウニョンとジェイ…なども萌える。

皆それぞれルックスが良いうえ性格が違う&キャラ立ちしてるから、関わり合いが観てて萌えるんだよなー。

『少女たちの遺言』は、美人だが変わり者のヒョシンと体育会系のシウンの愛情と決裂が完全に百合超え。レズカップルを丹念に描いている。美人と体育会系というギャップのカップリングもいいが、美人が体育会系をではなく体育会系が美人を振るのもくすぐるものがあるような?

ヒョシンとシウンの関係に惹かれるミナがシウンにアクセスしようとするあたりも百合・レズ好きの嗜好をくすぐる。

ミナ、ジウォン、ヨナンの3バカトリオ等々も観てて飽きない。

今回もメイン女子はみんな魅力的。

『女校怪談』は暗く寒々として硬質なホラーだったが(←そこがまたいい)、『~遺言』は一転して明るく爽やか かつ馬鹿ノリなところもいい映画。

『ヴォイス』も出演者が魅力的。凛としたソンミン、その親友でアイドルみたいにかわいいヨンオン、高校生なのに怪しいクールビューティーのチョア、三十路の熟れた魅力の女教師、その女教師とレズ友だった人の良さそうな女子生徒ヒョジョンが織りなす♀×♀模様。

ヨンオンとソンミンの親友ぶりもとてもいいのだが、ヨンオンの正体が怪しくなってきてから、異なるタイプで本来およそ関わらないだろうソンミンとチョアが急接近で真相究明に乗り出しハードボイルドっぽいバディになってく意外な転回が萌える!

それでいて、霊は想い続けていると成仏できないと聞いたソンミンがヨンオンをシカトし始めるのだが、ソンミンの中にヨンオンと親友だった頃がぶわっと甦ってくる場面はグッとくる(泣)。

 

『魔法少女まどか☆マギカ』

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編]始まりの物語』

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編]永遠の物語』

魔法少女たちの壮絶な友情と対立、生死のドラマ。従来の魔法少女モノというジャンルを破壊した凄まじい作品。男のアクション映画のような激燃え展開、かつ映画史上に残る空前の感動、奇跡のドラマティックストーリー!

百合萌え的には親友だったまどかとさやかの友情と決裂、まどか&さやかとマミの良い後輩・先輩関係、さやかと杏子の敵対関係、ほむらを敵視するさやか及びマミと 彼女らに対して冷淡にみえて実は知られざる思いを持っているほむら、さやかを見下してたのに気持ちが愛情に変わってゆく杏子、一見相容れないほむらと杏子の共同戦線、哀悼、ほむらのまどかへの愛情…など、錯綜する感情・人間関係が萌える。

大ヒット作品となり、ゆえに二次創作(同人誌など)もたくさん作られている。

本編が相当ギスギスしてた&死の匂いが濃厚だったせいか、二次創作ではそれぞれのキャラクターがラブラブで描かれることが多く、本編ではあと一歩で結ばれなかった杏子とさやかが仲良く描かれたり、他のキャラたちも対立してもシリアスではなく微笑ましいケンカで描かれ、楽しい作品が多い。本編ではあんなに対立してたあの人とあの人が一緒に遊んだりルームシェアしたりなどと本編にはなかったカップリングもすごい萌える。(二次創作作品まで紹介してると文字数がパねェので、そっちは新作『ワルプルギスの廻天』の公開前に改めて特集するつもりなんで)

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』は二次創作の人気ぶりを踏まえたか、前・後編ではあり得なかった5人の仲間感全開!(喜) (いや前・後編の対立やすれ違いがまた良かったんだけどね)

やがて“これは何か違う…”と勘づきパラレルワールドなのか!? タイムリープ!? 偽造された世界!? 誰がリアルで誰が偽物!? と疑念が湧いた時、前作で相容れないのに共同戦線を張ったほむらと杏子がまるで前世でソウルメイトだったかの如くかつての相手との関係・想いに本能的に至るような場面は燃えるとも萌えるとも言い難いエモさ!

その人生模様から他人や現実を信用せず心を捨てて冷酷に生きてきたそれぞれ策士2人であり、利害の一致から組んだだけで信頼関係はないドライな“ビジネスパートナー”に過ぎなかったのに、杏子が最期を迎える直前のわずか数分間、2人とも素で心が通じ合う。そして杏子の死後、ほむらは杏子の死を悼んでくれた。(→改変後の世界では友人となった。)

…一転ガラリ変わった世界観と疑心暗鬼の本作。かつての事は憶えていない。しかし記憶は忘れていても魂が覚えているのがグッとくるんだよ!

前作で敵対しっぱなしだった、というか始終ほむらを敵視してたさやかだが、最後にほむらの正体と想いを知ったわけで、今回はほむらを温かく見守りクライマックスでは加勢するのもまた萌える♪

『叛逆』後~現在までもまどマギは同人誌が作られ続けている。まどマギは本編だけでも燃える&萌えるWモエ作品なんだけど、二次創作によって作品世界がさらに拡がっていて、本編も二次創作も楽しんでこそ極上の百合萌えが堪能できる。

 

『みちていく』

宣材にでっかく写ってる高校の陸上部エース・梅本が主役扱いのようだが、実際は陸上部部長・新田が主役といっていい。一見印象良くない。厳しくて感じ悪い部長。しかし部長をキチンと務めようとするがゆえであって、実際の本人の心の中には部長の孤独感や、選手としては梅本に対する劣等感のようなものがある。

しかしひょんなことから梅本が新田の自宅を訪れる。新田部長のプライベート空間に入る・私生活を見る。梅本は誰にも言ってない性癖を告白し心の不安定さを晒し、新田も本心を晒して、エースと仏頂面の部長の距離が詰まってゆくところがいい。翌朝通学路で自転車の新田が徒歩の梅本を一度は追い越した後、振り返って「…乗ってく?」は萌えッ!(笑)

2人は友達になってゆく。プライベートでお互い私服でのプラネタリウムデートも萌える。

新田と、真面目にやる気のない部員たちグループの軋轢。連中は梅本も自分たち側だと思ってたが、梅本は新田につく。

梅本のクラスメートには自傷行為を繰り返すヤバいコがいる。自身もメンタル的に不安定な梅本は共感なのか恐怖なのか、そのコが気になる。

新田は例の一部部員との齟齬からやる気を失ってしまって部長を降りる。だが辞めてからむしろ新田は自由になっていく。

真後ろの席のあっぱらぱーな感じの田所に話しかけられると新田は面倒くさそうにあしらっていたが、体と時間の空いた新田がたまたま入った喫茶店で田所がバイトしていて、田所は実は親が再婚でもうすぐ名字が変わるという非常に微妙な状況だった。田所は不思議ちゃんのようでいて接してみると実は心が自由な(あるいは自由でありたい)子だった。新田と田所も友達になってゆく。

本作もやはり、一見相容れないようなコたちが接近し繋がってく様に百合的萌えを感じて心地良い。

 

『プロミス 氷上の女神たち』

オリンピックに向けて急造で作られた韓国のアイスホッケーチーム。なんとか集まったメンバーは元北朝鮮の選手で脱北者のリ・ジウォン以外は、ラフプレーで追放されたショートトラック選手のパク・チェギョン、元ホッケー選手だが現在太ったオバちゃん、オシャレと婚活に血道をあげてる元フィギュアスケート選手で現ニート、選手が足りない&日当が出るから加わるアイスホッケー協会の事務員、選手だがまだ中学生の子、監督も親のスネかじりと、ポンコツや素人ばっか。

リ・ジウォンとパク・チェギョンの犬猿の仲ぶりが凄まじくケンカ上等の2人だが、基本的にはこの7人の練習の日々がユル~いほのぼのコメディで描かれてく。

しかし本番の試合を迎えるクライマックスはシリアスで、特に対北朝鮮戦ではリ・ジウォンが脱北時に泣く泣く置いていかざるを得なかった妹が姉を恨んでおり今では北朝鮮チームのエースといってもいいぐらいの選手になっており、かつて友人だった同僚ギョンスンもリ・ジウォンを憎んでいて、韓国vs北朝鮮は私怨が炸裂しまくる死闘になる。

北朝鮮側のリ・ジウォンに対するあまりの村八分・寄ってたかってのラフプレーにあれだけリ・ジウォンと仲の悪かったパク・チェギョンですら激昂。

♀×♀な見どころとしては敵対してたリ・ジウォンとパク・チェギョンの燃える共闘タッグプレー!

激闘の果てにリ・ジウォンに歩み寄るギョンスン。修復される姉妹仲。

試合中に殴り合いのケンカにまで発展したパク・チェギョンとギョンスンが次の大会の試合ではヘルメット越しに笑顔を交わし心の通じ合う友人になっているのも萌える。

女たちの激闘と融和がハード&メロウに描かれるドラマティックな傑作。

 

『おろかもの』

女子高生・洋子は、結婚式を控えてる兄・健治が浮気してることを実は知っている。兄の婚約者の果歩に対して悪い印象はない。洋子は浮気相手の美沙を尾行し、あげく本人に突撃!

しかし洋子と美沙は互いに印象があまり悪くなく、連絡先を交換して、兄に内緒で2人で会うようになる。さらに洋子が美沙の部屋にお泊りしたり。そして洋子と美沙は秘密の共犯関係を結び、兄と果歩の結婚のジャマを試みてゆく。

そんな洋子の家のドタバタを悪意なく楽しんでいる百合好きのクラスメート、シャオメイ。健治の浮気癖をゆる~くたしなめる会社の先輩。

彼女ら彼らの結婚式当日までの様子が、とても緩やかな時間・ほのぼのコメディで描かれる。

百合的にはやはりなんといっても洋子と美沙の関係。年齢差があり、ましてや洋子からすれば結婚控えた兄の浮気相手であり社会人女性、美沙からすれば浮気相手の妹の学生、そんな本来ならズレにズレた、出会うはずもなければ、まともに関わるはずもなかっただろう2人が友情を育んでく様が心地良い。

しかし健治が浮気癖を悔い改めたことから美沙の存在は宙に浮き、この緩やかな時間・ほのぼのコメディから弾かれるものとなっていく。健治が美沙に別れを切り出し、洋子と美沙は紛糾・決裂。

美沙は健治と果歩の結婚式に乗り込むが、ここでも美沙は完全に浮いており、独り惨めな状況になる。

ところがこの映画は洋子が美沙の手を取り、式場を飛び出してく! ドレス姿で手を取り合って駆け出してく2人を健治の先輩やシャオメイは素敵!と感動しながら見送る、ウルトラCな結末を迎えるんである!

レズカップル誕生なのかどうかはわからない。でも相容れない立場で出会いながら育んだ友情に萌え、さらにこの結末は爽やかな感動を残す。

結婚とはそれまでの家族関係に外部から赤の他人が入って来るものであるわけだが、本作は加えて同性カップル誕生!?で新しい家族のカタチ、新しい人間関係の概念まで提示してるように見受けられる。

 

…とまぁ俺的に萌える♀×♀映画を挙げてきましたが。

欧米映画のレズ系が1本も出てこない。なんかあっちのは萌えないというか? 俺の百合・レズ萌えの好みとは全然違うんだよな…

たぶんねぇ、いやコレわかんないけどね、欧米ってノーマルかレズか2択な気がする。格闘技もプロレスと総合格闘技の2択。でも日本ってカレーに甘口・中辛・辛口とあるように、プロレスと総合の間にUWFがあったり、ノーマルではないがガチレズまではいかない「百合」がある。中辛なんて外国にはないし、UWFスタイルを外人レスラーは嫌がるし、百合という概念も欧米にはない気がする。

韓国映画には百合を感じることが時々ある。以前どこだろう? タイかどっかかなぁ? の女子学生同士がチューしてる画像見たことあるけど、それも萌えた。不思議なんだけど欧米とアジア系で萌える萌えないが分かれるっぽい。やっぱ欧米の2択の極端さでは「百合」の絶妙な魅力――距離感、手触り、接し合い――は生じないということなのか?

アジア系ではノーマルとガチレズ2元論ではなく、その間がグラデーションになってるというか。1か2ではなく、1と2の間には1.1、1.2… 1.8、1.9とあるような、もっと機微があるというか、レズ一語で片づけられるものではなくもっと豊かな意識の様があるというか。

そういえば邦画の『GONIN』とか、香港出身のジョン・ウー監督作品みたいに、アジア系には絶妙な♂×♂映画があるが、欧米にはコレもない。

やはりどうも欧米圏とアジア圏には感覚に決定的な違いが何かしらあるようだ。

…あ、ガチレズも好きよ?(笑) ただ欧米のレズには「興奮」はしても「萌え」はどうもない、っていう。百合の魅力は奥が深いというか。

女性同士が魅力的であることは百合であろうがレズであろうが論を待たない(笑)。

『アルプススタンドのはしの方』って映画あったろう、ヒットしたそうだけど。

俺あれがどうも嫌いでさ。

観ようとしてレンタル落ちのDVD入手したことあって、今も部屋にあるんだけど、何度かプレーヤーにかけてんだけど再生するたび途中で観るのやめるもんな。腹立ってくるんだよ。

こんなのテレビドラマでやっとけ、映画でやってんじゃねェよっていうイラつき。

そもそも演劇の映画化ってのが根本的に間違ってんだよ。

当ブログでは絵画とマンガがまるで別物なように映画とテレビドラマも全然違うとは散々言ってきてるけど、映画と演劇も全然違う。

だから演劇をそのまま撮っても映画にはならない。

テレビドラマも演劇も脚本と出演者で推進するが、映画は映像と音像を堪能するものだから、本来映画とテレビドラマはそもそも相性が悪いし、映画と演劇も異質なのでわざわざ演劇を映画化するのも釈然としない。

演劇の映画化をやるなら「演劇」というものを「映画」というものに「転換」しないとならない。

これに成功した珍しい例が『サマータイムマシンブルース』。演劇が元でありながら、あれはちゃんと映画になってた。それはちゃんと映画に転換出来てたから。夏のクソ暑さとか四国の風情が体感できるというか。ただの会話劇で終わってない。

でも『アルプススタンドのはしの方』はそこに至ってない。ほぼ大半が野球場のスタンドで展開するが、天気悪ィんだよ。曇り。それは意図的に曇りで撮ったわけではなく、単に撮影時天候に恵まれず、でもスケジュールの都合があるからそのまま撮っちゃったみたいな強引さというか雑さというかいい加減さを感じる。

そんな何も見どころのない腐れ映像で会話劇が延々展開する。しかも特に野郎ども(男の教師とか男子生徒)がもう不快で。鬱陶しい。

致命的なのは、がなり散らす場面の声が汚い。聞くに堪えない。映画は映画館でデカいスピーカーの音響で鑑賞するものだから、あんなきったねェ声でがなりたててる音声聞かせられるのは罰ゲームとか嫌がらせとか拷問に近い。

さらに見た目がブサイク。テレビドラマは小さい画面だから出演者の見た目なんかどうでもいいっちゃいいんだけど、デカいスクリーンで観る映画においては非常によろしくない。

だから「こんなのテレビドラマでやっとけ、映画でやってんじゃねェよ」なんだよ。

このムカつきというのは、あの突出した糞映画、劇場版『映像研には手を出すな!』を観た時の不快感とかなり近い。

 

ところが『アルプス~』がヒットしたから演劇の映画化第2弾とかなんとかってことで企画されたらしいのが『水深ゼロメートルから』。

でもコレは観に行きたいと思った。それは監督が山下敦弘だったから。『リンダ リンダ リンダ』が素晴らしかった。俺これは映画ベストに選出したことがあるぐらいで。

即席バンド組んだ女子高生が文化祭でのステージを迎えるまでのグダグダな日常が描かれる。ストーリーだけ聞いたら“それって面白いの?”ってなもんだが、これが見ごたえあるのだ。女子高生の時間、学生時代の様が、魅力と臨場感をもって撮られている。最後間に合わなくて歌えなかったとしても映画として成立してた。『リンダ~』はアクションやスペクタクルがあるか否かは映画的であるか否かとは関係がないという事、映画はストーリーじゃない事、を見事に証明してみせた映画だった。

それを撮った山下だから、女子高生が学校の水のないプールで延々会話劇な舞台劇の映画化でも、アイツなら大丈夫だろうという信頼があった。

というワケで新宿シネマカリテで観てきた。

ここで観たことあってスクリーンが小さいことは知ってたんで、端から一番前のセンターあたりの席をチョイスした。

本当はデカいスクリーンで視界いっぱいに映像が広がると映画に没入出来て体感度高く鑑賞できるんだけど…。

どうでもいいけど前に観に来た時不愉快だった女従業員は辞めたのか休みだったのかいなかったので不快な思いをすることもなく。アレのせいでシネマカリテに悪い印象あったんだけど、払拭された(苦笑)。

 

で鑑賞して。

やっぱりアタリだった。『アルプス~』とは天地の差。

初っ端の青空の映像からすでに大合格。女のコたちが劇中ほぼ9割方 裸足なのもいい。

(ついでにパンチラしそうでしない絶妙な動き・映像が多々あり、夏の映画であること、女子高生であることと相まって、健康的なエロティシズムというよりエロティシズムなど完全に通り越して爽やかでパッションすら感じる。中年以上なら男女問わず感じるのではないだろうか? あぁ10代に戻りたい(苦笑)。憧憬・羨望すら感じる。そういえばアレだね、“女の身体はそれだけでもう映画を成立させる”って事とも通底するかもね。)

そして延々続くことになる水のないプールの中での4人の女子高生たちのグダグダした光景と会話劇だが、夏の感じがよく出てる。その中で展開するダラダラした感じ、日常会話は退屈どころか楽しいというか。観てて浸れるんだよね。女子高生たちの、ある夏の日を体感する87分。

「ストーリー」ではなく「時空間」「空気感」を見せてゆく。

デカいスクリーンと効きのいい音響で体感し鑑賞する映画だから出来る事。

それが出来ないテレビドラマはストーリーに頼るしかない。

だから映画でストーリーを描くとかストーリーで映画を語るのは見当違いなんである。

他方、演劇だと舞台上には役者と簡素なセットしかない。だから演劇というのは役者とシナリオで成立するものであり、生の役者と、生身の人間が今ここで繰り広げる舞台劇を鑑賞する臨場感や緊張感や一体感的なものを堪能するものであり、映画とはまるで異なる。

それを映画化するとなると、生の臨場感を全て失う引き替えに、演劇では実現することの出来ない要素(本作だと青空とか暑さとかドシャ降りの雨とかetc.)、映画でしか表現出来ない時空間や空気感を見せること、映画に転換すること…

本作はそれをちゃんと成し得ている。

 

女教師も加わり、各々抱えてる不満や悩みや憤りが噴出してくる。

男と女の違いの理不尽さ、大人と高校生の齟齬、最後はドシャ降りの雨がすべてに炸裂する――。

 

チヅル役の清田みくりってコが特に良かったなぁ! 1人だけすごいラフな感じのコで、女お笑い芸人のようにくだけていて、低めの声も良く、なんかパワフルさを内包してるのが感じられ、主人公っぽいミクや美人さんなココロなどと一緒に居てもまったく引けを取ってない存在感と魅力。ホレたもの(笑)。

補習メンツでないこのコがなぜこの場に来たのか当初不明なのだが、途中から水泳部の部長だと判明する。オマエ主将だったのかよ! 行き場のない帰宅部女子かと思ってた(笑)。その意外性に萌えると同時に、どうりで…という納得のパワフルさと存在感。

山下は体躯で選んだと言ってたけど、このコを配したのは大正解。体格もそうなんだけど、演技もこのコは安定感というか重心が据わってるというか。チヅルという役をシナリオで説明ではなく清田みくり自体が説得力をもたらしている。

こういうところも映画足り得てる。映画は映ってるものが重要であり、出演者もプロダクションデザインの一部といってよく、だから映画映えする出演者、見てわかる・伝わる出演者をチョイスしないとならない。このコはそこんところ見事に応えているし担っている。

 

ココロを演じた濵尾咲綺も良かった。補習組なのに補習代わりのプール清掃にほとんど参加せず外見やメイクばかり気にしている美人。なのにキツい女教師について

ミク「山本先生コワいもんな」 ココロ「そお? 性格悪いだけだろあんなん」と吐き捨て、さらにはその山本本人相手に紛糾・怒鳴り合いになる。見ごたえのあるコ。

邦画の出演者っていつ頃からかな、90年代ぐらいからかな、学芸会みたいな酷ぇ演技の奴ばっかになって、恥を知れっていうか、こんなの外国人に観られたら日本人の演技力ってこんなもんかって思われるだろって、日本人として恥ずかしくてもう。

この悲惨な状況はおそらくテレビ局が映画製作に非常に乗り出してきたことと、テレビドラマの出演者が生粋の役者でなくデカい芸能事務所がブッ込んだタレントばっかになったことに原因があると思われる。そこへかつての良い役者が高齢化してフェイドアウトしていく時期が重なったのもあるだろう。

そうしていつしか日本のテレビドラマや映画はレベルの低過ぎる演技が横行するようになった。

たまにいい演技してる人も見かけるんだけどね。『バウンス koGALS』の佐藤仁美とか、このコはちょっと凄いぞと感心するようなコが。

で、濵尾咲綺も凄みのある演技を見せる。

怒りの演技というとただ怒鳴ってるだけの稚拙な醜態見せる奴が多い(生理をただ剥き出しにするのは演技と呼べるシロモノではなく、非常に下品である)が、濵尾咲綺はきちんと演技が出来てる。ただギャーギャー喚くのではなく、魂が炸裂する様を演技という技能できちんと表現出来てる。

また、この怒鳴り合いの場面は2人の声が良く聞き取りやすいので『映像研~』や『アルプス~』のような汚いノイズにもなっていない。

(余談というか余談じゃないんだけど、テレビアニメ『うる星やつら』(リメイクじゃなく80年代の方ね←ここ重要!)は登場人物がデカい声で怒鳴り合ってることが多い、冷静に見ると異様な作品だが、声優だから声質がいいのでまったく不快でない。『映像研~』や『アルプス~』はそこんとこまったくわかってなくて、音声というものに対して非常に粗雑極まりない。)

 

…というわけで、やはり山下敦弘は映画足り得る映画を撮れる監督であること、映画はストーリーではない事、アクションやスペクタクルがなくても映画足り得る事をまたも証明した。ちゃんと「映画」を「鑑賞」させてくれた。

87分という上映時間もいい。今の映画は長過ぎるよ。3時間とかアホか。長くなるのはシナリオのせい。そんなに物語を描きたいならテレビドラマのシリーズでやれ。物語が進行してる時は映画は停止を余儀なくされ、映画が繰り広げられてる時は物語が停止するのだから。映像と音像を体感し疑似体験する場である映画というものは1時間20~30分ぐらいの長さがベストだよ。

そして性格バラけてる登場人物たちも、演じた女性たちも、とても良かった。

夏にはちょっと早いけど、夏の思い出が1つ増えたような、いい映画鑑賞だった。

 

ところでどうでもいいんだけど、本作は四国が舞台なのでセリフは方言(正確には方言と今の若いコな言葉のミックスなトーク)で、東京しかも新宿でこういう映画を観てるというのがちょっと面白い違和感があった。

地方が舞台・方言・わりと静かな感じという映画を観終えて、映画館を出ると新宿の猥雑かつ音が氾濫する雑踏。そのギャップに、今まで87分、四国の学校と女子高生に没入してたんだなァと感じ入る。

映画とは観ている間、その世界にトリップする素敵なものなんだと改めて思ったのだった。

86年、香港でジョン・ウー監督、チョウ・ユンファ出演(←主演ではないのだがあまりにカッコよすぎて最早主演といってもいいぐらい)『英雄本色』が香港史上(香港映画史上というレベルではなく香港という都市の史上というぐらいのレベル)において伝説になるぐらい大ヒットし、亜流が数多く作られたが、亜流はやはり基本的にレベルが低く、観応えあるのはほんの一部作品に限る。

一方、日本も『英雄本色』を買い付け邦題を『男たちの挽歌』として「香港ノアール」なる新語で喧伝しヒット。

当時の日本はレンタルビデオ店が増えてた時代で、ビデオ会社は当然2匹目のドジョウを狙って、つまんない亜流でも買い付けて香港ノアールとしてジャンジャン売り出した。

余談だけどその中でもかなり悪質な部類(←まぁなんつーか100%非難ではなく40パーぐらいはそのイカサマを楽しんでたところもあるんだけど・苦笑)でパッと思い出すのは『ワイルドギャンブラー』かな。コレなかなかタチ悪かったね(苦笑)。

89年のユンファの『ゴッドギャンブラー』って映画が香港で大ヒットして、当然日本も買い付けた。

まぁこの時点ですでにイカサマをカマしてるんだけどさ…(苦笑)

実際の本作は“賭神”と呼ばれる伝説のギャンブラー、裏切り(←結構鬼畜)、頭悪すぎほのぼのコメディ(ユンファ幼児退行現象)、銃撃戦、スタイリッシュさと下品さ、クールありバカあり、ほんのり泣かせる場面もあったりという闇鍋状態のトンデモ映画なんだけど、日本の映画会社はダンディでエレガントな雰囲気、香港ノアールなラインで売り出した。

したら、とあるビデオ会社はユンファが売れる前に出てたしょーもない映画を、ギャンブルネタの映画だから『ゴッドギャンブラー』に便乗しようと買い付けてきた。

内容クッソつまんないんだけどさ、『ワイルドギャンブラー』などと『ゴッドギャンブラー』の二番煎じな邦題を付け、スーツのユンファが不敵に笑う写真、薔薇、拳銃、都市の夜景、カジノテーブルという組み合わせのビデオジャケットにしてスタイリッシュなギャンブル映画をデッチ上げる。

どこを取っても嘘八百なのも問題ではあるんだけど、まぁ虚偽・誇大広告が公然と平然と堂々とおっぴろげで行われている映画・ビデオ業界ですがね(笑)

にしても一番問題なのはこのユンファの写真だよ。これ『挽歌』の写真なんだよ(苦笑)。他所の映画のスチールを堂々と使うという、

オマエは昔のコスモスかっていうさ(苦笑)。

コスモス:昔あったガチャガチャ自販機で、著作権ガン無視で流行りもののキャラクター商品や芸能人グッズを真正面からパクッてニセモノ商品を堂々と販売していた(苦笑)。今になってみるとホント昭和は超法規的だったな^^;

こちらビデオジャケット裏面。こっちは正直に本作の写真使ってるんで、実はパッとしない凡作であることが一目瞭然。貧乏臭ッ! 邦題の「ワイルド」ってのは一体どこから来たのかと思ったら、この笑っちゃうぐらいあか抜けない兄ちゃん(=売れる前のユンファ)のことか。モノは言い様だな(苦笑)。

なんかアレだよなぁ、きったねーボロアパートなのに名前がル・ソレイユとかさ、ドブ川沿いにあるアパートの名前がリバーサイド何々とかみたいな。詐欺っちゃ詐欺なんだけど、どう名づけようが大家・管理会社の勝手だしな。

まぁともかく本作、裏面見ると表面がいかにイカサマかがよくわかる。

同時に言えるのは、売る側からすれば、こんなモンを売るには相当盛ったり曲解したり偽装したりする必要がある(苦笑)。となるとジャケット表面は素晴らしい仕事ぶりと言えよう(笑)。

(ところで映画・ビデオ業界のイカサマ宣伝は規制する必要ナシと言っておきたい。“騙される”と“夢見させてくれる”はもはや同義語なんだよ映画・ビデオにおいては!(笑) だからコレに対してマジで景表法とか持ち出すバカいたら、そいつの方こそ危険人物だね。例え話として、仮面ライダー見た翌日にクラスでライダーキックやったら倍返し食らったなんてことがあったとするよ? に対してもし仮面ライダーの放送を中止しろとかトンチンカンなこと言い出す輩がいたなら、そいつは頭の足りないヤバい奴であって、しかも自覚ナシで、てめェが正しいと思い込んでて、そういう奴を日本語で「危険人物」「警戒を要す」って言う。そういう奴こそ規制・鎮圧しろよって話で。近年の「コンプライアンス」ってやつは薄気味悪い病的な領域に入ってるよなマジで。)

 

…まぁそんなわけで、『挽歌』の亜流もわんさかあって、そんな中の1本がコレ。

『愛と復讐の挽歌』

ユンファ主演だからまるっきりのZ級亜流ではない。なんせ本人だもの。

しかしまぁハッキリ言ってつまんね。映像センスは悪いし話もつまんないしユンファもカッコよくないし。

でもクライマックスだけ派手で、もうね、ホントここだけは観るに値する。

これだけで1エントリいけるのではないかと思ったんで今回のエントリなわけよ。…その割には『ワイルドギャンブラー』の話が結構長かったけどさ(苦笑)。

というわけでクライマックスだけ観ていこう。本作はクライマックスだけ観りゃいいから(笑)。

敵役アレックス・マンの屋敷に乗り込むチョウ・ユンファとアンディ・ラウ。

この明らかに別撮りの、キレイに撮られたグレネード弾。

 

なんつーの? 6発か8発撃てる回転式弾倉のグレネードランチャーみたいな。

これをブッ放すと――

 

あまりの火薬にスタントマンが炎に覆われて見えなくなってしまうほど!

爆発が凄すぎて映像がほぼ真っ白になってしまう!

 

生きてる本物の人間=スタントマンと人形が混在で吹っ飛んでくる!

爆破で吹っ飛ぶ+3階くらいの高さから飛ぶスタントマンも凄いが、

ボォーン!と景気よく無造作に吹き飛んでくる人形も爽快&ウケる。

CG、デジタル合成なんて糞だね! やっぱ実在する本物の物質でやるに尽きる!

 

爆発→スタントマンが1人吹っ飛んできて階下へ落っこちる→それで終わらず立て続けにもう1人吹っ飛んで落下!

 

スローモーションで雄々しくやって来る悪党アレックス・マン。

バックの音楽の仰々しさにいたってはもはや演歌の域(笑)。

 

室内でもこの有様。戦争映画かよ!

 

このカットでは1人が階段の手すりから階下に落っこち、もう1人は窓から外へ落っこちてく!

 

屋敷内に居た女たちが銃撃戦に巻き込まれ、廊下に女の死体の山が築かれる。

 

本作が映画足り得てないなと思うのはこういうとこでさ… こんなのテレビドラマのセットだろう。テレビドラマは脚本と出演者で引っ張ってくものだから撮る場所なんかどうだっていいとすら言えるんだけど、デカいスクリーンで体感して鑑賞する映画というものにおいては、こんな安っぽい軽すぎるセットで撮ったら映画として失格。

でもこの場面が凄いのは、一室に立てこもったユンファとアンディが敵の火炎攻撃に晒される場面なんだけど、ホントに次々バンバン火が投げ込まれるんだよ。

人がいるセットに火をボンボン放つのも凄いけど、そこに居るのがスターのユンファとアンディだぜ? ユンファは『挽歌』がヒットした後でもうスター俳優だし、アンディも人気歌手で。まさに体当たり撮影。やらせる方もやる方も命知らずにも程がある!

この場面で外から機関銃撃とうとした敵がアンディに撃たれて4~5mぐらい吹っ飛ぶカットも凄い。

 

人も燃える燃える!

 

自分の子分も撃ち殺し、笑って酒をグイッとあおってグラスを後ろに思いっきり放り投げる歯止めの効かない外道、アレックス・マン。やり過ぎ、ケレン味あり過ぎ。

(ちなみにマンはそのツラ構えもだし俺が見たことあるマン出演作は軒並み悪役だったんで映画だけ観てるとマン=悪党イメージしかないんだけど、80年代の映画雑誌かビデオ雑誌にアレックス・マンのインタビュー載ってたことあって、話も笑顔の写真もイイ人って感じで、それ見てやっぱ役者であって演じてるだけで役と本人は当然のことながら別物だよなぁと改めてしみじみ思ったのだった。あと『挽歌』や『ワイルドブリット』で映画史上に残る裏切者役をやったリー・チェーハンもインタビュー記事ではメッチャいい人そうだった・笑)

 

マンの股間へユンファの金的蹴りがクリーンヒット。

肉弾戦。燃え盛るセットでユンファの珍しい素手ゴロアクションが炸裂。

 

これも危ない! ユンファと銃を持ってるマンの取っ組み合いで、互いに顔のすぐ真横で発射! 実弾じゃなくても危ないっての!

 

最後はユンファに殴られ吹っ飛び燃える階下に落っこちたマンが爆死。

 

…というね、『愛と復讐の挽歌』の凄まじいクライマックス。

ジャッキー・チェン他の80年代キチガイスタント映画や、予算も現場の様相も凄い規模の撮影をやってた昔の大作映画などが、21世紀になって時代遅れになるどころかデジタル時代だからこそ逆に価値が爆上がりであり、

『愛と復讐の挽歌』も(トータル的にはつまんないが このクライマックスだけは)一見の価値がある。今の連中にはいちいち言わねェとわかんねェのかな、80年代の映画だからCGもデジタル合成もねェからな。これ全部キャスト、スタッフが現場で実際にやってんだからさ。爆破も! スタントも! 火も!

デジタルが氾濫して人の職人技や発想力や挑戦や努力がごっそり欠落しペラッペラに薄い偽物映画だらけになった(そしてそれを糞映画だとわからない輩が増えた)今となっては80年代当時の香港映画がいかに凄いことやってたかの記録映像ともいえる。

80年代に観た時はつまんねー映画だと思ったけど、そんな映画がまさか煌めく時代がくるとは思いもよらなかった。

それだけ現代がしょーもなくなった。(逆に20世紀がリミッター外れ過ぎだったという言い方も出来るけどさ・苦笑)