「とにかく読めば魂の内部から導かれる」 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……「霊界物語勉強会」を各地で開くことになり、月十三回それぞれの教室で勉強会を開催し共に学ぶ場所を作りました。六年経ってかなりの回数になりましたが、これが私にとってたいへん勉強になりました。今まで気が付かなかったこと、考えても無かったことが見えてくるようになりました。

 「霊界物語」でも特に難しい箇所があるんです。読んで理解できない。次の会場でお話をするのに一体どうしたらいいのかと困り果てていました。その時、ある文章の中でこんな言葉が出て来ました。

 「とにかく、この霊界物語を読め。読んだら瑞の御魂(みづのみたま)があなたの魂の中に入って、その謎を解き明かす」

と。

 つまり、鍵を開けるということですね。凄い言葉だなーと思いました。読まなければ瑞の御魂の神様が入ってこられないじゃないかと。自分は一人一人の魂に入っていってその謎を解き明かしてあげたいと思うけれど、読んでくれないことには解き明かしようがないと。そういうことだったのか……。わたしは非常にショックを受けました。”

 

(「愛善世界」2008年12月号 出口信一『宣伝使』より)

 

 

 いくたびも繰り返し見よ物語 神秘の鍵はかくされてあり 

(第1巻)

 

 如意宝珠黄金の玉もこの神書(ふみ)に ひそみてありぬ探りて受けよ

(第65巻)

 

 

・「聖言」による内流

 

 “「霊界物語」を拝読するとき、神の言葉を今承(うけたまわ)っているのだという心構えであれば、魂の中に入るけれども、何か小説でも読んでいるような心構えであれば、得るものが少ないのである。

  声を出して読めば、自分の耳に神のお言葉が直接響いてくる。神の御声を聞きつつあるという心で読めば内流となるのである。

 神は現実の世界に住む者に対しては直接内流はくださらぬ。そこで聖言に依って内流するのである。「霊界物語」は瑞霊の教であり、聖言なのである。これによって生命の糧は与えられるのであるから、物語を常に拝読するように心がけなくてはならぬ。物語の中に神は坐しますことをさとらなくてはならぬ。

 

(「愛善苑」昭和25年7月号 大国以都雄編『瑞言録』)

 

 

 “(聖師さまは)「これ読んどったら、わしと話をしているのと同じじゃ」と言われた。”

 

 (「愛善苑」昭和46年8月号 大国以都雄『聖師の血と肉霊界物語』より)

 

 

 “「霊界物語は私の血であり命である。私の霊が全部この中に入っているのだ」と聖師さまはおっしゃった。”

 

(「おほもと」昭和48年6月号 大国以都雄『天界に通じる法』より)

 

 

 “人間の肉体にはあまりに端的でわからないが、精霊が聞いた時ははっきりと判るのである。従って、この物語は精霊の糧であるとも示されている。そのゆえに出口聖師は判らなくても読んでおりさえすればいつとなく判るようになる。またいつとなく、御霊のふゆが、増してゆくようになると教示された。霊界に行ったときにはじめて物語の糧に育まれていたことが実証される、すなわち救いの書であるゆえんである。”

 

 “……物語は、拝読しておれば春雨が土に浸み込む如く、いつとなく知らず知らずの間に聖霊がその光に接して、智慧正覚を得るものであって、一挙に何もかも理解するということはむつかしい。現界の小説などを読む場合は、そのまま、内容が判るのであるが、それは現界を写し出しているのであるから、簡単に理解されるのである。物語は霊的想念の状態を、現実の言葉、形のある文字にはめこむのであるから、霊的意義の理解力がまず養われないと、判らぬのである。したがって幾回となく、拝読して物語の物語る状況に想念が合致するようになれば、おぼろげながらも理解の力がついて次第に、面白く、次第にありがたく、ついには金言玉辞としてわれわれの救いの文となるのである。”

 

(「おほもと」昭和50年8月号 大国美都雄『聖師の血肉霊界物語』より)

 

 

・「読んでさえおけばそれでよい」

 

 “(聖師さまは)「『霊界物語』を読まない人は、なんぼ肉体はわしの側にいても魂は遠い所に離れているのと同じだ。また、その反対に、物語を読む人は、肉体は遠くに離れていても、魂はわしの側にいるのと同じだ」と、お示し下さいました。”

 

 “聖師さまはしばらくしてから真面目なお顔をなさり、

 「もうわしの言うことは全部「霊界物語」と「神霊界」に言い尽くしてある。神典として残してある。だから、わしが恋しくなったら物語を読め。」

とおっしゃいました。そこで私は、

 「読んでも、片っぱしから忘れてしまいますので……」と申し上げました。すると、

 「忘れてもかまへん。読んでさえおけば、それが血となり肉となって、まさかの時にご内流となってでてくるのだから、読んでさえおけばそれでよいのだ」

と申され、……” 

 

     (三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」より)

 

 

・霊界物語拝読による世界の浄化

 

 “聖師さまは「霊界物語を読まなければいけない。これを読めば神風おのずから起こって、大本は発展するし、世界も清まってくる」とはっきりお示しになっている(以下略)”

 

   (「おほもと」昭和36年12月号 桜井八洲雄『霊界物語拝読の真意義』より)

 

 

 “B むかし桜井重雄氏にこんな話を聞きました。聖師から物語の中のここを読んでみよと言われ、何字目かを横に読んだら予言があった。その内容は今は言えないと、ちょっと教えてもらったのですが、

 

 『必要な時になったらそこだけが光るんだ』

 

と聖師はおっしゃったというのです。桜井氏はあとで、そこをなんぼ探してみても出てこないというんですね。

D H氏も同じようなことを言っています。むかし見せてもらったがあとでいくら探しても見当たらんと言うのです。それでもう一回調べ直すんだと調べ直しています。

C N氏は若い頃、本部奉仕を辞め帰郷しようと思ってオヤジに相談したら好きなようにしろと言われ、物語から悟らせていただこうと思って拝読したが、ある余白歌から私のようなものでもご奉仕せねばいかんのやな、と悟らせて頂き奉仕を続ける決意をしたというんですが、その余白歌をいくら探してみても、どこにあるのかいまだに分からんというのです。そんなこともあります。白煙となって消えてしまうというのですか。(笑)   

 

     (「いづとみづ」№69 『摩邇の玉むかえ真心の花咲く祝歌』より)

 

 

・カバラ(ユダヤ神秘主義) 〔バール・シェム・トヴ(ラビ・イスラエル・ベン・エリエゼル)〕

 

 “祈りにおいて、知っているかぎりのあらゆる集中の術をもちいる者は、まさに彼が知っていることだけを行うにすぎない。しかし、大きなつながりにおいて言葉を語る者は、その一つ一つの言葉の中に集中の全体がおのずからはいっていくのだ。というのは、どのしるしもひとつの全き世界であって、言葉を大きなつながりにおいて語る者は、あの上なる世界を目覚めさせ、ひとつの大きな業(わざ)を行うのである。

 

(マルチン・ブーバー「祈りと教え」(理想社)より)

 

*出口王仁三郎聖師は第二次大本事件の時、『神殿は破壊されてもいい。まだ霊界物語が残っている』と言われましたが、そのように「霊界物語」こそは出口聖師によると『世界救済のための一大神書』であり、来たるべき大峠の被害をできる限り回避し、みろくの世を到来させるためのいわば装置ともいうべきものでした。なので出口聖師は、最期まで「霊界物語の拝読は盛んになりつつあるか?」を気にかけられ、同時に邪神たちが『最もらしき言辞を弄し……』霊界物語の拝読を妨害することも予言しておられました。真に求めるべきなのは『無形の宝』であって、艮の金神様の御神業・経綸においては「霊界物語」の音読によって発せられる言霊以上に重要なものはないのですが、多くの方は有形の宝にしか興味が無く(耀盌も結局は有形の宝です)、もはや世界は大峠へと雪崩れ込んで往かざるを得ないというのは残念至極であります。

 

 邪津神(まがつかみ)形の宝をむさぼりて

         聖(ひじり)の道をけがさんとぞする

               (出口王仁三郎 「道しるべ」)

 

 

 

 

 

 

 

 

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