皆神山の富士浅間神社 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・皆神山山頂、富士浅間神社の祭典 (昭和48年)

 

 “……信州皆神山の宮居再建が、地元長野県下大本信徒の誠を結集して、このほど俊成を見、現地にて旧臘十二月三日遷座祭が執行された。

 完成した石の宮は、旧社殿跡二間四方に高さ三尺の石垣を積みあげ、その上に五尺四寸におよぶ総石造りのお宮があり玉垣がめぐらされている。使用された石材は国内三大産地の雄たる愛知県岡崎から二度も採掘厳選してきざまれただけに、山頂の神域にふさわしく、その麗姿はひときは四辺を圧して清く美しい。

 前夜、この清宮を祓い清めて地元の氏子総代や本部の木庭教学委員ら立合いのもとに、皆神山社家武藤神官ならびに工藤大本長野分苑長と小山四郎氏が奉仕して、大本皇大御神のご神体と木花咲耶姫命のご神像(高さ38センチ・巾20センチ・厚さ10センチ)を新宮に鎮祭した。

 遷座祭の十二月三日は、陽春を思わせる快晴で、皆神山はすでに積雪におおわれていたが、山頂に立つと雄大絶景の展望が眼前に開かれ、遠く白銀のアルプス連峰が青空にクッキリとあざやかである。

 お宮の内側木造扉を担当して亀岡市穴太から出向した小西八之輔氏(出口聖師の令甥)の入念な仕上げを待って、午前十一時四十分、地元瘀皆神山(武藤神官)と大本(斎主桜井東海本苑長、副斎主工藤長野分苑長)の合同祭員にて厳粛に執行され、参拝者は八十名におよんだ。

 祭典後、社務所で直来の祝宴が盛大にひらかれ、祝辞がつぎつぎに披露されたが、ことに武藤皆神山神官は、出口聖師以来の大本との由縁を語り「この皆神山奥社は大本さんによって三度も再建していただいたわけだが、この度は、三度目の正直といおうか、石造りの末代のお宮を完成していただき心から感謝する」と挨拶。また本部の木庭教学委員は、皆神山の大本神業と世界の動き、ことに信濃の国と中国とのかかわりを、最近の実証をもとに話され、一同は感慨ひとしおに聞き入った。

 皆神山は地教山の雛型として大本神業上有名だが、全国唯一の教主さまの歌碑もここにある。この度再建された石宮は、かつて穴太瑞泉苑の神域に建てられていた『神聖神社』のうつしであり、昭和三十一年の神殿再建時に教主さまが確められた木花咲耶姫命の神像(奥社伝来の木像)を祀る富士浅間神社である。また『富士三国第一』の年さびた掲額も、四月の皆神山春季大祭時に行われる俊成奉告祭までに、鳥居を建てて掲げる予定である。”

 

(「愛善苑」昭和48年1月号 『皆神山に石の宮俊成』より)

 

*もともと皆神山山頂には木花咲耶姫命を祀る浅間神社の小祠があり、その跡地に大本教団によって昭和31年9月に信州皆神山奥社が建てられ、本来の祭神である木花咲耶姫命と共に大本皇大御神が鎮祭されました。それが昭和47年9月の台風20号で全壊したため、ここに書いてあるように新たに石の宮で再建されたのですが、前の奥社は綾部梅松苑の大八洲神社のうつしであったのが、今回は亀岡瑞泉苑にあった神聖神社のうつしとなっています。神聖神社といえば、戦前に存在した日本最大の右翼団体、昭和神聖会の霊的中枢でもありましたが、これもまた何かの型なのかもしれません。

 

 

 “―― 皆神山について、聖師様から何か……。

 

大国 皆神山は日本の山脈が十字形をなしている。日本の中心なんです。日本海が陥没する以前、今の富山の神通川が大陸との交通の要地だったんです。その神通川の水上なんですね。富山湾は今でも大木の根があるはずです。太古、あのへんは大森林地帯であったわけです。その当時の地勢からいうと皆神山が山脈十字形の中心であり日本の中心であったわけです。綾部、亀岡は別として、こちらの方の日本の中心で、あすこに月の大神さまを奉斎してあった。

 それが幾多の変遷でなくなった。あすこに一つの聖地をもうけなかったらいけないんです。あそこは昔の気流の関係からみて、山脈十字形をなしているので安全地帯なんです。もしも日本に非常なる事態があれば、神人をかくすのは、あの皆神山だということを云われていました。

 あそこは素戔嗚命さまが開拓されて、はじめて言霊をあげられた所です。ミナカミということは神の一ばん上ということで、あそこに天地根本の月の大神様を奉斎しないと日本は安定しないということです。

 それに、信州、大和、出雲はそれぞれ関連性があるんです。出雲朝のあった時、天照大神が大国主の命に国をゆずるように掛け合いをされた。その時、タケミナカタの命が反対をした。タケミナカタは軍部で、言代主は文官です。文官はゆずると云ったが、タケミナカタはゆずらなかった。

 それで言代主は責任上、三保ヶ関で頭を舟にぶっつけて死んだ。

 タケミナカタは稲佐の浜で力くらべというが事実は戦争をして、陸上では負けたが、水軍をひきいて自分の領土である信州にくだった。そのころは今と地勢がちがったので潮流にのって信州に行けた。

 それから大和に居残って奴隷の如く扱われたのがクズ族です。そういうものを綜合して、クズを集めて錦のハタを織るということが筆先にありますね。昔から日本におったニギハヤヒの命の系統大国主の命の系統、それからここの宮津姫の命の父の系統、それから信州は大国主の系統ですから、そういうクズの系統が集まって、錦のハタを織るわけです。

 

太田 クズは国主と書くのでしょう。

 

大国 そうです。そういう因縁ですね。日本武尊命は瑞の霊の一分霊ですよ。あの人が歩いたところをみると、みな関連性があります。

 ここと信州が絡んでやっていくのも、昔の因縁が絡んでいるね。”

 

(「おほもと」昭和35年4月号 『座談会:東海本苑のあゆみ』より)

 

 

 “信濃の国、松代の町の郊外にある皆神山は尊い神山であって、地質学上世界の山脈十字形をなせる地であり、世界の中心地点である。四囲は山が十重二十重にとりかこんで、綾部、亀岡の地勢と少しも変わらぬ蓮華台である。

 ただ綾部は日本の山脈十字形をなせる地で、これは又世界的であるだけの違いである。

 大石凝真素美翁は、此の地に帝都をおかれたなら万代不易の松の代を現出することができると主張し、世界中心遷都論を唱へて囹圄の人となつた事実がある。

 真素美翁ばかりでなく外にもさういふ説を唱へた人があるが、最近飛行機が盛になるにつれて東京は安全の地でないと云ふ見地から、信州遷都論が一時或有志によつて伝へられた事があるが、全く此皆神山は蓮華の心に当つて居るのだから、四方の山々に砲台を据ゑつけてさへ置けば、如何なる飛行機をもつてしても襲ふ事は出来ぬ安全地帯である。こんな要害のよい所は、世界中外にない。

 霊界物語にある地教山は此山である。素盞嗚命が高天原なる天教山より下り、母神の坐ますこの山にのぼりたまふた事実も、そつくりあの通り出て来たのである。

 わたしは明治三十一年高熊山にて修行中、神懸りになつて、一番につれて来られたのが天教山の富士山と、この皆神山とである。霊界で見た山はこれよりもずつと大きく美しかつたが、大体の形は今見るのと些しも違はぬ。

 眼下に見ゆる大溝池、あの形に型取つて金竜海は造つたのだ。

 十五丁目から頂上まで僅か三丁であるけれど、霊界で一里以上に見え、神界では百里以上に見えた。

 世界十字に踏みならすの御神諭も大に味はふべき事である。神代歴史にある地名は皆此処にある。

 天孫の降臨地と云ふのはここの事であつて、其昔の天教山(今の富士山)は印度のヒマラヤ山(地教山)の三倍以上の高さを持つて居た事は嘗て話しておいた。(霊界物語舎身活躍子の巻第一章参照)

 すなわち雲表高く聳えて居たので、ここを高天原と云うて居たのである。その高地から降つて、この地に来られたのを天降られたと云ふのである。邇々芸之命より神武天皇迄は実に百三十六万年の年月を経過して居るのである。

 この山は政治地理的に云へば、長野県埴郡豊栄村に属し、御祭神は熊野出速雄の神で、綾部の産土神と同じである。

 往昔素盞嗚の尊がこの山で比良加を焼かれたのが陶器の初めである。私も帰るとこれを記念に新しい窯を築いて陶器を初めるのである。

 

 皆神山上十五丁目の地点に腰を卸されて、山上の垂訓にも等しい教を垂れられた時、日輪聖師の上に御光の陽笠をかざした如く、言語に絶した崇厳な光景を現出した事を附記さして頂きます。

 なほ、智慧証覚によつて思ひ思ひに取れる、神秘の神話は未だ発表の時期で無いと存じ略さして頂きます。

 霊界物語によると地教山はヒマラヤ山とありますが、日本にあることは皆世界にある訳であります。(昭和四年八月)”

 

(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 月鏡」より)

 

*最近、この皆神山のある長野県北部では地震が多発しており、十日前の4月19日にも震度五弱の地震が発生しています。かつて昭和40年から45年にかけて、五年間もの長期にわたって群発地震が発生したこともありましたが(松代群発地震)、今回の地震もいずれ鎮静化させることができるのか、いつまで押さえておくことができるのか、気になるところです。

 

*松代群発地震の際、皆神山付近に謎の発光現象が観測されて写真にも撮られています。皆神山は太古のピラミッドであるとの説もあり、UFOの目撃も多いそうです。

 

*このところのパワースポット・ブームで、皆神山にもパワーを求めて登山する方が増えていますが、中には熊野出速雄神社はきちんと参拝されても、山頂にある富士浅間神社はせいぜい手を合わせるぐらいで、まともに参拝されることなく帰られる方もおられるようです。もとになったのが木花咲耶姫命を祀った小祠なので誤解されるのは仕方がないのかもしれませんが、ここに紹介させて頂きましたように、この「富士浅間神社」こそが皆神山で最も重要な場所です。ここは決して単なる安産の神様を祀った神社ではなく、「おほもとすめおほみかみ(大本皇大御神/大天主太神)」を世界の中心地にお祀りした特別な聖地であって、ヒマラヤの神界とも繋がっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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