四肢を切断された神 (ユング心理学・錬金術) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・明恵上人の夢と錬金術師ゾシモスのヴィジョン

 

 “『伝記』によると、明恵は父母を亡くした後、九歳のときに親類を離れて高雄山に登るが、その当日の夜に夢を見ている。『伝記』によると、「其の夜、坊に行き着きて、臥したる夢に、死にたりし乳母、身肉段々に切られて散在せり。其の苦痛、夥敷(おびただしく)見えき。此の女、平生罪深かるべき者なれば、思ひ合せられて殊に悲しく、弥(いよいよ)能(よ)き僧に成りて、彼等が後生をも助くべき由を思ひとり給ひけり」(「乳母の死の夢」)と語られている。

 乳母の体が切りきざまれて散在していた、というのだから、まことに凄まじい夢である。この夢は明恵が寺に入山した最初の日に見たものだから、その点においてもきわめて重要なものである。

 体が切られてバラバラになるという身体切断の主題は、多くの神話や宗教に認められ、象徴性が非常に高く、ユングは随所でこの点について論じている。エジプトの神話においては、オシリスがその弟セトによって殺され、身体切断されバラバラにされる。また、ディオニソスの宗教においても、狂宴の果てに、犠牲となる動物の身体切断が行なわれる。これらのことを踏まえて、ユングが錬金術との関連において、身体切断の主題の意味について論じていることを紹介する。

 ユングは中世における錬金術の多くの本が、金をつくりだすための過程そのものを記述しているのではなく、そのような記述によって、人間の人格の発展の課程――彼によると個性化の過程――を述べているのだと考え、そのような観点からの錬金術の本を読み解く作業を行なった。

 錬金術の課程はいろいろと記述されているが、一般によくあるものとして、最初のまったく未分化な原料が、次に「分離」あるいは要素への分解の段階にすすむことが述べられている。そして、この「分離」の段階は身体の切断、動物の犠牲などによって示される、というのである。

 これは、母親の手や、ライオンの足の切断などによっても示される。このような錬金術における象徴的表現は、明恵の乳母の身体切断の夢に通じるものを感じさせる。

 錬金術における身体切断のイメージの意味を、なまなましく伝えるものとして、三世紀の錬金術師であり、グノーシス派であったパノポリスのゾシモの幻像(ヴィジョン)がある。ゾシモの幻像についてはユングの注釈が付せられて発表されているが、その最初の部分を見てみよう。

 ゾシモの見たヴィジョンは真に凄まじいものである。最初、十五段の階段の上にある祭壇の傍に司祭の立っているのを見るが、その司祭によって刀で身体を切断され、頭の皮を剥がれ、肉も骨も焼かれて身体が変容し霊(スピリット)となってしまうという、限りない苦悶の体験をする。このような凄まじい幻像体験を、ユングは前述したような錬金術における「分離」の段階として解釈している。

 このヴィジョンにおいて、身体が切断されるとき、それは「調和の規則」に従って切断されたと述べているが、これは身体が四分される、あるいは四要素に分解されることを意味し、この切断の刃は、ロゴスの力を示していると、ユングは考え、聖書の「神の言(ことば)は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて」(ヘブル人への手紙、四章12節)を引用している。なお聖書に語られる、もろ刃のつるぎは犠牲を切り殺すためのものであるという。

 ユングはゾシモのヴィジョンの解釈において、その中の犠牲を供するもの、犠牲となるもの、それを切る刀の間に密かな同一性が存在していること、そこに苦悶、苦行ということが重視されていることを明らかにしている。

 ゾシモのヴィジョンに関するユングの注釈を参考にして、明恵の夢を考えて見よう。この夢には明らかに、身体切断、犠牲、苦悶などの点において、ゾシモのヴィジョンの主題に関連することが見られる。そしてきわめて重要なことは、身体を切断されているのが乳母であるという事実である。切断されるべきもの、犠牲に供せられるべきもの、として乳母が現われている。ユングの密かな同一性ということに思いを致すと、乳母は明恵自身でもあると言えるだろう。”

 

(河合隼雄「明恵 夢を生きる」(講談社+α文庫)より)

 

(四肢を切断されたアステカの女神コヨルシャウキのレリーフ)  

 

*「大本神話」では、神代において国祖国常立尊(こくそ・くにとこたちのみこと)は、手足をバラバラに切断されて世界の東北(=艮(うしとら))の『根の国底の国』(日本列島に相応)に封印された、ということになっておりますが、これについても、ユング心理学を当てはめて解釈することが可能だと思います。いったい日本人の根の国底の国=無意識の底に何が存在しているのか、荒ぶる神スサノオは国常立尊とミタマ同体神でもありますが、「霊界物語」の御口述から百年が過ぎ再び経綸が動き出して、今やこの我々のいる世界に、別の次元から何やら凄まじい力が流れ込んで来ているような気がします。神国日本の国土はそのまま艮の金神(うしとらのこんじん)・国常立尊の御体であり、さらに遙か昔にユダヤの地から国祖を追いかけてこの封印の地までやって来た天孫族、現在の我々日本人の一人一人は、好むと好まざるとに関わらず既に主神の経綸に組み込まれており、いわば国祖の細胞でもあります。もちろん人によって、宗教によって何を為すのかは異なるのでしょうが、結局は我々は運命共同体です。「霊界物語」の霊界を媒介として高天原を地上に移写させ、そして北斗七星の八番目、輔星(ソヘボシ)が新たな北極星となり国祖の完全御復活、みろくの世を実現させるためには何をせねばならないのか。ユングによれば、かつてゲルマン民族の無意識に潜む荒ぶる神が暴力的に現われてきたのがナチズムであり、それが第二次世界大戦を引き起こしたわけですが、そのようなハードランディングではなくソフトランディングに持ち込むためにも、無意識の中に存在する『元型』の意識化とともに、大本神話、霊界物語の重要性について、もっと関心が向けられるべきであろうと思います。

 

 

 “ここに国常立尊は神議(かむはか)りにはかられ、髪を抜きとり、手を切りとり、骨を断ち、筋を千切り、手足所(ところ)を異にするような残酷な処刑を甘んじて受けたまうた。”

 

(「霊界物語」第一巻 第二二章『国祖御隠退の御因縁』より)

 

 

・ナグ・ハマディ文書 (グノーシスの宗教)

 

 “今日では、この特殊な思想について、さらに多くの事が知られている。一九四五年の暮に、上エジプトのナグ・ハマディというところで、パピルスに書かれ、乾燥した砂漠の地下に埋もれていた、かなりの量のグノーシス派の古文書が発見されたからである。それはおそらくギリシャ語からコプト語に翻訳された古代の写本のようであるが、さまざまな理由から、この発見はすぐには公表されなかった。”(P33)

 

 “‥‥‥この文献がユングの手に入るまでには、まださまざまな冒険談があったようだが、彼が何よりも驚いたことには、ユング・コーデックスに欠落した部分があるのを知り、あわててカイロのコプト博物館に飛んで、写真版を借りだしたときに、彼の眼に最初にうつったのは、これは隠された言葉であって、生けるイエスが、彼の双子の兄弟のトマスに語ったものであるという一文だった。

 キリストにははたして本当に双子の兄弟がいたのだろうか。そして隠されたイエスの言葉が、まだあったのだろうか。

 それこそ、ユングが長い事、キリスト教に欠けたものとして、探し求めていたものではなかっただろうか。そこにはまた

 「あなたがたの中にあるものを引き出すならば、それがあなたがたを救うであろう。あなたがたの中にあるものを引き出さなければ、それはあなたがたを破滅させるであろう」

とも書かれてあった。これこそ、ユングが心の深奥にひそむ力の源泉として語り続けてきたなにものかの証明ではないだろうか。

 今世紀前半には、死海文書や、その他の古文書の発見が相次ぎ、特にこのナグ・ハマディ文書が公表されてからは、グノーシスの諸宗派を異端と考える人は少なくなった。それはキリスト教にとってこそ、異教であったかもしれないが、キリスト教と前後して生まれた独立した宗教運動であって、キリスト教はたまたまその中から傑出して成長し、世界宗教となったと考えるのが妥当であろう。

 キリスト教の影のような形で消滅していったこれらの諸宗教の中に、ユングはキリスト教には欠けている多くのものを見出し、彼が秘かに抱いていた同じような考え方を発見したのだということも出来よう。”(P34~P36)

 

 (秋山さと子「ユングとオカルト」(講談社現代新書)より)

 

 

 「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアブラクサスという」

 

(ヘルマン・ヘッセ「デミアン」より)

 

 

・トユケの神

 

 “昔、丹後国丹波郡の比治山の山頂に真奈井とよばれる泉があった。ある日、そこへ八人の天女が水浴をするため舞い降りた。そこに和奈佐という老夫婦があらわれて、一人の天女の羽衣を隠し、天に帰れなくなった天女を養女にして十年以上、一緒に生活した。その間、天女は自分の口で穀物を噛み砕いて唾液を交ぜて文字どおり醸(「嚙む」が語源)した、万病に効く酒をつくって老夫婦を富ませた。しかし、のちに家を追われ、竹野郡の船木の里の奈具の村に留まった。これが竹野郡の奈具社の豊宇賀能売(とようかのめ)命である。

 『止由気儀式帳』(八〇四)によれば、このトユケの神が、天照大神が伊勢の五十鈴川に鎮座してから四百八十二年後の雄略天皇二十二年(四七八)、丹波国比治真奈井原から伊勢の山田ヶ原に迎えられたのである。すなわち、雄略天皇の夢の中に天照大神が立たれて、「われは高天原にいた時、求めていた宮処に鎮まることができた。しかし、ひと所に居るのはまことに苦しい。大御食(おおみけ)を安らかに召し上がることができない。丹波国比治の真奈井からトユケの神を迎えてほしい」と告げたという。これが伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の始まりである。

 すなわち、豊受大神は、丹波の比治の真奈井に舞い降りた天女の一人だったのである。比較神話学によれば、こうした天女はいずれも星の精であったらしい。トユケ一人を地上に置いて天に帰ってしまった外の七人の天女たちは、とうぜん北斗七星を想起させる。そうだとすると、トユケは何に相当するのか。

 ところで、北斗七星の第六星の外側に、じつは輔星(ほせい)とよばれる小さな星がついている。和名をソヘボシというが、これを加えると八星になる。「北斗七星はこの星を入れると八個で、陰陽道ではこの星を重視し、金輪星といって信仰の対象としている」(吉野裕子著『隠された神々』)。この金輪星=ソヘボシが、八人の天女の一番下の妹のトユケだったのである。しかし、この説に従うと、トユケは北斗七星に附随する存在になってしまう。伊勢神道のように、トユケを最高神として捉えることはできなくなってしまう。

 ところが、このソヘボシは単なる輔星ではないのである。周知のように、地球の回転軸(地軸)は南北の公転面に対して約六六・五四度傾いているが、それが逆の方向に振れたとき、この輔星が未来の北極星になるらしい。未来の天帝=太一の座にトユケがすわるのである。

 つまり、トユケの大神は、釈尊の涅槃の五六億七千万年後に、兜率天からこの世に降臨するという未来仏としての、弥勒菩薩的存在だったのである。

 今日の宗教をみていると、自らはまったく意識していないけれど、紫微宮の、未来の天帝に座すトユケの降臨を願って祭っている教団が何カ所かあるような気がする。

 

(菅田正昭 『近代に復活した神々』 「別冊歴史読本 特別増刊 よみがえる異端の神々」(新人物往来社)より)

 

・「伊勢外宮の神、豊受大神は国祖・国常立尊である」

 

 “出口聖師は、豊受大神はもと綾部の本宮山に祭られ(月鏡)、出口家が代々これに奉仕しておられたといい、また丹波の真奈井の原から伊勢に還られるときに出口家の分家がお供をしていかれたと示されている。また外宮の神主が代々出口姓を名のっているのは、もと綾部からお供をして行った出口氏であると記している。また大本の元老、藤原勇造先生の談によると、かつて昭和七~八年ごろ、伊勢参宮の折、とくに外宮の前で大勢の昭和青年会員を前にして聖師は、

 「外宮の祭神を豊受大神といっておられるが、実は国祖の神様をお祀りしているので、名前が違っても同じ神様である」

と話されたということである。このお話は十数年前にきいた話であるが、当時それにもとづいて教団関係の機関誌を調べてみたところが、伊勢参宮の数日前、「みろく殿」でご講話された筆記録として同様のことが掲載されていることを確かめたことがある。

 山崎闇斎の垂加神道の一党をはじめ諸書に「「外宮の祭神は豊受大神ではなく国常立尊である」という説は昔から現代に至るまで存在しているが、実は「豊受大神即国常立尊」で異名同神であることに気づかず別神のごとく考えたからであろう。近代では元海軍大将の山本英輔氏や、京都白峰宮々司石井鹿之助氏等が「外宮国常立尊説」を唱えていた。丹後一の宮元国幣中社「篭神社」の社伝に富士文庫同様に豊受大神即国常立尊であると記されている。また同社記に「国常立尊」を奉斎したという記録があり、国常立尊のお守りの古い木版までも保管されている。” 

 

(「大本教学」十四号 三浦一郎『丹波王朝時代と〈桑田宮〉について』より)

 

 

 “聖師さまのお話では、日本には大きな流れとして、饒速日の命瓊瓊杵の命の系統がありまして、瓊瓊杵の命の方は今の天皇さまの流れであり、饒速日の方が開化天皇の流れであるということになる。饒速日命は、十種の神宝(とくさのかむだから)をもらった鎮魂の家であって、人類の魂と神々の世界を結ぶのが使命です。十曜の紋は十種の神宝をあらわしていると教えられた。

 穴太という地名については、外宮の神様さまが元伊勢から現在の伊勢へ移られる途中、駐輦され云々とあるように、豊受の神業″が行われるわけです。丹波の国が主基(すき)田にされて(悠紀田が近江)、天皇がおあがりになるご飯も、神さまにお供えするお米も、ここからさしあげた時代があります。穴太にある郷神社はその″豊受の神業″の一つの記念として残されており、昭和八年頃に聖師さまは″朝陽(あさひ)″という米を選ばれ、これを日本中に播けとおっしゃって各地に領布されたことがあります。つまり、ここから新しい豊受の神業″をはじめていくのである。穴太はそういう″使命がある″とおっしゃったのですが、大本のこれからの使命、謎がふくまれているように思います。”

 

(「おほもと」昭和51年7月号 山藤暁『教御祖のご事績と神話』より)

 

 

 宇宙紋章は瑞霊の神票である」

 

 “……宇宙紋章を会章とさだめられました。また宣伝使の制度をさだめられました。そして甲始会章の宇宙紋章を授けられました。頂いた人が宣伝使に任命されたのであります。宇宙紋章を渡すときに

 「これをもらう人は使命が大きいぞ。星は救世主と大本神のことである。この星を世界の中心に出すのが、使命である」

と教えられました。 愛善会の徽章は、神様が世界の中心になられた姿。

 

(木庭次守編「出口王仁三郎聖師玉言集 新月のかけ」より)

 

 

 “此の宇宙紋章が出来ることは、明治三十二年十曜の神紋が出来た当時、開祖様より大本役員に向かって夙に予告せられていたのでありまして,

 「大本には後来、更に新たな紋が出来る。其の紋はミロク神政成就のしるしであるから、此の時を境として大本は云ふに言はれぬ結構なことに代わってくる」

とお告げになったのであります。”

 

(井上留五郎記 「出口王仁三郎聖師校閲 暁の烏」より)  

 

宇宙紋章(更始会章)

 

人類愛善会章

 

・「霊的天動説」 〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “ですからコペルニクスの宇宙説とプトレマイオスの宇宙説とを比較するときには、プトレマイオスの説の中には、指導霊たちの位置関係が示されていることを知らねばなりません。そしてそれを知るには、地球を遠近法の出発点にしなければなりません。いつか将来、この宇宙説がふたたび正しいとされるときが来るでしょう。それは人間が霊界のことをふたたび知るようになったときです。おそらくそのときの人間は、現代よりも狂信的ではなくなるでしょう。私たち現代人は言うでしょう。―コペルニクス以前の人びとは天体の運行に関してナンセンスなことを語っていた。まだ原始的な宇宙説を信じていたのだ。コペルニクス以後、私たちはやっと正しい宇宙説を知るようになった。すべてコペルニクス以前の立場は間違っている。これからは、未来永劫に到るまで、数百万年後にあっても、コペルニクスの地動説は正しいであろう」と。

 

 現代人は大体こんな考え方をしているのです。現代の天文学の分野におけるほど、狂信が支配したことはめったにありません。未来の人びとはおそらくはもっと寛容であってくれるでしょうが、それでも次のように言うことでしょう。「十五、六世紀以降、人びとは霊界が存在することを知らなくなった。そして霊界には別の遠近法があり、天体は単に物質的に観測するときとは異なる秩序にも従っていることを忘れてしまった」

 

(ルドルフ・シュタイナー「シュタイナー 霊的宇宙論」(春秋社)より)

 

*これまで荒唐無稽とけなされていた出口王仁三郎聖師の宇宙論『神示の宇宙』についても、これがどれほど重要なことを述べているのか、わかる方にはわかると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング