スサノオ・リバイバル | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……王仁三郎の生涯には、つねにモノを生かす笑いと風が漂っている。秩序と破壊、高天原と根国、霊と体、全体と個、皇道とアナーキズム、こうしたありとあらゆる硬直した二元論を笑いとばし、リアリティを揺すぶろうとする冗気と風気とエロティシズムが生の風通しをよくすると同時に、曲解される原因ともなっている。

 その意味で、彼が自分を「変性女子(へんじょうにょし)」と位置づけ、「変性男子(へんじょうなんし)」たる出口ナオが、霊系-厳霊(いづのみたま)-火・陽・男・天-高御産霊神(たかみむすび)-伊邪那岐神(いざなぎ)-国常立命(くにとこたち)-天照大御神(あまてらすおほみかみ)の霊統を承けているのに対して、自分を体系-瑞霊(みづのみたま)-水・陰・女・地-神産霊神(かむむすび)-伊邪那美神(いざなみ)-豊雲野命(とよくもぬ)-素戔嗚尊(すさのをのみこと)の霊統を承けていると自覚していたことはじつに興味深いことだ。霊にあっては女性だが、その体は男性である瑞霊(みづのみたま)は、あの母神イザナミを恋い慕って青山を泣き枯らしてしまったスサノヲの霊統なのである。スサノヲが荒ぶる性(さが)をおさえかねて、日向、高天原、出雲、根国を放浪しながら言霊を放ち、残虐と無垢と智恵とを体現した翁童存在であり、自在な力と魂の変容をなしとげた〈霊学と芸能の導師〉であったように、王仁三郎もまた陽気なアンドロギュノスにしてかつ翁童的な人物であった。明治三十一年(一八九八)十月八日、二十七歳の上田喜三郎ことのちの出口王仁三郎は、気狂いあつかいされていた神懸かりの老婆出口ナオに初めて会っている。そのときナオの前に登場した青年は、陣羽織を着て口にはお歯黒を塗り、手にはコウモリ傘とバスケットをさげた、じつにキッチュなイデタチであった。ナオは失望し王仁三郎を追い返した。この笑いを誘う軽演劇(ボードヴィル)的な、またポップな登場の仕方のなかに、王仁三郎の人生をつらぬく笑いと風気のまじった自在さをみてとることができる。

 明治三十七年、王仁三郎は大本内部の批判勢力の圧迫によって教団を追放されるが、その折りに次のような一文を草し、スサノヲが瑞霊にして「天地八百万の罪在る御霊の救主(すくひぬし)」なりといい、続けてこう述べている。

 「素戔嗚尊は、天津罪、国津罪を残らず我身に引き受けて、世界の人の罪を償(あがな)い玉う瑞の御霊魂なれば、天地の在らん限りの重き罪咎を、我身に引き受けて、涙を流して足の爪迄抜かれ、血潮を流し玉いて、世界の罪人、我々の遠つ御親の罪に代り玉いし御方なる事を忘る可らず。今の世の神道者は、悟り浅くして、直に素戔嗚尊を悪く見做すは、誠に恐れ多き事共なり。斯くの如く天地の罪人の救い主なれば、再び此の天が下に降り在して、瑞の御霊なる茂頴(しげかい:当時の王仁三郎の号の一つ)の身を宮と成して、遍く世界を救わんと成し玉える也」。

 このスサノヲ・リバイバルともいいうるような、王仁三郎におけるスサノヲの再発見・同一化となった契機は何だったのか。王仁三郎のいう「霊学」が「内部生命の探求の学」であるからには、彼の霊性の由来と根拠がその探求の過程ではっきりしてきたはずである。逸脱した子供、異常児、荒ぶる青年、ナオとの霊的戦い、高天原追放と重ね焼きできるような教団の反対勢力の圧迫による出奔など、そうした生活史上の出来事の一つひとつの意味連関が、スサノヲを媒体(メディア)としたときに、普遍的な次元へと一挙に収斂し、すさまじいエネルギーとなって爆発し、大いなる解放感とともに、霊性の根底を与えられたような安心感と使命感を抱くようになったのだろうか。王仁三郎の神話的想像力は、スサノヲを媒介としたときにはじめてエネルギッシュな「魂の変容」を体験した。スサノヲが自ら「多層的存在」として変化(へんげ)を重ねたように、王仁三郎もまた月読神、ミロク大神として、演劇的変身といいうるようなパフォーマンスを重ねた。

 三十一(みそひと)文字は言霊の結晶と喝破し、またどんな歌にもその底に「淡い恋心が流れていなければならない」として、猛烈な速さで十万余首を詠み、一度も推敲を加えないという奔放な大らかさ。「そもそも、芸術の祖神は素戔嗚尊さまであるから、心中この大神を念ずるとき、絵画といわず、陶器といわず、詩歌といわず、あらゆるものに、独創が沸く」から自分の流儀は「神代派」だと言って、実際に個性と生命力とに溢れた絵、耀盌、書、詩歌、著作をものした。書くたびに字体がまったく変わるかのような書のなかでも、「光」「喜」と題されたものなど、溢れんばかりの喜びや愛が歌の旋律のような伸びやかさと力強さで形象化されている。それは「光の音楽」、「喜びの振動あるいは響き」といっても何らおかしくはない。

 また「笑いは天国を開く声である。福音である。しかし笑いは厳粛を破るもののようだが、その笑いが徹底すると、また涙が出るものだ。笑い泣きの涙が、もっとも高調された悲哀と接吻するような感じがするものだ」と言いつつ、「宗教家は醜狂蚊なり。貴族院は鬼族淫也。衆議院は醜偽淫也。代議士は大偽師也。博士は馬鹿士也。学士は愕士也。文士は蚊士也。教員は狂淫なり。神界は深怪なり」などと「大笑辞典」(大正十年『神霊界』三月号掲載)とか「滑稽癪人一醜」とかのパロディー・語呂合わせ集を発表しているのである。トリックスター=レトリックスターの面目躍如である。この遊戯的精神-語りが本来的に「騙り」であることのる消息を見事に物語っている。センス ⇄ ノンセンス ⇄ マルチセンスの相互貫入を自在にやってのけながら、笑いのさざ波を周囲に撒き散らし、現実(リアリティ)を揺さぶりつづけ、実に大らかに、陽気なスサノヲ・パフォーマンスを遂行していったのである。”(鎌田東二 『スサノヲ・リバイバル』)

 

(荒俣宏・鎌田東二「神秘学カタログ」(平河出版社)より)

*以前にも書かせていただきましたが、スサノオは決して単なる八百万の神々の中の一人ではなく、主神であり贖い主、救世神でもあり、それが本来の神格です。そして、鎌倉時代に制定された「御成敗式目(貞永式目)」に、「神は人の敬により威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」と書かれているように、神霊の霊験とは神と人との相互反応であって、人間の側からの働きかけも必要です。かつて国祖大神が封印されたとき、悪神達によって祟り神、鬼門の金神とその神格を貶められたように、今はスサノオの神格もまた、不当に貶められてしまっています。スサノオは、単に現世利益を叶えるだけの、私利私欲にまみれた人間にとって都合の良い低級な神ではありません(スサノオを自称する低級霊は多いようです)。もしスサノオを祭神とする神社へ参拝に行かれたときは、ぜひスサノオが本来の主神としての御神威を発現・発動することができるように、その御神格を意識したうえで、神素盞嗚大神(かむすさのおのおほかみ)の御神号で礼拝していただきたいと思います。

 

 神素盞嗚(  かむすさのおの)大神(おほかみ) (まも)りたまへ(さき)はへたまへ

 

 “……だから聖師には色々の相があった。自らも、『俺は悪人にもなるし、悪魔にもなる。だから悪相にもなる。それから善なる本当の相にもなる。ほんとうに女性的な相にもなる。だから、たくさん写真を撮って置いておけ。将来、見る人が出て来て見ればわかるから』と言われた。”

 

(「人類愛善新聞」昭和53年8月1日号 大国美都雄『オリオン星座と王仁師』』)

 

 

・内なるオルフェウスの顕現

 

 “正式な「パフォーマンス」というものは、平凡な日常から私たちを引きずり出すための促進剤とか、有益な刺激剤としての役を果たしており、同時に人間の体験がいかに並外れて豊かなものであるかを気づかせてくれる。すべての行為には驚異の感覚がつきまとうということを私は確信している。生まれてから死ぬまで、たとえば、キャベツを切り、素晴らしい会話の中でアイディアを交換し、散歩し、新鮮な空気を吸い込み、トイレに行き、衣装を身につけ、眠っては目覚め、誕生から死に至るまで幼児のように優雅な状態で行動する、ということなどが思いがけぬ新しい世界を顕わすかもしれないのだ。これは可能性としての話である。だが、私たちは忘れ、失敗し、転落してしまう。つまるところ、私たちは単なる人間にすぎない。しかし、儀式としてのパフォーマンスは私たちに力を与え、暗示を与え、エネルギーを漲らせてくれるかもしれない。オルフェウスはまこと原型的な(archetypal)パフォーマーなのだ。天から直接霊感を受け、その天与の才を通して、耳を傾けるすべての人々に、その霊感を放つのだ。オルフェウスは実に、すべてのパフォーマーにとっての異教的守護聖人のはずである。というのも、私たちはその原型を見習うより他はないのだから。それとも、ユング及びその学派が考察するように、私たちは一瞬立ち止まり、原型的な心象、あるいはシンボルがたしかにエネルギーをもつものであることを理解できるかもしれない。内なるオルフェウスは、はぐくみ、育てられるはずである。そこで私たち自身の歌がうたわれ始め、私たちの短い人生の芝居はさらに美しい旋律を奏で、それ自体がこだまする中でさらに喜びとなるだろう。”(P18、P19)

 

 “結論としては、パフォーマンス芸術というものが果たすことのできる役割は、「聖なる狂気」を直接的に媒介するということ以上のものではなく、パフォーマーはその「聖なる狂気」に自らを同調させることによってオルフェウス的能力を授けられる、というのがルネッサンス時代の考え方であった。そして同時にそのパフォーマーは、自己改善を求めた宮廷人やその夫人、そして、のちには商人階級によって手本とされ得たのである。パフォーマンスとしての人生は、〈デコーロ〉〈スプレッツァトゥーラ〉〈グラーツィア〉によって高めることが可能であろう。そして、霊魂との最も直接的なコミュニケーションは、さまざまな感覚的欲求に訴える諸芸術によって、「窓」としての感覚を通してなされたのである。開放された霊魂は、崇高な幻想を楽しみ、神と共にあったその正当な住みかを思い起こすことができたのだ。今日の言語よりも、どちらかというと詩的な言語で述べられているこうした態度や行動原理は、今日でも依然として有効であるように私には思われるのである。”(P36、P37)

 

(アントニー・ルーリー「内なるオルフェウスの歌」(音楽之友社)より)

 

 

・ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」  「『笑い』には真理を暴く力がある」

 

 *ネタバレがあります。

 “観念したホルヘはウィリアムに本を差し出します。革手袋をはめて読み始めるウィリアム。ページの端に毒が塗ってあること、すなわち、ページをめくるために指を舐めると毒がまわって死ぬこと、この本を手にした者は皆それが原因で死んだことを見抜いていたからです。彼はホルヘが施療院から持ち出し、塗ったものでした。本には、ベンチョが証言し、また目録にも記載があったように、まずアラビア語の写本があり、次にシリア語の写本があり、三つ目にギリシャ語の『キュプリアーヌスの饗宴』の注釈が綴じられていました。そして四つ目が、『書き出しを欠いた書物で、娘の乱交や娼婦の情事について記したもの』、すなわち、アリストテレスが『詩学』の第一部で悲劇について語ったのち喜劇について書いた第二部でした。

 ウィリアムは、ここでアリストテレスが笑いを「いわば有徳の力として、認識的価値さえ備えうるもの」とみなしていると解釈します。笑いは、「機知に富んだ謎や予想を超えた隠喩を介して、事物をあるがままと異なるかたちで、まるで欺こうとでもするかのように、わたしたちにつたえることによって、実際には、わたしたちが事物をもっとよく見るように仕向け、なるほど、確かにそのとおり、知らずにいたのは自分のほうだ、と言わざるをえないようにする」と、その効能を説くのでした。

 喜劇についての本がほかにもあるなかで、なぜこの一巻だけを隠し通そうとしたのかを問うウィリアムに、ホルヘは「なぜなら、あの哲学者の手になるものゆえ」と答えます。アリストテレスの哲学思想はキリスト教世界にとって基盤となるものであり、それゆえにとびきり危険な影響力をもっており、そのアリストテレスの喜劇論が流布すれば、ついには神のイメージが転覆を免れられず、人々は笑いによって神への畏怖を忘れてしまう、とホルヘは嘆きながら述べます。そして、「この書物は、間違えば、平信徒たちのことばには何かしらか智慧がふくまれているという考えを是認しかねないものだ。それは食い止めねばならぬ。…〈中略〉… ホルヘがアドソからランプを奪い、床に積まれた本の山に投げました。たちまち火の手が上がります。ホルヘはそこにアリストテレスの本も投げ入れます。燃え盛る炎はやがて建物全体にまわり、長きにわたって世界中から集められてきた膨大な本は、巨大な迷宮とともにすべて失われてしまいました。

 ホルヘが隠しつづけてきたもの、それはアリストテレスが喜劇について記した書物でした。ホルヘはなぜそれを隠したのか。ここでは笑いと真実の関係をめぐる議論というものが中心にあると考えられます。これはエーコという作家、そして哲学者にとって生涯にわたり中心的なテーマでもありました。つまり、真実とはどこにあるのか、どこから来るのか、という問いがエーコにとって生涯変わることのない問いであり、その問いをめぐって理論書がかかれ、小説が書かれ、エッセイが書かれてきた。そして真実と笑いの関係の考察を小説において最初に実践したのが、この『薔薇の名前』という作品でした。

 焼け落ちた図書館から脱出したあとのウィリアムに、エーコはこう言わせています。

 

「ホルヘがアリストテレスの『詩学』第二部を怖れたのは、もしかしたら、その説くところがあらゆる真理の貌を歪め、ほんとうにわたしたちがみずからの幻影に成り果てかねない点にあったのかもしれない。おそらく人びとを愛する者の務めは、真理を笑わせ、真理が笑うよう仕向けることにある。なぜなら唯一の真理とは、わたしたちみずからが真理に対する不健全な情熱から解放される術を学ぶことであるからだ」

 

(「NHK 100分de名著『ウンベルト・エーコ 薔薇の名前』」和田忠彦)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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