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男メインの作品で、センチメンタルだったりロマンティックだったりドラマティックだったりする作品で、なおかつ、理屈やストーリー云々でなく雰囲気メインで。
…そういう作品を取り上げて1回3~5作品ぐらいでやろうって企画でラインナップに挙がった1本が『ブラックレイン』なんだが、
これ傑作なのに なんか異様に評価が低い。
しかも否定派も数少ない肯定派も、なんか言ってる事がまるっきりポイント外してるんで、俺が語ってやる!
とは言っても字数に限りもあるし、何より俺が疲れるんで(笑)、もうマジなとこからフザけたとこまで見所満載で飽きる事の無い映画なんだが、今回はロマン派な部分だけ取り上げる。

 

 

ドラマとストーリーは違う。同じものだとカン違いしてる人多いけど、このふたつは別物。
ストーリーっていうのは何がどうしたっていう、お話だよ、話の流れ。
ドラマっていうのは感情の機微とか情感とかの事。
例えば…『トゥルーロマンス』で主人公のクリスチャン・スレーターの親父デニス・ホッパーがマフィアのボス(だったっけ?)のクリストファー・ウォーケンに殺されるよな。
クリスが逃げてるから親父が殺される。これはストーリーの流れ。
でも殺される直前、ホッパーが威厳を見せるよな、これがドラマなんだよ。
『ブラックレイン』はドラマ性が高い。
イメージ 2チャーリーが惨殺されたシーンの後からドラマ性がハネ上がる。
その前に、チャーリーのいい人ぶりが描かれてて、なおかつ殺され方が惨く、さらに死ぬのが異国の地という事で、チャーリーの死があまりにも気の毒なものになっており、
だからこそその後の哀しさ、沈痛さが並みじゃない。

 

イメージ 3痛ましすぎる、ナイフで刺された瞬間のチャーリーの「ヒィ!」という声と倒れかけの姿。
悟ったような、諦めたような、哀しげな表情。
そして斬首。

 

イメージ 4俳優が皆いい演技してるが、特にここでのアンディ・ガルシアはグッジョブ!
ニックがシャッターで阻まれ、目前なのに助けられない状況設定も素晴らしい。
痛ましさが詰め込まれまくったシークエンス。

 

その後のニックと松本の哀しみを、映像と音楽は素晴らしいセンスで紡いでゆく。
イメージ 5降りしきる雨、濡れた街の質感、漂うスモーク、暗い空、冷え込んだ空気といった寒々しい情景…
俳優の演技とは別に、リドリー・スコットは登場人物の哀しみを映像で表現してみせる。
映像センスがいい。『ブレードランナー』的とかいう話じゃ全然なく。
個人的にリドリー・スコットは嫌いじゃないがファンでもないんだが、本作は間違いなく卓越したセンス・大人のクオリティで、素晴らしい仕事をしている。

 

前にも言ってるが、ストーリーをやるならテレビドラマか小説で十分。テレビドラマの映像では質の高い映像を実現出来ないから、逆に言うとストーリーものをやるしかない(だからテレビドラマでは脚本家の占める割合がデカいわけ)。
他にもバラエティとか、映像の質に左右されないものはテレビ映像が適してる。
(ニュース映像が微妙なんだが、その話は端折る。)
映画は映像に奥行きや質感があるから、世界観の表現にも適しているが、本作のように情景でドラマを演出するのにも適している(だから映画の出来は脚本では決まらない)。

 

リドリー・スコットに文句を言う奴って、テレビドラマを見る感覚のまま映画を観てないか? テレビドラマと映画は違うっつーのにテレビ感覚で映画を見て「ストーリーがダメだよね」とかホザいたりさ、ダメなのはお前じゃん、お前の見方がダメ。ドラマ鑑賞に適さない人だと思うよ(まぎらわしいんだが、テレビドラマはストーリーであってドラマじゃない)。
リドリー・スコットはビジュアルに頼り過ぎというトンチンカンな批判があるが、映画はビジュアルなのにビジュアルに頼り過ぎってなんだよ?(とはスコット本人も言ってたな確か)。

 

ハンス・ジマーはあまりにもセンチメンタルなスコアで切なさを激増させ、演技と映像を援護する…というか、占める割合としては最早イーブン。
音楽が映画にとって生命線という事は、たしかにある。最終的に音楽が入って作品に魂が入るという。
映像では戦闘シーンをやっていたとしても、登場人物たちの気持ちとして、実は止むに止まれぬことがあるとか、押し殺している感情があるとしたら、そっちの気持ちを表現してくのが映画のスコア(と以前誰かが言ってた気がするんだが、激しく同感)。BGMが戦っている人の気持ち・情念を代弁するという。
ジマーはこれに実に長けた音楽家で、特に心情度が高かったり威厳のあるようなアクション作品に参加すると世界最強なぐらいマッチする。

 

イメージ 6ニック・コンクリン――本国ではヤバい状況(汚職疑惑)で人生崖っぷち。グレーな人生送ってきたツケが遂に来て、人間としても人生模様も瀬戸際。日本ではジャマ者扱い。未来も無ければ居場所も無い人生の四面楚歌。自分の終焉がすぐそこまで迫っている。
だが今はそんな大問題も吹っ飛ぶぐらい、チャーリーの死に打ちのめされている。
落ち込みまくってドツボに超センチメンタルなニックの元へ、神妙&沈痛過ぎる松本が訪れる。
その部屋――薄暗い室内、傾けるブランデーかスコッチあたりなグラス、マイケル・ダグラスの呟くような声、グラスで鳴る氷の音――の静まり返った雰囲気、途中挿入される明け方の大阪の空撮も冷えきってて いい。

 

イメージ 7“日本では親しい人が亡くなると何か遺品を貰う習慣がある”とチャーリーの遺品の入った箱を持って来た松本に、ニックが“こんな時にやめてくれよ”って感じなんだが、そこにはルールを破ってまでして松本が用意した、ニックに対する最高の気遣いが――
一番下にチャーリーの拳銃が入っている!
「…何を貰っても、いいのか?」

 

ここで心の導火線に火が点くわけだが、まずシチュエーション的にこれは間違いなく燃える。
また、それを的確にサポートし表現するハンス・ジマーのスコア――ニックが銃を引き抜いた瞬間、ジマーのスコアもテンションが10から100にハネ上がる!――により、ニックの心の底から湧き上がるものを代弁&倍増させる、凄まじいグッジョブ!

 

敵の元アジトに行くが、手がかり探しに来たのに辛さと怒りのあまり気がふれて現場を破壊する!
「あのクソヤローッ!」
テンションは上がりっぱなし!
…マイケル・ダグラスの激情ほとばしる演技とハンス・ジマーの怒涛のセンチメンタルなスコアが、相乗効果であまりに切なく激しい“心のアクション”な名場面!

 

その夜一緒にうどん食ってる時の、汚職や人間性についての会話…
ポロッと出る大人の辛さ。漂うセンチメンタリズム。――癒しすら感じる。
松本が、ニックの汚職の事をチャーリーは知っていたのか?と聞くところで、泣きそうになる。
チャーリーはニックが潔白だと信じたまま、死んでいったからだ。
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この映画は国境を越えた友情の話とか復讐話として捉えられがちだが(確かにそうではあるんだが)、大人が自分をやり直す話でもある。
ある程度の年齢になってからやり直す…自分をリセットするというかね、人間性や習慣や生き方を変えるというのは、非常に難しいというより 基本的に無理だ。
ニックは社会の汚濁に呑まれた中年で、現実や人生はグレーだという認識。
それは確かに実際そうなんだが、それでいいのか? 松本は本当の人間として大人として、あるべき姿勢を諭す。
清廉潔白(な印象)な松本に言われる、しかも人生の瀬戸際で言われるから、ひどく身に染み、そして心に沁みる。

 

…身に覚えのある奴、多いはずなんだよコレ。人間として、常識として、やっちゃいけない不正をやってる奴、多いだろう。この映画では汚職だけど、世間にゴロゴロいるだろ、インチキなテレアポとか食品偽装とかさ。イカサマやったり、他人を騙したり、そういう事やってる奴全部だよ。

 

俺は今も昔も高倉健にあまり興味がないんだが、ここでは高倉健の「人生が刻まれた」ようなシブい顔と表情が、このシーンに、そしてこの映画に、厳格な深みと重みをもたらす。松本役が高倉健で正解だったと感じずにいられない。

 

イメージ 10そしてニックの人生でおそらく最も重く暗い夜が終わり、朝が来る。
濡れた地面とテーブル、スモーク…横移動で捉えられていく夜明けの食堂の映像に、凛とした朝の寒さを伴った清々しさが漂う。

 

(一気に飛ぶが)ラストの空港での別れのシーン、物語が終わった安堵感と別れの切なさ、そこへまたまたハンス・ジマーのスコアがあまりにいい味で、爽やかなセンチメンタリズムに満ちている。
ラフな格好でやる気なくダーティテイストでやって来た最初と違って、ラストは綺麗にこざっぱりしたスーツ姿で、晴れやかな笑み(とガッツポーズ)をみせて清々しく帰国の途に着く。もう以前のグレーなニック・コンクリンじゃない。誇りを持って帰国してゆく。
恩人の松本に、用意出来る限りの最高のプレゼントを贈って――。
松本も万感の表情だ。
(ここでも高倉健の“顔”がモノをいう)
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これはホントいい映画。この良さが30歳過ぎてからやっとわかった。
最初は、松田優作カッコいいとか、ハリウッド映画で日本が描かれてるぅ日本人いっぱい出てるぅとかって感激したり、大阪もアメリカ人が撮るとあぁなるのか(正確には「リドリー・スコットが撮ると」なんだが)とか、そんな程度だったもんな感想。あとはなんか「ハリウッド映画にしては日本の描き方まぁマシなんじゃない?」とか解かってないのに解かったような事言ったりさ。
全ッ然違う。それ、この映画について何も語ってないに等しい。

 

この映画にあまりピンとこない人は、たぶん「センチメンタル」って感覚がわからない人だと思うよ。
わかってるつもりでもわかってるって言い張っても、わかってない。
あまり辛くない人生とか日常送ってる人は、この映画に見出すものはほとんど無い。

 

楽しくなかったからつまんなかったって人は、基本的に映画に切実なものを求めてないんだろう。『トランスフォーマー』とか『インディジョーンズ』とか観てればいい。

 

例えば苦労してる人がこの映画を観たとするよ、そうするとね、その人は別にこの映画の話とは全然立場も違えば生きてきた人生模様も違うから、「ストーリー」や「登場人物」に感情移入出来ないのは別にいいんだよ。
でも、この映画に流れる「辛さ」や「情感」は解かるんだよ。経験してきたシチュエーションは違うけど、この暗さ、寒々しさ、センチメンタリズムは心に沁みるわけ。

 

あ、最後にもう1つ。この映画観る時は、音声はコンポのスピーカーにつなぐとかヘッドホンで聴く事。テレビとかパソコンのスピーカーから出る安いスカスカの音だと、ハンス・ジマーの素晴らしいスコアが半分ぐらい聴き取れないんだよ。特に低音が。