前回のエントリ(の『カリフォルニア・ダウン』のとこ)で女の体はデジタルに拮抗すると話したが、その話をもう少し。

 

映画とテレビドラマは絵画とマンガくらい違う、

映画はデカいスクリーンとデカいスピーカーだから映像と音を堪能するものであり、テレビドラマは小さいモニターとスカスカ音響のスピーカーだからストーリーと出演者で進める他ない、

映画は体感・没入し疑似体験するものであり、テレビドラマは物語を楽しむもの、

とはこれまでに散々言ってきてることだが、

だから映画はプロダクションデザイン――大道具、小道具、セット・建築、衣装…まぁほぼほぼ映るもの全てといっていい――が重要であり、

テレビドラマはあまりそこは気にしなくてもよい。小さい画面で見るものだから映像に凝っても仕方がなく、脚本と出演者で推進するものだから味も素っ気もないセットで会話してる出演者のカットバックだけでも成立する。

しかし映画でそんなことしてたらこの映画を作った奴はバカなのか?ということになる。

テレビが普及してなかった時代の映画は話が別。テレビドラマがなかった時代は本か舞台劇か映画で物語を楽しむ他なかったから。

動画が存在しない時代に生まれた映画というものはスクリーンから微笑みかける赤ん坊に見る者が驚嘆し、走ってくる機関車の映像に観客が逃げ惑ったというのが当時の反応・原風景であり、それが飽きられた時 「物語」というものが導入されたのだから、テレビドラマが量産されるようになったら映画に物語が必然でなくなるのは当然。

そこで映画が次に目指すのは「体感」。これは絶対にテレビドラマ及びネット配信作品では出来ないものだから。そこから映画はプラネタリウムに近いものとなる。物語を楽しむものではなく、「体験」するもの。

だから映画にとって映像は最も大事であり、従ってプロダクションデザインが重要となる。

そしてそれは映るもの全てなのだから俺に言わせると役者もプロダクションデザインの一部といえる。役者も映画を構成する素材の1つという。

この話で筆頭なのはなんつってもシルベスター・スタローンだろう。特に『ランボー2』 『ランボー3』 『ロッキー4』はアクションも凄いがビジュアル的にも素晴らしい。80年代のスタローンの均整の撮れたビルドアップされた肉体・全身の二等辺三角形のフォルムはプロダクションデザイン的にも素晴らしい。

 

 

で、ここからやっと女の話になるが、女の肉体というのは鍛えてなくても映画のスクリーンに十二分に映える。

パッと思い浮かぶところだと例えば『ザ・ディープ』。

 

海で宝探しの映画だが、海上・海中で撮った映像が多くその時点で映画足り得てるのだが、

さらに見どころは主演女優ジャクリーン・ビセットの下半身黒ビキニ、上半身裸にTシャツ1枚というビジュアルが非常に魅力的で、もうこれだけでも本作は観るに値するというぐらい惹かれる。1977年の映画なのにいまだにその魅力は褪せない。

単に俺が男だからそそられるんじゃないの?というと、ちょっとそういう事とも違う。たしかにエロいはエロいんだけど、エロの範疇で収まらないサムシングがある。

それはフィジカルさ(肉体的、身体的)ではないのだろうか? むしろスタローンの肉体をカッコいいと思うのと似ているというね。

本作は海での宝探しを疑似体験し、ジャクリーン・ビセットのフィジカルなボディを堪能する作品であり、映画としてちゃんと成立している。

 

 

あと邦画でパッと思い浮かぶのがコレ。

『ゼイラム』

1991年製作。特撮アクション映画。監督・雨宮慶太。主演・森山祐子。

生物兵器ゼイラムを捕獲しに地球へやって来た宇宙人のクールな女バウンティハンター。

他所の文明・生命体に影響を与えない為、疑似空間のようなゾーンをセッティングするが、そこに地球人の男2人が迷い込んでしまい、すったもんだのバトルになる。

 

圧が強く不気味なゼイラムの外観。まずこの監督の作品はキャラのデザイン・造形が異様なのが特徴。

 

冒頭でゼイラムの殺戮が描かれるが、これも不気味かつバイオレントな描写で怖い。

 

そして登場する、宇宙人の賞金稼ぎ役の森山祐子 キリッ!

 

この人はSEEDコンタクトレンズのCMで知られているが、何をトチ狂ったか特撮アクション映画に主演した!

 

およそアクションに縁のなかったコがコンバットスーツに身を包んで怪人みたいなのと殴る蹴るのバトルを繰り広げる!

 

コレ本作の傑作シーン。敵の発射したロケット砲みたいなのを腕で弾き飛ばすと…

軌道が逸れたミサイルが森山の後方の給水塔かなんかにぶつかって爆発! ブラボーだ森山!(笑)

 

低予算にしては爆破シーンもちょいちょいあり、特にこの爆発する建物内から主人公が爆炎&爆風とともに吹っ飛んでくるカットは凄い!

さすがにここは森山でなくスタントマンがやってるが、今の映画だったら爆発のみの映像と ワイヤーで人を引っ張った映像とを合成して済ますとこだよ。

そんな偽物インチキアクションではなくホントにやって撮ってるのが90年代以前の映画の凄さ。だからこういうのを観て育ってきた人間が今のデジタル映画観ると偽物だプラスティックだペラいだつまんねーだって、言うだろそりゃ。

 

本作はまだ91年の邦画なうえ低予算なんで、基本的に人間の生身のアクションと特撮で撮られている。

CGというものは本来非常に2次元的なので映画とは元々相容れない。だからデジタル映画は観ていて非常に薄っぺらく感じるのだ。

テレビドラマで使うのはなんら問題ないのだが、映画では特撮を使うべき。

特撮は現実に撮ってる映像なので質感や奥行きや空気感がちゃんと在る。

 

バトルでコンバットスーツが壊れた森山はスーツをガシャン!と脱ぎ捨てタンクトップ1枚になる。(ガシャン!と脱ぎ捨てるのがカッコよく、雨宮慶太ちゃんとわかってるね~って感じ)

女のコンバットスーツコスプレもいいが、戦う女といえばキタコレ! タンクトップ!

コレだけでこの映画を観る価値がある(笑)。

 

戦う女の(あるいは極限状況に置かれた女の)オッパイの膨らみはすごく良い! 非常にフィジカルで魅力的。

バトルムービーやディザスタームービー(災害映画)に置かれた女は、それだけでもうフィジカルな存在と化す。

男だとこうはいかない。鍛えてない男はそういう映像の中にいてもまったくフィジカルにならないしカッコよくもない。非常に凡庸であり、映画的にはコイツを外せ!ってなとこだが、

不思議なことに女性だと単なるその辺の女性でもフィジカルが宿るんである。森山もただのモデルであり女優であり、趣味は読書と映画鑑賞、特技はまんが(似顔絵)となっていて肉体的要素はまるで希薄、本作に出るまでアクション映画もそんなに観てなかったと言ってるのに、本作の森山のルックはフィジカルである。

『カリフォルニア・ダウン』の女優もそうだし、『ザ・ディープ』のジャクリーン・ビセットも然り。

だからこれに関しては時代も国籍もその女性のバックボーンも関係ない。女性の肉体であること。そして女性の肉体の特徴は特にバストだ。あのふたつの膨らみとその間の谷間はそれだけですでに男のマッスルに匹敵するフィジカルを孕むんである。

あるシチュエーション下においては、女の体はそれだけでもう映画を成立させる。

でもコレ肉体が強調されてないとダメ。厚着や布面積多めはフィジカルにならない。

同じく女の特撮アクション作品にVシネの『女バトルコップ』ってのがあるが、宇宙刑事ギャバンみたいな全身着ぐるみを着てるんでフィジカル度が低い。

でもあの作品は俺結構好きで機会があったら取り上げたいくらいなんだけど、アレは方向性として「女のフィジカル」じゃなくて「コスプレ萌え」に近いと思う(笑)。

『ゼイラム』もコンバットスーツ着たままだったらそうなってた。でも後半タンクになってからフィジカル度が俄然急上昇。1本でコスプレ萌えとフィジカルが両方堪能できる、お得であると同時に、戦う女の魅力の活写が複層になってる。

 

…そういったワケで『ゼイラム』も映画として大合格作品。

ちなみに他にも見どころはあり、ゾーンは隔離された空間で、これが都内の何の変哲もない住宅街で撮ってるのに劇中では異次元空間としてちゃんと機能している。デジタル技術に頼らなくても異世界を構築することは可能なのだ。

そして見た目はただの住宅街なのに出られないこの隔離空間はなんだかちょっと押井守の『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の虚構空間みたいで少しそそられる。

ガジェット(小道具)も凝ってるし。

映画はストーリーでなく、何を観せてくれるかが大事であることをこの映画は示している。