『『マッドマックス:フュリオサ』4DXヤバい(爆笑)』から続き。

というワケで、『フュリオサ』4DX上映をもっかい観に行こうと思ったんだけど、なんかULTRA 4DXっていうもっとスゴイのがあるらしいことを知った。

「「ULTRA 4DX」シアターは、体感型アトラクションシアター「4DX」と、3面マルチプロジェクション上映システム「ScreenX」が融合した体感型シアターです。 革新的なスペシャルエフェクトと、視野270度の3面マルチプロジェクション上映システムによって、今までにないダイナミックな映画体験をご提供します。」

「ScreenXは従来の正面スクリーンに加え、左右の壁面にも映画のシーンが映し出される世界初のマルチプロジェクション映画上映システムです。 目の前の視界いっぱいに270度まで広がる3面ワイドスクリーンはまるで映画に包み込まれるような感覚を与え、深い没入感を味わうことができます。」

(グランドシネマサンシャイン池袋公式サイトより)

つまりScreenX4DXが合体したのがULTRA 4DX なのだ。

しかも超絶アトラクションである『フュリオサ』仕様の4DXとScreenXがドッキングなんである。

ULTRA 4DX は全国でたった4館のみらしい。都内ではグランドシネマサンシャイン池袋と、あと町田にある映画館だけ。町田なんて遠過ぎて行ってられません。というワケでグランドシネマサンシャイン池袋へゴーッ!

(ちなみにグランドシネマサンシャイン池袋は通常料金¥2000で、それにプラスしてULTRA 4DX料金¥1600なので合計¥3600。高ェ!

なので俺は水曜サービスデー¥1300 + ULTRA 4DX¥1600=¥2900で観てきた。ちなみにここでの『フュリオサ』ULTRA 4DX上映は俺が観た翌日で終了。)

 

俺はScreenXで観たことがない。

『フュリオサ』仕様の4DXの凄さは前回話したが、ScreenXは観る前から凄いことが事前に想像できる。

というのは、そもそも映画鑑賞というものはテレビドラマを見ることとはまったく異質で、プラネタリウムを鑑賞しに行くことに近い。

テレビは小さい画面とスカスカ音質だから、必然的にテレビドラマというものは脚本と出演者で進める他ない。

一方、映画はデカいスクリーンと迫力の音響で観るものだから、映像と音像を堪能するもの。視界いっぱいに広がる映像を鑑賞することで、その場にいるかのような錯覚が得られ、そこに効きのいい音響も加わって、体感し疑似体験するもの。

だから映画は高い金払ってわざわざ観に行くものなのだ。

テレビドラマと映画を混同してて、映画を観た感想でストーリーがどうとかプロットがどうとかヌカすバカが多いけど、テレビドラマの見方で映画を見てんじゃねェよって話で。

むしろ映画にとってストーリーはジャマであり不必要なんである。映画が展開してる時は物語は停止し、物語が展開してる時は映画は停止を余儀なくされる、ってやつ。

ドラマはあってもいいけどストーリーは要らない。「ストーリー」と「ドラマ」は違う。「ストーリー」と「映画」は齟齬を起こすが、「ドラマ」は「映画」を阻害しない。

『テネット』をIMAXで観た時の体験は素晴らしかった(ちなみにコレもグランドシネマサンシャイン池袋であり、日本で2館しかない最大のIMAXで観たのだった。)

映画観に行ったと思ったら現地だった、ってやつよ(笑)。

映画鑑賞は映像が視界いっぱいに広がるように観る必要がある。俺が映画をできるだけ一番前のセンターの席で観るようにしてるのはその為。

人間の視界は左右120度ぐらいらしく、だから視界120度で映像が広がっていると人間の脳は強い疑似体験ができる。VRなんかなくても、十二分に体感はできるんである。

それでだ、ScreenXは正面のみならず左右にも映像が映され、その範囲は270度を誇ると。

しかもここに身体を蹂躙される『フュリオサ』仕様の4DXがプラスされるんである。

前回観た時ですら最早映画鑑賞というよりイベントという様相を呈していたわけだが、それを上回る鑑賞環境がULTRA 4DXと期待できる。

 

久しぶりのグランドシネマサンシャイン池袋。

ロビーが、なんか障害物増えて見晴らし悪くなったなー。前は抜けてたのに。

 

席を取る時、悩んだ。

いつもは一番前の席とか取るんだけど(スクリーンの大きさや高さにもよるから一概には言えない。スクリーンが小さめなら間違いなく一番前。スクリーンが巨大過ぎるならもう少し下がった方が良かったりもする。あとスクリーンが高いと一番前だと見上げる形になってしんどかったりするし)

今回は通常とはケースが違う。270度映像なのだ。

従業員に左右の映像ってどの辺まで映ってるのか聞くと、左右の壁全部映ってますと。だから一番前の席だと堪能できないみたいな。

なので後ろから2列目のセンターにした。こんな後ろに座るのは相当久方ぶり。

で、観てみて。

…なんか俺が思ってたのとかなり違った。

まずね、270度=横にはすごく長いのだが、正面は高さがさほどない。

だから(特に後ろの方の席から観てると)視界に対して上下が空き過ぎで、否が応でも天井と客席が視界に入ってしまうので、まったく没入できない。天井と客席という“現実”が常に視界に在るという。

 

あとこれも致命的、俺てっきり270度映像って湾曲してるスクリーンなのかと思い込んでたんだけど、実際には左右いっぱいの長さの正面スクリーンに加えて左右の壁に映し出されるので正面スクリーンの左右の端と左右の壁の境目は湾曲ではなく90度の角になってる。黒い太いラインすら入ってて、映像がガッツリ直角に折れ曲がる。ワイド感を感じるより先に場内の物理的な四角形の作りがどうにも意識されてしまう。

 

左右の壁に映される方の映像が解像度低いのはまぁ別にいい。人間がものを見てる時、あくまで対象物や正面に目の焦点は合っていて視覚の端はぼんやり見えてんだから、むしろ現実に沿ってるとすらいえる。

 

ただ、270度映像を頭からケツまでずーっとやってるのは何か不都合があるのか手間かかり過ぎるのか予算的な都合なのかなんなのか知らないが、正面スクリーンには一貫してずっと映像が映ってるんだけど、左右の壁には映ってる時と映ってない時がある。俺最初てっきり映写トラブルかと思ったもの。

この左右に映らなくなった時も観てる気分としては非常に現実に戻る。

 

だからこれでULTRA 4DX料金として通常料金にプラス¥1600というのは高いと思った。「ScreenX」があまりよろしくなかったんだよね…。

 

あと、まぁ文句ばっかでなんなんですがね、

今回の4DXは前回シアタス調布で観た時ほどキテなかった気が… 気のせいなのかな? 劇場によって違ったりなんかしないよな? 自分が『フュリオサ』仕様4DXにちょっと慣れちゃったのか?

前回マジで振り回されてたからな(笑)。今回も中盤あたりのウォータンクが急襲されるシークエンスは相当キテたけどね、それ以外はそんなエラいことにはならなくて。

(あとさぁ… 通路挟んで隣りの席の野郎が上映中に腕時計見てるのかスマホで時間見てるのか時々なんか点けやがる。光る度に視界の端に見えて、それも鑑賞を著しく阻害した。それが目の端に見える度に現実に引き戻される。

上映前に注意事項流れるよな、前の座席を蹴るなとか光るもの点けるなとか。言われても守れない奴って頭 相当足りな過ぎ。

アイツ絶対ストーリーで見てたんだよ。だから退屈だったんだろう。『フュリオサ』は映像・音像とドラマで展開するんで、ストーリーというものはあまりない。

そういう作品を堪能出来ない奴は映画鑑賞にまったく向かない奴なんで、オマエはもう2度と映画見にくんな。一生家でテレビドラマ見てろ。)

 

ULTRA 4DXに話戻して、まぁフォローするわけじゃないけど、不満はありつつも、観てる最中こんなことも思ったんだよね、

70~80年代の俺だったら、凄ぇ!って大興奮したろうなって。

歳食ってる人間だけが持ち得る能力なんだけど、比較という概念だったり、脳内タイムトリップだったり。

現在の俺的には期待外れだったScreenX だけど、70~80年代にコレを鑑賞したならスゴイと思ったろうね。横にまで映るなんて ない時代だからさ。

それでさらに4DXでぐわんぐわん揺れてさ、昔だったら3万払っても体験したいと思ったかもしれない(苦笑)。

70~80年代の現実と今の現実を同じ俎上で考えると、俺は今 未来を生きてるんだなァとかしみじみ思ったりなんかもしなくもない。

 

確実な事は、臨場感というのは2Dか3Dか4DかVRか、なんてのは関係がない。2Dでも臨場感に溢れてる作品がある。

『ブレードランナー』の時に言った事だよ。まぁ『テネット』の時の話もだけど、やっぱデカいスクリーンで視界いっぱいに映像が広がるように観ること(3面でなく1面で構わない)、あとテレビドラマの撮り方ではなく映画的な映像、これが映画足り得てる映画の絶対条件。

これを踏まえていてこそ疑似体験が可能になるし、2Dでも映画は全然堪能出来る。

(そして、だから映画はあくまで映画であって、テレビドラマや配信作品やVシネとはまったく別物なんだっていう。

そこがちゃんとわかってれば、端から配信前提で作られた作品をアカデミー賞で扱うか否かなんて議論になったりなんかしない。答えはわかりきってる。そんなもん映画なわけないだろが。)

 

 

前回言及し忘れてた。

ディメンタスが他所の縄張りを乗っ取ろうとするのだが、カチコミかけて返り討ちに遭う相手が前作(物語上は『フュリオサ』の後になるが)『フューリーロード』の敵になるイモータン・ジョーなんだけど、

イモータン・ジョーは『フューリーロード』の時は“異様な奴”でしかないんだけど、今回かなりカッコいいんだよね。ディメンタスでは到底及ばないだろうなという貫禄すらある。『フューリーロード』の時は全然カッコよくなかったのに。

そんなイモータン・ジョーと ろくでなしディメンタスの対立は悪vs悪の面白さがある。

 

前回プロダクションデザインが物足りないとか言ったけど、もういっこだけイイのあったね。ディメンタスが最後に乗ってたバイク、フロント部分が女の上半身裸のマネキン(笑)。

 

最初の連れ去られたフュリオサを母親が追撃する場面で、やられた敵の1人が砂にめり込んで足だけ出てるじゃん、アレもナイスだったなそういえば。『犬神家の一族』の湖の足だけ突き出てる死体みたいで(笑)。

あぁいうやり過ぎ演出はエキセントリックなマッドマックスに合ってる。

 

やっぱ瞳にはデジタル加工入ってるだろう? それも主要登場人物全員。

これを目力が凄いとか瞳がキレイな役者さんだなとか思っちゃダメよ? それカン違い。デジタル加工だからアレ。

 

あと字数もあれ以上増えてもしゃあないんで前回まったく触れなかったけど、トム・バーク演じるジャックが結構いいっちゃいいんだよね。

過去シリーズ作のマックスに相当するようなキャラ。マックスじゃないんだけど。

そりゃあメル・ギブソンの本家マックスには遠く及ばないし、衣装がダサくてまったくカッコよくないんで『フューリーロード』のトム・ハーディ演じるリメイクなマックスにすら及ばない。ルックスも最初見た時、太り気味のパッとしないアンちゃんだなーと(苦笑)。

でもフュリオサとの接し合いはなかなか悪くない感じで。『フューリーロード』のマックスとフュリオサの接し合いに近いパターン。

観てるうちにカッコよく見えてくるキャラ。

(でもやっぱ旧マッドマックスシリーズのメル・ギブソンの凄みのある漢のカッコよさにシビれた世代としては、そこんとこ新シリーズは全然ダメんなっちゃったよなぁ…と。

なんかジョージ・ミラー、ウーマンリブみたいな感じになっちゃって、そういうのは、やっても全然いいけど他所でやってくんねェかなっていう。)

このジャックってキャラ、なんで出したんだろうね? 『フューリーロード』のマックスと立ち位置ほとんど同じじゃない? だから物語の構成というかキャラの配置というか『フューリーロード』と似たものに感じる。

やはりカッコいい男がいなけりゃ『マッドマックス』じゃないというのはミラーも重々承知なのかね? でもマックスはフュリオサ革命編(←『フューリーロード』)で登場させたから、その前日譚ではまだ出せない。でも男は要る。それでジャックってキャラ?

旧シリーズは男のヒーローもので、新シリーズでやりたいのは女のヒーローもの?

ただ、新シリーズ3作目『マッドマックス:ザ・ウェイストランド(原題)』はマックスが主人公の物語になるって話なんだよな。

1作目がマックスとフュリオサのバランスがイーブン、2作目はフュリオサの話、で3作目がマックスの話なら、3作通して男と女がバランスイーブンになる。そういう狙いなのかな?

3作目のマックスが素晴らしければ結果まぁ許せるということになるかもしれない。

しかし『フュリオサ』は(日本はそうでもない?)興行的に不振なようで(『フュリオサ』に限らずハリウッドの新作は軒並み不振らしいけど)、『ウェイストランド』は製作頓挫する可能性も無きにしも非ずらしい。

『フュリオサ』で終わったら新シリーズはマッドマックスシリーズとしては失敗でしょう。

ここまできたら2作目の興行成績がどうであろうが3作目もやらなきゃダメだよ。それがミラーの責任だと思うよ。

 

…でもまたデジタル映画になるのか。もう“デジタル映画”って時点でマッドマックスとしては失格なんだけどね。

それに予算かかり過ぎなんだよ。『フュリオサ』の製作費1億6800万ドル? 金かけ過ぎだろ! 小国なら国家予算に匹敵すんじゃない? ちょっとした戦争出来るぐらいの額だろ。

『ウェイストランド』は原点に立ち返ってだね、デジタル一切ナシで作れば3~4千万ドルぐらいで作れない? ポストプロダクション(撮影後の作業。デジタル作業もココ)にいくらかかってんだよ? デジタル作業なかったら予算も手間も相当浮かないか?

でも新シリーズ1・2作目がデジタル映画で、今さら3作目で旧シリーズのような生の臨場感と迫力に満ちた非デジタル映画で完成させたら、今の若い観客は違和感バリバリ&納得いかないだろうな。

だから最初からデジタルには手を出すべきではなかった。『ベイブ』(子豚が主役のミラー監督作)とかはともかく、マッドマックスはランボー(コレとかコレ)とかジャッキー・チェンなどと同様デジタルの対極にある存在だったんだから。

『フューリーロード』の時、ミラーは“デジタル映像技術が進んで、自分が表現したいものが出来る環境が整った”みたいなことを言っていた。でも、にしてもデジタル使い過ぎだろ。最早こんなのデジタルアニメと変わんないじゃん。実写映画の迫力と凄みと魅力が旧マッドマックスシリーズには溢れてた。マッドマックスの存在意義ですらあったのに。

 

 

…と、なんかテンション下がり気味な感想になっちゃったけど、

まぁ天気も良くてね、久しぶりの池袋だったし、アトラクションとしてはまぁまぁ楽しめたし、お出かけとしては良かったけどね。