死後五十日間、中有界の状況 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “一般の精霊が、死後入って行く所は、中有界または精霊界と呼ばれております。それは天上界でもなければ地獄界でもなく、両者の中間的世界でありまして、その世界の波長は、われわれの住んでいる現界の波長と、比較的近いところにあるようです。

 一般に人間の精霊が、肉体を離脱すると、この中有界に入って行くのですが、そこに滞在する期間は、普通五十日間だと言われております。ただし、中には数十年間も、その中有界で迷っている特殊な精霊もあるようです。そして、この五十日間に、それらの精霊は、外分の状態、内分の状態、準備の状態を経て、天帝の裁きのまにまに、天上界または地獄界に入って行きます。

 外分の状態というのは、当人が死亡したときの肉体の姿形を備えている状態のことです。具体的に言いますと、七十歳で死亡した人は、その精霊も七十歳の姿を持続し、生前片手または片足であった人は、その精霊も、片手または片足の状態であります。しかしそれが、各人によって幾分早し遅しの違いはありますが、やがて両眼が開いてき、両足がそなわっていき、年齢も男性は三十歳近く、女性は二十歳過ぎの容貌に変ってくるのであります。

 それを内分の状態といいます。それは男女の別なく、人間の意志想念というものは、いかに体的に年を取っておりましても、男性は三十歳、女性は二十歳ぐらいの気持ちを持ち続けるものであるからです。日本の言葉に、「雀百まで踊り忘れぬ」というのがありますが、それは女というものは百歳になっても雄鳥を忘れない、という意である、と言われており、肉体は年を取っても、魂は年を取らないようであります。

 しかし、それはけっして誰もが、好男子となり美女になるという意ではありません。愛善の徳の高い精霊は、顔はもちろん、姿形も優美になり、それに接する者の心に安らぎを起こさすのであります。また、信真の徳の高い精霊は、その容貌が聡明になって、それに接する者に、おのずから敬意の念を生ぜさせるのであります。

 現界におきましては、たくさんな金をかけて、ある程度物質面から、美人になり好男子になる化粧ができますが、霊界においては、その精神的内容そのものが、容貌に現われてくるので、化ける粧いは不可能です。ただし、生前精神的に偽善行為が強かった者や、化粧に異常な執念を持っていた精霊は、なかなかその本性を現わしませんが、それでもだいたい五十日間の中有界で、本来の精神的内容がその容貌にあらわれてくるのであります。

 先にも申しましたように、中有界の現象的波長は、われわれの住む現界に近いところにありますので、死後五十日間(仏教では四十九日)の間は、生前と同じような気持ちで、精霊の供養をしてあげることが大切です。具体的に申しますと、その精霊の生前中の徳を称えてやり、好物を供えてやること、すなわち生けるがごとく、その家族や親しかった者が、その精霊に接してあげることであります。

 生存中、殺人、放火、強盗などの重い罪を犯したものが、中有界に入って、だんだんと霊の世界が判ってきますと、その裁きを恐れるようになり、非常な不安に襲われるものでありますが、祭り、供養を十分に行なって、その霊魂の生前の徳を称えてやると、精霊の心は非常な安らぎを覚えるものであります。

 

(「おほもと」昭和56年5月号 葦原万象『心霊のはたらき(上)』より)

 

 

 “中有(ちゅうう)の四十九日間は幽界で迷っておるから、この間に近親者が十分の追善供養をしてやらねばならぬ。又これが親子兄弟の務めである。この中有にある間の追善供養は、生有(しょうう)(注:死後50日以後。霊魂の行く世界がほぼ確定する)に多大の関係がある。” 

 

(「霊界物語 第一巻 霊主体従 子の巻」『第十四章 神界旅行の一』)

 

 

*ご遺族が故人の死を悲しむのは人として当然の感情ですが、その悲しみの感情に死者の霊が感応してしまうと、善良な死者の霊が本来行くはずだった高い世界に行けなくなってしまいます。死者の霊魂にとって最も大切な死後五十日間であるにもかかわらず、ご遺族が強烈な悲しみの感情の中に居続けたために、かえって霊が苦しむことになってしまったことは多いということです。ご遺族は、意識を神仏に向けるようにして、神仏に対して死者の霊魂の救済、導きを祈るようにせねばなりません。意識を神仏に向けることで、悲しみもまた癒やされるはずです。

 

 

・シュタイナー人智学

 

 “わたしたちがいつまでも愛する者の死を嘆いて、生きていて欲しかったと切望するなら、その思いは死者を迷わせるという。生から死へと移行したのは宇宙の賢明な叡智によってのことだったのだ、と認識する必要があるのだ。

 

 “わたしたちが自分で自信が持てないとき、人から肯定してもらい、励ましてもらえると、ずいぶん元気が出てくることがある。

 同様に、死者に対して、わたしたちがその死者の人生を肯定すると、死者は死後の世界を歩み抜く励ましを得たことになる。わたしたちが死者の人生を肯定的にとらえることが、その死者の歩みを力強いものにするのだ。

 だから、高齢者の死に際して、わたしたちが愛を込めてその人の人生を語ると、それが死者にとってなによりの励ましとなる。年老いて死んだ人の葬儀では、その人の人生を肯定的に語ることが、なによりの供養になるのだ。その死者のことをよく知っていた人が、その死者の人生を語るのを葬儀の中心部分にするのである。”

 

(西川隆範「死後の宇宙生へ 生命の永遠を生きる」(廣済堂出版)より)

 

 

・「霊界物語」第五二巻 真善美愛 卯の巻 『千引岩』より

 

“「お前はウラナイ教を俺に教へてくれた先生だが、あの教は皆兇党界(きようたうかい)の神の言葉だつた。それ故妙な所へ落とされる所だつたが、産土の神様の御かげによつて、霊界の方へやつて貰うたのだ。併しながら生前に於いて誠の神様に反(そ)むき、兇党界ばかりを拝んだ罪が酬うて来て、智慧は眩み、力はおち、かやうな所に修業を致して居るのだ。お前の娘、息子だつてヤツパリお前の脱線した教を聞いてゐたものだから、俺達と同じやうに、こんな荒野ケ原に惨めな生活をしてゐるのだ。そして大勢の者にお前の子だからと云つて、憎まれてゐるのだ、俺はいつも二人が可愛相なので、大勢に隠れて、チヨコ チヨコ喰物を持つて来たり、又淋しからうと思つて訪問してやるのだよ」

 「あ、困つた事が出来たものだなア、今は改心して三五教(あななひけう)に入つてゐるのだ。マ、其の時は悪気でしたのでないから、マ、許して貰はな仕方がない、どうぞ皆さまに会つてお詫びをしたいものだ」

 「三五教だつて、お前の慢心が強いから、肝腎の神様の教は伝はらず、ヤツパリお前の我(が)ばかりで、人を導いて来たのだから、地獄道へ堕ちたのもあり、ここに迷うて居るのも沢山ある。なにほど尊い神の教でも、取次が間違つたならば、信者は迷はざるを得ないのだよ

 「何と難かしいものだなア。吾々宣伝使は一体何うしたらいいのだらうか、訳が分からぬやうになつて了つた」

 「何でもない事だよ、何事も皆神様の御蔭、神様の御神徳に仍つて人が助かり、自分も生き働き、人の上に立つて教へる事が出来るのだ。自分の力は一つも之に加はるのでないといふ事が合点が行けば、それでお前は立派な宣伝使だ。余り自分の力を頼つて慢心を致すと、助かるべき者も助からぬやうな事が出来(しゆつたい)するのだよ。是から先には沢山のお前に導かれた連中が苦しんでゐるから、其の積もりで行つたがよい。二人の娘、息子だつてお前の為に可愛相なものだ。筆先に『子に毒をのます』と書いてあるのは此の事だ。合点がいつたか」

と、どこともなしに竜助の言葉は荘重になつて来た。文助は思はず神の言葉のやうに思はれてハツと首を下げ、感謝の涙にくれてゐる。忽ちあたりがクワツと明るくなつたと思へば、竜助は大火団となつて中空に舞ひのぼり、東の方面指して帰つて行く。之は文助の産土の神であつた。

 産土の神はお年、平吉の二人を憐れみ、神務の余暇に此処へ現れて、二人を助け給ひつつあつたのである。文助は始めて産土の神の御仁慈を悟り、地にひれ伏して涕泣(ていきふ)感謝を稍(やや)久しうした。

 文助は二人に向かい、

 「お前たち二人は、子供でもあり、まだ罪も作つてゐないから、ウラナイ教の御神徳で天国へ行つて居る者だとのみ思つてゐたのに、斯様な所で苦労してゐたとは気がつかなかつた。之も全く私の罪だ。どうぞ許してくれ、さぞさぞ苦労をしたであらうな」

 お年「お父さま、あなたの吾々を思うて下さる御志(おこころざし)は本当に有難う厶いますが、何と云つても、誠の神様の道に反(そむ)き、兇党界の神に媚び諂(へつ)らひ、日々罪を重ねてゐられるものですから、私たちの耳にも、現界の消息がチヨコチヨコ聞こえて、其の度毎に剣を呑むやうな心持ちで厶いました。今日も亦文助の導きで兇党界行きがあつたが、産土様のお蔭で霊界へ救はれたといふ噂を幾ら聞いたか分りませぬ。弟も余り恥かしいと云つて外へ出ず、又外へ出ても大勢の者に睨らまれるのが辛さに狐のやうに、穴を掘つて、此(この)岩の下に生活を続けて来ました。これだけ広い野原で、石なとなければ印(しるし)がないので、産土様のお蔭で、此石を一つ運んで貰ひ、これを目当に暮らしてゐます。石といふものは、さやります黄泉大神(よもつおほかみ)と云つて、これさへあれば敵は襲来しませぬ。此岩のお蔭で、姉弟がやうやうとここまで成人したので厶います。お父さまも、一時も早く御改心を遊ばして、吾々を天国へ行くやうにして下さい」

 「今までは、吾々が祝詞の力に仍(よ)つて天国へ救へるもの、又は導けるものと思うてゐたが大変な間違ひだつた。これは神様の御力に仍つて救はれるのだつた、今迄は自分の力で人を救うと思ひ、又人の病(やまひ)を自分の力で直すと思うたのが慢心だつたのだ。もう此上は神様に何事も任かして、御指図を受ける外はない。ああ惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」

と親子三人は荒野ケ原に端坐して、一生懸命に祈願を凝らした。”

 

 *あと、出口王仁三郎聖師は、「霊界物語を全巻音読した者には、第三天国は約束されている」とも言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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