腹がたった時、それも単にその場限りの腹立たしさではなく人生とか運命などに対する腹立たしさというかな、一過性の怒りじゃなくて根深い怒り。
普段それをくどくどしく考えてたりはしないけど、外部要因によってそれが呼び起されてなかなか引かないことがある。
仕事の疲れだけでなくそういうのまで加わってくると、これは放置するわけにいかない。
しかも己でケアするとなると、はい、というわけでムービーテラピー。
そんな時によろしい処方箋の1つ、今回はメル・ギブソンの『エッジオブダークネス(邦題:復讐捜査線)』を取り上げよう。
観た時の気分で、同じ映画でも全然違うものになる。
本作、以前取り上げたことあるけど、あの時の感想は、結構いいとは思うけど積極的に何度も観ようとは思わないというか。
あぁいう内容だからね。気持ちのいいものではない。
でも上述したようなメンタルの時、イケそうだと踏んで改めて観てみたことがあったのだった。

(ネタバレあり)

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メルの演技がすごくいい!
いやメルが演技上手いってのは前にも言ったけど、この演技がこの時の自分のメンタルにすごい効いたんである!
(今の)日本の役者の演技って…日本に限んないんだけど特に日本かな、演技が単純で、こんなの演技じゃねェな みたいな、前にも言ったけど
それは1つには、タレントばっか起用するからだと思うよ。タレントは役者じゃないから、タレントに演技させると「怒ってる」「笑ってる」「悲しんでる」って単純な演技になる(その演技がまた貧相で)。
でも感情ってグラデーションになってて、単純に喜怒哀楽では分けられない。
役者と言うのもおこがましいからボンクラタレント出演者→略してボンクラと言うが、ボンクラは例えて言うなら1と2しかないとする。でも1と2の間には実は1.1、1.2、…1.8、1.9とある。赤と青の間には、赤紫→紫というグラデーションがある。
人の心は単純に1チャンネル2チャンネル3チャンネル…とスイッチを切り替えるように「怒ってる」「楽しい」「悲しい」ではなくて、グラデーションになってる。
例えばメルが殺された娘の彼氏から話を聞こうとするシーン。ワケあって真実を簡単には話せない彼氏。なかなか真実に辿り着けないのでメルはイラ立ってるはずだが、「娘はどうやって極秘核施設に人を入れた?」「仲間がいたとか」「お前か?」「違う」 ここまでは渋く厳しい表情をしているのだが、その次「…何があった?」と言うメルの表情と声は泣きかけている。ここグッとくるな…。
泣きかけてるのがグッとくるというより、渋く厳しい表情から泣きかけになる感情のグラデーションがグッとくるんだよ。
感情の切り替わりではなく感情の移り変わり。
メルはそれを見事に演じてみせてる。

その一方で、感情の切り替わりも素晴らしかったりする。
娘の検死のシーンで、静かなる苦渋さで娘の遺体を見ているメル。職員(←女性)が遺体にかけられたシートか何か取ろうとした瞬間、メル「触るなッ」
大声で怒鳴るわけではない、しかしどんよりとした沈痛さから一転 突然鋭さがほとばしり、場の空気が凍りつく。
これは「グラデーション」ではなく「反応」だ。「移り変わり」ではなくパッと切り替わる。
ボンクラは「切り替え」もパッと出来ない。ボンクラが演技を切り替えようとすると鈍い切り替わり。でもメルは瞬間的に切り替わる。
(改めて観たらここ編集で切り替わってんだよね。「触るなッ」のセリフが2カットまたいでるんで、印象としてはつながってるように感じる=瞬間的に演技切り替えたように感じる。
でもさらにその前後のカットを見る感じ、ワンカットで撮ったのを編集でカット割ったように見えるんだけどな…。)

また、人って状況に対して表情が定型的ではなかったりする。
娘が殺された直後の検視のシーン、気遣って言葉をかける上司に対し、並の演技・感情・想像力なら悲しみとか涙を持ってくるところだが、あるいは当たり散らすような怒りとか。
しかしメルの演技は感情的でない怒りだ。
こんな気持ち(ショック・悲しみ・心が折れないよう葛藤している)の時に検視で家に他人がたくさんいるとか、気遣って言葉をかけてくるのがKYでイラ立つ みたいな。
「気をしっかり持て」
気をしっかり持とうと葛藤してる時にわざわざ言われるのは頑張ってる人に頑張れって言う無神経に似ている。
「俺がそばにいる」
俺の葛藤にオマエがそばにいたって意味ない。
自分の愛する者が殺された時にどういうリアクションかってのは人それぞれだろうけど、単に泣く演技で済ませなかったメルの素晴らしさ。いやメルが自発的にやったのか監督の指示かは知らない。でも監督に指示されてやったならそれはそれで、メルの演技はレベルが高いんである。
ボンクラは怒りの演技というと怒鳴ったり拳を握ったり目をカッ開いたりといった事しか思い浮かばないし やれないし。
しかしメルの抑えたテンションの高さは絶妙! 怒りを単純にストレートに出さずに一度抑え込んでから出すというか…あるいは怒り度数100まで高めて一度閉じて意図的に開けたわずかな隙間から10だけ漏れ出してみせたみたいな?
例えが適切かどうかわからないが、格闘技は殺し合いではない。あくまで競技であって。だからケンカとは違う。
怒りの演技で本当に怒りをそのまま出すのは、格闘技ではなくケンカみたいなもんだ。品性や思慮が無い。演技とはそういうものではない。演技は一種の技能なんだから。
昔からくだらないと思ってるんだけど、泣くシーンでホントに泣かなきゃいけないってやつ。死んだ飼い犬のこと思い出すとかさ(苦笑)。
泣きの演技だってしくしく泣く、ぼろぼろ泣く、涙を流す、流さず目に溜める…泣き方によって表現が違ってくる。
本当に泣くと泣くこと自体に手間を取られて、泣きの微調節なんか出来ない。だいたいいきなり泣けって言われたってね、そんな簡単に出来るものじゃないし。
涙なんて別に目薬でいい。目薬どころかただの水でもいい(笑)。本当に泣くか泣かないかなんかどうでもよろしい。
セックスのシーンで本当にセックスするか? AVは省くよ。一般作でごく稀に本当にヤる女優もいるようだけど そういう女も省く。本当にヤッたら、そんなものはすでに「演技」というものではない。
演技ってのは表現なんだから。技能とかテクニックなんだよね。
ホントに泣くとかホントにヤるのは技能じゃない、単に生理をモロ出ししてるだけの事。怒りの演技で本当にぶっキレるのも同じこと。それは下品だ。
本当にキレて演ってたらメルはこんなふうな怒りの演技は出来ない。私生活ではいろいろ問題を起こしたが、こと演技に関しては理性的だと思う、俺はね。

ある弁護士に話をきく(実は娘を陥れた弁護士)。最初は普通に話してるが、締め上げに転じ、最後は「ファッキンシートベルト!」
徐々に攻勢に転じてく演技。これは“感情のグラデーション”でもなければ“感情の切り替え”でもない。あからさまに段階的にテンションが上がってく。
物理的なアクションでなく“心のアクション”というか。



本作、メルのフィルモグラフィーの中で最高の演技だと思う。いやメルの出演作全部は観てないけどさ、そう言い切ってしまっても見切り発車ではないであろうクオリティの演技力だよ。
昔から演技力高かったけど、歳食って渋みが増した。いわゆる円熟味を増したってやつ?
歳食ったから下降線じゃなくて、歳食ったからこそ醸し出せる魅力が加わった。
メルの99年主演作『ペイバック』はメルが巨悪に単独で挑むという、本作と似てるといえば似てる。前にも言ったけど。(ちなみに『エッジ~』は2010年製作)
でも『ペイバック』が怒りやイラ立ちのみを燃料にしてるのに対し、『エッジ~』は悲しみや痛ましさや辛さも成分に含んでいる。
たしかに『ペイバック』は腹が立ってる時に適した処方箋なんだけど、『エッジ~』はもっとこう、じっくりずっしり効くんだよ。沁みわたる。
根深い怒りにはドライなやつではなく、よりヘヴィでシブくてウエットな本作の方が効く。適してる。
…だから逆に言うと一過性の怒りにはちょっと効能がキツ過ぎて効きが悪いかもしれないね。そういう時にはむしろ『ペイバック』だったりとかの方が適切かもしれない。
同じベクトルの症状でも細分化してくと原因や処方箋が変わってくる。