“家庭を生涯の仕事(キャリア)にしなさい。この世で家庭を作ることは、どんな人にとっても、いずれ劣らぬ立派な仕事であるからだ。
仕事と家庭の両方を与えられる人はわずかである。しかし、あらゆる仕事の中で最も大切な仕事は家庭である。
家庭という仕事を避ける人は、それを埋め合わせるだけの、もっと大きなことを引き受けなければならない。なぜなら、家庭とは、すべての人がいつか達成したいと願う「天の我が家」に最も近い象徴であるからだ。(5070-1)”
“今回の人生では、過去世からの願望ゆえに、家庭を作りたいという憧れがある。
人にくつろぎをもたらす家、平安に満ち、感謝と祝福の言葉を交わし合う場所としての家、一人一人がその日、その時を、相手にとって、たとえわずかでも、もっと聖なるもの、もっと平安なもの、もっと美しいものにすることを求め合う場所、喜ばれる場所を欲している。
家庭を備え給う、いと高き神に感謝を捧げる家庭を作ろうという気持ちがある。
イエスは次のようにいわれた。
「私がいるところにあなた方もいられるよう、あなた方のために場所を備えに行く」と。
これが家庭の意味である。
それゆえに、この地上に家庭と呼ばれる場所を作ろうとする人々は、まことに人々の中で祝福された人である。(5231-1)”
“家庭とは、そこに住まう人々が、お互いの精神的な関係や、道徳的関係、霊的関係を高めていく滞在地としての、この世の雛形、安息地のごとき場所である。
家庭とは、人が「天の我が家」、すなわち霊的世界に願い求めるものを、この物質世界に反映した場所である。
したがって、霊的に見るならば、家庭とは、人が父なる神と一つであることを、物質的にも精神的にも表わす場所でなければならない。調和や平安、栄光など、神と一つであることを示すすべての特性が、その家庭に現われていなければならない。
これが家庭と呼ばれ得るにふさわしい場所の理想である。(538-33)”
“家庭を築くにあたっては、それを天国の家の雛形のように作ることだ。ただ寝るだけ、ただ休むだけの場所にしてはならない。
自分だけでなく、そこを訪れるすべての人が、家庭という聖なる場所に住まう一人一人の作り出した波動そのものから、その家に溢れる思いやりと希望を感じ、体験できる場所にすべきである。
二人のためのみならず、訪れるすべての人にとって、心なごむ場所、心身の保養所とすべきである。
多くの生涯で経験してきた教訓を思い出し、客人をもてなすことに心を配るようにせよ。なぜなら人は、それと気づかぬうちに、天使をもてなしているからだ。それゆえ、天使が訪れたくなるような、天使すら客人として招かれることを望むような家庭や住まいを作るがよい。それによって素晴らしい祝福、栄光あふれる喜びと満足がもたらされるだろう。
家庭を常に調和あるものとすることで、自分を正し、また互いの関係を正すという、栄光に満ちた調和がもたらされる。「それは明日やろう、来週から始めよう、来年からそうしよう」などと言ってはならない。あなたの人間関係の中で日々に蒔くものを、真理の種、希望の種とせよ。それらが実を結ぶほどに成長し、日々が過ぎ、歳月が過ぎたとき、それらの種が真に、家庭を飾る美しい花園になるだろう。(480-20)”
“問1 私はどこへ行けば、最高の波動を出すことができますか。
答1 あなたのいる場所においてである!波動は内から来るものであり、外から来るものではない。あなたの内的自己の内に「神との」親しい関係をつくり、それによって、あなたのいる場所には、いつも他の人々に対する、救いと助けと愛が見出されるようにせよ。(1183-1)”
(レイチェル・ランネルズ「エドガー・ケイシーが示す愛と結婚の法則」たま出版より)
*この、レイチェル・ランネルズ著「エドガー・ケイシーが示す 愛と結婚の法則」(たま出版)には、理想的な結婚や家庭を実現するために参考となるであろう数多くのリーディングが紹介されています。結婚した夫婦だけでなく、独身者へのアドバイスや、仕事と家庭の両立、パートナーの不倫に対してどのように対応すべきかなども載っており、このような問題に悩んでおられる方は、ぜひお読みになられることをお勧めします。
*それからケイシーは、レクレーションの重要性についても語っています。決して娯楽が否定されているわけではありません。
“学生が勉強ばかりしていて遊びをやらない生活をしていると、遊んでばかりいて勉強をしない場合と同じように頭がなまくらになる、ということをよく覚えておくことだ。このような生活をしていると、ついには自分自身にも他人にも無価値の人間となり、なしとげようと願っていることも実現しないであろう。”
“誰でも、自分の時間の予算配分をするのが最上の方法である。研究にはこれだけ、くつろぎにはこれだけ、からだの活動にはこれだけ、社会活動にはこれだけ、というように時間をとっておくべきである。このことは機械的にせよと言っているのではなく、このように変化をつけてそれぞれの活動を行うことによって、さらに、よいバランスを作り出すことを勧めているのだ。”
“ある分量のレクレーション、ある分量の休息がなければならない。肉体にも心にもそれぞれの必要がある。”
“聖(きよ)くなるために時間をとっておくことは必要だが、遊ぶ時間もなくてはならない。休む時間、元気回復のための時間も大切である。主イエスさえも、休む時間、皆から離れて一人になる時間、瞑想し祈る時間、婚礼に列席する時間をおとりになった。”
“この実体はいつも暗い面を見る傾向をもっている。ユーモアとウィット、また、物事のこっけいな面を見る能力を養うのがよいだろう。生命、すなわち肉体と精神は楽しむためのものだ、ということを知るべきである。いつも喜びの気持ちをもつようにせよ。他人の経験に喜びをもたらすことが、あなたの願いであるならば、あなた自身の、日々の経験もまた喜ばしいものでなくてはならない。人類の主であるイエスの喜びを見よ!イエスのために迫害されたステパノ、パウロ、ペテロ、その他の聖徒の喜びを見よ!このような人々はすべて主のうちにある喜びを示した。主の喜びはあなたの経験のなかに平安と調和を増し加えるものである。”
(ジナ・サーミナラ「エドガー・ケイシー秘密リーズ2 超能力の秘密」(たま出版)より)
*あと、ケイシーは、『幼い時に人形遊びをしていた子供は、大人になって素晴らしい家庭を築くだろう』ということも言っています。
“母親らしさを養ううえで、どの国でも人形が役立って来たが、このことを考察した人はほとんどいない。成長過程のどの時期であろうと、人形に親しんできた子供たち――特に少女――は、子供時代に人形遊びを一度もしたことがない人々にはとてもまねのできない家庭を築くものである。このことを強調することだ。(1436-4)”
・パラマハンサ・ヨガナンダ
“人生の唯一の目的は神を見つけることです。
もし、あなたがすでに結婚しているなら、夫婦そろって神を見つけなさい。まだ独身なら、今すぐキリストの「まず神の国を求めよ」という教えに従いなさい。神を見つければ、神があなたの取るべき道を教えてくださいます。
さもないと、結婚生活にどのような運命が待ち受けているかしれません。想像もできないような悲劇の話がいろいろと私の耳に入って来ます。それは、ほとんど人間関係の不和から生じる悲劇です。人は若いうちに、自分の感情を制御することを教えられるべきです。だれでも、自分の衝動的感情を抑えることを学ばずに結婚すべきではない、と私は考えています。自分の感情が抑えられないうちは、家庭を持つ資格はありません。まず自己制御を身につけることが何よりも大切です。そのうえで結婚を考えれば、あなたにとって最良の伴侶が自然にあなたの前に引き寄せられて来るでしょう。”
(「人間の永遠の探求 パラマハンサ・ヨガナンダ講話集」(森北出版)より)
・愛する人の中に神を見る 〔ラーマクリシュナ〕
“彼(ラーマクリシュナ)はすべての人に、自己を解放し、内部の泉を飲み、各人の中にあり、また神であるところの普遍存在の歓喜に、……自己の本性に叛くことなしに、それを不具にしたり、あるいは「曲げ」たり、またとりわけ自分を頼りにする人を誰も少しでも傷つけることなしに……、参加する手段を与えるのである。正当な愛情を禁止しないばかりか、彼らを悟りに導くために、彼はそれを用いるのである。それは清浄な単純な人々を神の許に連れて行く美しい影を映した平和な運河である。そうしたじつにうるわしい一例を次にあげよう。
彼の門弟の一人(ブラフマー・サマージのマニラール・マリック)の娘が、悲しんで彼に訴えて、自分はお祈りをするときに、気が散って精神を集中することができないと言った。ラーマクリシュナは尋ねた。
「あなたが世の中で、いちばん好きなものは何ですか?」
それは兄の幼児だと彼女は答えた。すると師は優しく彼女に言った。
「それじゃあ、あなたの考えを彼に集中しなさい!」
そこで彼女はそうした。そして、幼児を通して、幼児のクリシュナを見た……
この愛情の花、それはどんなに私には尊いものだろう!なんという深い意味だろう!われわれのめいめいは、たとえ心は闇に充ちていても、いかに微かでも真の愛の発露の中には、神聖な火花をもっている。誰もこの小さい燈明をまったく持たない者はない。それは彼の道を照らすには十分である。すべての道は良い……悪い道さえも……すべての個人の運命も、もしめいめいがわが道を、誠実に真摯に歩むならば。その他のことは神の御心である。信頼せよ、そして歩め!”
〈同種類の逸話〉
“ある善良な祖母さんが年寄ってから世を棄てて、ブリンダーバンで宗教三昧に入りたいと望んだ。ラーマクリシュナはそれを断念させて、彼女は孫娘をあまりにも可愛がっているので、彼女の瞑想はそのために乱されるだろうと言った。そして付け加えた。
「もしあなたが孫娘に対する優しい愛情を、彼女がシュリー・ラディカ(クリシュナの愛人)だと思って育てていけば、ブリンダーバンの生活から期待しているすべてのものはあたえられるでしょう。思うがままに彼女を愛撫し、美味しいものをやり、美しい着物を着せ、自分が満足するまで寵愛しなさい!ただしかし、そうしたすべての行いの中にも、あなたがブリンダーバンの女神を崇めていることを憶えていてください。」(「ラーマクリシュナの教え」第一巻70節)
このように、自分の生活を生き、自分の愛する人々を、単純に平和に愛すればよいのである!彼らの愛のヴェールの蔭から神を見、神に感謝すればよいのである。”
(「ロマン・ロラン全集 15 生けるインドの神秘と行動」みすず書房より)
・スワミ・アドブッターナンダ(聖者ラーマクリシュナの高弟)
「夫は妻を大切にしなければならない」
“あるとき、ラトゥ・マハラージ(注:スワミ・アドブッターナンダのこと)は男性信者の一団に語った。「女性を虐待する男性がいるが、彼女らに対して決して手を上げるべきではない。彼女らがどれほど耐え忍んでいるか君たちは知らない―― 彼女らは忍耐そのものなのだ。女性を虐待したら、彼女らはそれをどこに転じればよいだろうか?彼女らは母なる女神のあらわれなのだ。『母』がさげすまれれば、主はお怒りになる。だから、君たちの安寧は彼女らを幸福にすることにあるのだ。シーターの涙がラーヴァナの民を滅ぼしたように、女性の涙は君たちを滅ぼすだろう」”
(スワミ・チェタナーナンダ「スワミ・アドブッターナンダ 教えと回想」日本ヴェーダーンタ協会より)
・「ソウルメイト」について 〔エドガー・ケイシー〕
“質問の中には個人的なものも、抽象的なものもあるが、「ソウルメイト探し」という人間の永遠の課題に光を与えている。
問: わたしは双子の魂(ツインソウル)という説に関心を持っています。夫とわたしがツインソウルであるかどうかわかりますか。
答: それは二人が何を目的としているかによるのである。全く同じ二枚の木の葉も、草の葉も存在しないのである。人は互いを補い合っているのだ。
問: 物質界の魂一人一人にとって霊的な相性というものがあるでしょうか。
答: セックスのことを言っているのなら「ノー」である。助け合いと霊と意志のことを言っているのならば、人は創造的力と一つになるべきである。
問: この二人は何か特別な目的のために一緒になったのでしょうか。二人が互いに引き寄せられたのはそのためなのでしょうか。
答: 一つの目的の為に一緒になったのである。
問: わたしにソウルメイトがいるでしょうか。どこでその人を見つけたらいいですか。
答: あなたが自分自身を神に受け入れていただけるものにしてゆくにつれて、ソウルメイトはあなたの人生に現れ、あなたはそれと知るであろう。
ヒュー・リン・ケイシー(注:エドガー・ケイシーの長男)は、ケイシー・リーディングをまとめて、次のようなソウルメイト観を導き出している。これは先の続きだ。
「ではソウルメイトとは何でしょうか。それは殆どの過去世で結婚を共にした魂なのでしょうか。ソウルメイトの状態が長い時代に渡って人生を共にすることによって築かれることは明らかです。しかし、そこには肉体的な引き合いだけでなく、精神的、霊的にも互いを助ける能力があるのです。
ソウルメイトは一人以上いるかもしれませんが、他にソウルメイトと思える人がいるからといって結婚相手と離別することにはよく注意しなくてはいけません。エドガー・ケイシーは、今の結婚相手との間には学びのための機会があるので、すでに結婚している人は安心してよいと言いました。
また、これから結婚する人たちでソウルメイトを探している人たちに対しては、リーディングは「より助けとなり、より支えとなる、より均り合いのとれた生活を与えてくれる人、〝正しい波動″を持った人」を選ぶように助言しています。
ですが、ソウルメイトを見つけたことが、良い結婚を保証することにはならないのです。その関係を花開かせるために、お互いがそれに取り組み、努力を尽くさなくてはなりません」
誰かがこんな質問をケイシーにした。
問: 彼女はこの人の人生が成功するのに最適のタイプでしょうか。
眠れるケイシーは、まるで自分自身と息子に対して語りかけるように答えた。
答: 互いにそうなるかもしれない。互いに結婚し合った沢山の生涯を通して築き上げてきた絆によって運命があらかじめ決められていない限り、初めから完璧に合った魂などいないのだ。
エドガー・ケイシーは、ソウルメイトを伴う生まれ変わり、生まれ変わりを伴うソウルメイトの理論を作り出した先駆者だった。ヒュー・リンはキリストにも、またその使徒たちにもよく知られているユダヤ教の秘密教義「カバラ」が、生まれ変わりとソウルメイトを関係づけているのを知って興味を持った。
「神の掟に従っている人々が自分の本当のソウルメイトと出会い、結婚するのです。神の掟を拒んでいる人々は、この結合をも拒むのです。つまり、不純がソウルメイト同志を引き離し、道徳が彼らを共に引き寄せるのです」
とヒュー・リンは語った。”
(ジェス・スターン「ソウルメイト 上」中央アート出版社より)
*世の中には理想の結婚相手を求めて男性遍歴、女性遍歴を重ね続ける人もいますが、そのようなことをすればするほど、理想の相手から離れてしまうことになります。
・「ツインソウル」とは
“ケイシーによれば、現在の地上に生きる人々は、もともと一つの魂であったものが、地上の肉体に降下する過程で男性性優位の魂と女性性優位の魂の2つに分かれたと主張します。そして魂は決してそれ以上に分裂することはありませんでした。紀元前1万年頃には、すべての魂がペアに分かれたとされます。この関係をケイシーは「ツインソウル(双子の魂)」と呼びました。
ケイシーのリーディングに従えば、私たちは誰でもツインソウルを1人持つことになります。
このツインソウルは互いに密接な関係を維持しつつ、地上での輪廻転生をくり返すといいます。あるときは夫婦として、またあるときは親子として、あるいは兄弟として、友人として、互いの人生に影響し合います。もちろん、すべての転生でツインソウルと出会うとはかぎらず、別々の時代に、別々の人生を歩むこともあります。ツインソウルの他の例としては、イエスとその母マリアがそうであるとケイシーは主張します。いずれにしろ、魂の創造に関する非常に神秘的な概念です。”
(光田秀「眠れる予言者 エドガー・ケイシー」総合法令出版より)
*ケイシーによれば、必ず誰にでも一人ツインソウルが存在しており、よって人は決して一人ぼっちということはありません。ただ、ツインソウルがそのまま結婚相手となるわけではなく、ケイシーの場合は、彼のツインソウルは妻のガートルードではなく(過去世でも二人は夫婦となっていましたが)秘書のグラディス・デイヴィスで、ガートルードのツインソウルは長男のヒュー・リン・ケイシーでした。
*結婚相手として理想的なのは、やはりツインソウル(一人だけ)かソウルメイト(複数存在します)の中の誰か、ケイシーの言う「正しい波動を持った人」だと思いますが、その相手とは霊的に強く結びついていますので、誰かに紹介してもらわずとも本来は自然に巡り合うようになるはずです。しかし、何らかの負のカルマの作用で会うことができず、あるいは結婚できず、独身のまま年老いてしまわれた方や、相応しくない人物と一緒になって虐待されたり不倫されたりなど結婚生活に失敗された方であっても、神の掟に従って正しく生きることを心がけているならば死後は天界に入ることができ、そこで必ず本当に相応しい相手と会って『祝福された結婚』をすることができます(スウェーデンボルグはそう言っています)。これはちょっと理解が難しいのですが、天界には私たちの習性となっている時間と空間の制限がないので、相手がまだ生きているかどうかといったことはあまり関係ないようです。また、相変わらず「夫婦別姓」が議論され続けていますが、スウェーデンボルグは、『真の結婚愛にいる者はたえず一人の人間となろうと欲しているが、結婚愛にいない者は二人になろうと欲している』と言っています。私が思うに、おそらく現世における「夫婦同姓制度」は天界に相応する型であり(『かれらはもはや二人ではなくて、一人の人間である(マタイ一九・六)』)、故にこのような尊い日本の伝統は何としても守らねばなりません。