全部揃えたい…
糞コンプラ時代、糞つまらなくなったテレビ、YouTubeですらコンプラで息詰まりそう → そんな現代にスカッと一発!
「コンプライアンス」って本当だったら真っ当な概念のはずだったのだが、世の中バカが多かったがゆえに(バカは「中庸」ってのが出来ないからな)適用の範疇を遥かに逸脱し、結果民衆自ら管理社会を作り上げた異常な現状。
そんな時代なんで、昭和~平成いつ頃までだろう? のやりたい放題だった笑いは今や絶滅危惧種。そんな現在にあえてのとんねるず全落・水落を取り上げるというね。
コレ、要は落とし穴ドッキリだが、ドッキリには安全性の問題がどうしてもある。インフルエンサーとかド素人はやるな。(ドッキリに限らず番組収録全般にいえることだが)長けてるはずのテレビ局でもたまぁに事故を起こすこともあるんだから、まず素人はマネするもんじゃない。見るだけにしとけってやつだよ。
…そのうえで、さぁダイナミズムのある笑い、落とし穴ドッキリを堪能していこう。
単純にまず“ドッキリ” “落とし穴”の面白さというものがあって。
他人をドッキリにかける楽しさ。イタズラを仕掛けるという一種の興奮。
ドッキリにかかる人のリアクションを見る面白さ。普段の姿から虚飾が排される意外性というか。
加えて“落下”や“爆破”などにはエキサイトメントがある。
本作は落とし穴ドッキリに特化している。落下という現象を扱い続ける。その気持ち良さ。
…今のアクション映画がつまらなくなった一因には、デジタル加工やワイヤー演出によって落下が不自然になったこともある。落下という現象には絶対重力が伴ってないとならない。であるからこそ落下は気持ちがいい、あるいは迫力があるんであって。現代の偽アクションはそれを喪失しているからつまらない。だから昔のアクション映画を観たくなる。
しかし落とし穴ドッキリにデジタルやワイヤーはない。純粋に落とし穴と落下現象だ。そこには本当の重力とリアクションがある。
音響効果も実は面白さや迫力をハネ上げている。派手な音をたてて落下してくが、改めて聞いてほしい、この強烈な破壊音は音響ポストプロダクション、つまり後入れの音であり、
映画は当然ながら、テレビのバラエティ番組やギャグでも音は実は重要だったりする。音響で効果が増大する、インパクトが爆発的にハネ上がるんである。
しかもだ、とんねるずの「全落」「水落」シリーズはただ落とし穴ドッキリ企画ではなく、ゴルフと(要は他のものと)融合させてるのが面白いし上手い。ここもまたド素人とは(他番組のドッキリとも)レベルが違う。
落とし穴ドッキリ現場をゴルフのグリーンに見立てる。
現場に向かう車にターゲットを乗せると実況「さぁいよいよグリーンに向かいます」
車が落とし穴に横づけすると実況「ピンまで約1ヤード」
落ちると「ナイスイ~ン!」
ターゲットが穴と位置がズレて落下しなかった時「スライスしカップインせず」
水場の上にデカい穴の開いた島を浮かせて、落とされた奴がその穴にピッタリ落っこったらホールインワンとか。
石橋貴明によるゴルフ界の大物・青木功モノマネでのフザけた解説と判定。青木のパロディをやれるのはとんねるずのテレビ界でのネームバリューゆえだろう。
落とし穴ドッキリというのは見ていると気持ちのいい落ち方とパッとしない落ち方とがある。それは豪快か否かだったり、角度だったり。いい落ち方でないと、見ていてなんだかスッキリしない。石橋はターゲットが落ちた後、バーディーだのイーグルだのと判定してく。
そしてターゲットたちは順位がつけられていく。落とし穴ドッキリで順位をつけるという発想は普通ない。「トップタイ、並んでいます!」 ここにもスポーツと連動させたことによる特異な面白さがある。
ただ単に落とし穴ドッキリのみで進行してくのではなく、工夫がある。別の要素とも融合というかトッピングというか、させてもいて、重層的なギャグになっている。
また“陥れる”という形でなく、ターゲットを「選手」として扱う(小木プロ、IKKOプロなどと名称する)ことによって、“被害者”ではなく“参戦”という形に(結果的に)なっているのが実に上手い。ターゲット当人にとっても視聴者にとっても悪感情を抱かせない。
木梨から「ナイスイーグル出ました!」 実況から「遂に逆転のイーグルショット、見事に単独トーナメントリーダーに立ちました!」などと言われたら落とされた本人も苦笑するしかないだろう(笑)。
そもそもが落ちたターゲットへの第一声「ナイスイ~ン!」は魔法の言葉である。笑い者にするのではなく“オマエは実にいい仕事をした(グッジョブ!)”という賛辞を贈ることはリスペクトの意を表しており、本当にそう思っていようがいまいが、言われた方は置かれている状況が相当救われるのもまた事実だ。
前述した“順位をつける”というのも笑いだけでなくリカバリーとしても機能している。被害者というマイナスの立場ではなく参戦選手という積極的な立場に反転して、もはや被害者ではなくなる。
あと「ホワイトシャークIKKO」とか「森三中最後の刺客“神の子”村上選手エントリーです」とか勝手に付けてるキャッチコピーも笑えるんだけど、これも意外にターゲットにされた人の心情を緩和するところがなくもないと感じたりもする。
加えて“選手”たちは自分が落とされた後、石橋と共に実況・解説スペースで他ターゲットが落とされる様を一緒に見るという流れも実は意外にいい配慮といえる。他の人がやられてるのも見るんで、個人的な怒りや惨めさが消失する万全のアフターケア。視聴者もその後一緒に楽しんでるターゲットを見ると安心する。という絶妙な配慮の番組構成。
落下がうまくいかなかった時の対応も可笑しい。もっともらしいこと言って再度穴の上を通らせる時もあるが、開き直ってストレートに もっかいやってくれる?とまさかのテイク2というドッキリではあり得ない要求する時がある(苦笑)。→ それを堂々と「打ち直し」と言う(笑)。(石橋の、ディレクターへの「中川押せ! 中川押せ!」のケースも可笑しい)
また緊急事態の時の最終兵器・リポーター木梨憲武の存在。素晴らしい突発的対応・臨機応変さ。ムリヤリぶつかってもう一押し――追加攻撃――を独断で敢行する強引っぷりも可笑しい。
またドッキリすでに成功したのにさらに追加攻撃を投下する時もある。特に日村が落ちた時にバカ高い時計をしていて、引き上げられた後のコメント時にブチブチ文句言ってると木梨が「じゃもう1個買えばいーじゃねーかよ!」といきなりウエスタンラリアートをブッ込んで日村が再び穴に転げ落ちるのは爆笑!
いつもテンション高いイメージな石橋とは違う、穏やかそうにみえて突然キレる木梨のキレ芸とでもいうか、いきなりの変容・突発的暴力は木梨独自の魅力!
ターゲットとの化学反応も全落・水落の魅力。お笑い芸人を落とすのは安定の笑いだが、だけでなくメジャーアイドルやアーティストも落とすという標的のボーダレスぶりに反応やギャップの面白さがある。
オカマのIKKO(本人はオカマと言われるのは傷つくらしいが、本エントリでは悪意はない)はそのジェンダーレスというかなんというか、男でも女でもない(といって美人(あるいはかわいい)ニューハーフとも異なる)存在自体が独特であり、そんなIKKOがスカートで落下しても修正が入らない(石橋いわく「見事なV字だ」)・ヅラが取れる(しかも木梨は前後逆につけ直してあげる←爆笑)などの様はIKKO自体が複層的な人物なので、それが生む笑いは実は多層的である。
ジローラモや大久保佳代子にカマす、現場に異性を配置しておいて、異性を意識させておいてからの直後に落下は意地の悪さが笑える(苦笑)。落とし穴に落ちること自体が恥ずかしいものではあるが、それでもただ落ちただけならアハハというリアクションで済ませることもできるが、異性を絡ませることでターゲットを襲うあまりのバツの悪さ・こじれる羞恥心という、重層的な仕掛けにより被害者の心理にダブルダメージを負わせるビターかつ複層的な、これまた手の込んだドッキリ。(その後 大久保佳代子にそのイケメンと絡ませてあげる配慮も、良いリカバリー(笑)。ジローラモもそのあと女を抱き上げたりしてるんでまぁ結果オーライじゃないでしょうか)
反応がレッドゾーンを超えた時の興味深さもあって、特に錦野旦が落とされて怒って現場はかなり険悪な空気になるが、なだめつつ引き上げた錦野をさらに第2・第3・第4の落とし穴へと連続波状攻撃で落とし続ける悪ノリ過ぎ・やり過ぎっぷりには感心(爆笑)。
挙句の果てにはスポーツの本物の有名選手などもターゲットにするに至っては、ターゲットとの化学反応と石橋の青木モノマネのヤバさのミックス、既述例とはまた違った許されるか許されないかギリギリの線を狙ってく、バレーにおけるラインギリギリでイン、あるいはテニスでいうオン ザ ライン的ショットなミラクルな笑いといえる。(→そうして遂に青木功本人までゲストに呼んじゃうんである・苦笑)
…かつてはただゲラゲラ笑って見てただけだったが、見当違いで異常な現在のコンプラ社会においては、本作はまったく違った意味合いをも有して我々の前に改めて立ち現れてくる。
とんねるずというのは昔から好き嫌いが人によって分かれてた。(まぁビートたけしとかドリフとかもだけど。)
しかし窒息しそうな現代において、それはもはや好き嫌いでは言い切れない存在となった。
本作で石橋が女性芸人の1人をある動物呼ばわりしたり某監督をある野菜呼ばわりしたりするくだりなど石橋の例えアビリティの秀逸さといったところだが、これも現在では差別発言だとアウトになるわけだ。たしかに言っていいこと悪いことあるが、この発言なんかは言い得て妙っていうさ(笑)。しかし現在では批判されるのだろう。
これらを笑えるか笑えないかは、今ではシミったれた奴か否か、(悪い意味で)ナイーブか否か、さらに言えばファシストか否かの試金石ですらある。








